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2 ドクターのリアクター
ドクター・アーミテイジのラボは、軒を連ねて林立するスラム街の一画でひっそりと営業してる。錆びたトタン屋根と腐りかけの木材で建築された、正真正銘のあばら家だ。
俺は着くなりバックパックを粗末なデスクの上にどすんと置いた。「80リットルジャストだ。いくらになるよ?」
ドクター・アーミテイジはいまいましげに唸った。「質はどうなんだ。そこらへんの隅にたまってるのをかき集めてきたんじゃ企業発行通貨一枚払えんぞ」
「アラート聞いてなかったのかよ? 中国が水爆実験やらかしたってやつ。できたてほやほやだって」
ドクターは年齢不詳の気難し屋だ。20代に見える日もあれば、今日みたいに70代にも見えたりする。〈灰かぶり世界〉が灰をかぶってなかったころは、(僭主じゃないちゃんとした)政府機関で次世代エネルギーの研究をやってたらしい。
「おまえは食えんガキだ、廃品を掴まされちゃかなわん」
アーミテイジは大儀そうに立ち上がると、壁に立てかけてあった鉄板を危なっかしく抱えて戻ってきた。バックパックの前に立てかけ、腕を組んで口をへの字に曲げてる。
反応はすぐ起こった。鉄板から火花が散り始め、しまいには目もあやな光輝があたりを席巻する。死の灰が放射性崩壊を起こし、ベータ線が鉄板に衝突、自由電子が叩き出されてるんだ。光電効果ってやつだ。
ドクターは満足げにうなずいた。「文句なく活きのいい放射性降下物のようだな」
「これで品質は保証されたよな。いくらだい?」
「10トークンでどうだね」
「その手には乗らんぜ。どこのトークンだよ?」
アーミテイジはなにやらもごもごとつぶやいた。「〈ニコニコ裁判所〉のやつしかいま手元にない」
「タダでもらってくれって言われてもごめんだね」
俺たちは侃々諤々の議論を戦わせ、中古車のバッテリーと物々交換で手を売った。バッテリーは(充電できる手段さえあれば)エネルギー枯渇時代じゃ最高峰の汎用エネルギー貯蓄装置だ。いつどこで、誰とでも強気の値段で交渉できる。
「もう用はないだろう、さっさと失せろ」
俺はそれには答えず、奥の部屋へあごをしゃくってみせた。「たまには自家発電装置見せてくれよ。減るもんじゃないだろ」
歓迎されない代わりに拒否もされなかったので、ドクターのあとを追ってラボへ踏み込む。
掘っ立て小屋の奥には見上げるほどどでかいシロモノが鎮座ましましてた。いろんな機械をごた混ぜにして煮込んだ感じ。アーミテイジが生涯を賭けて増設したありあわせの原子炉だ。
便宜上リアクターと呼んでるだけで、当然ウラン235やなんかの高級燃料があるわけじゃない。この怪物機械は死の灰が放射性崩壊する際に放つ中性子線を利用し、水を沸騰させて高圧蒸気を生成してるだけだ。
あとは伝説に聞く火力発電と同じで、蒸気がタービンにぶち当たって角運動量に変換され、電磁誘導を惹起する。ドクターは死の灰からエネルギーを取り出して需要に応える売電業者なんだ。そして俺はその燃料をかき集める〈落ち穂拾い〉というわけ。
ドクターはザックに詰まった灰を装置の吸い込み口へ苦労しいしい、放り込んだ。もちろん放射性降下物はこのままじゃ役立たずだから、やつらは内部で洗礼を受ける。どんな仕組みかだって? 尋ねる相手をまちがえてるぜ。
リアクターは餌を飲み込むと、ブルブルガタガタやたらに振動し始めて、いまにも爆散しそうなあんばいだ。振動が極限に達するのと同時にスチームが台風みたいな勢いで吹き出し、タービンを回転させ始めた。
「なあドクター」俺は気になってたことを尋ねた。「なんでこんな商売やってんの。全然儲からんって言ってたじゃん」
「もしだぞ、坊主」老人は怪物機械を愛おしそうに撫でてる。「もしわたしが電気を作らなかったらどうなる」
「どうもなんないよ。誰かが作るだろ、どうせ」
「かもしれん。だがこれだけの大電力は永遠に失われるだろうな」
「そうは言ってもさ、ドクターの客ってロクなやついないんじゃないの」
老人は渋面を作った。「まあな」
〈灰かぶり世界〉に世のため人のために事業を興す殊勝な輩はまずいない。アーミテイジの顧客のほとんどがやくざまがいの民間裁判所とか、武器製造業者とか、蓄電業者なんだ。
連中は公共性から数光年もかけ離れた用途にしか電気を使わず、資力のない俺たち庶民はローソクやら月明かりやらでの生活を余儀なくされてる。べつにやつらを責めてるわけじゃない。〈灰かぶり世界〉の民度はその程度ってことを言いたいだけだ。
「でもいつの日か連中は気づくはずだ。大半の庶民が夜を明るく過ごしたいと思ってることにな」
「仮にあいつらがそう気づいたとして、どうなるのさ」
「みんなに電気がいき渡る」ドクターは浅く目をつむっている。「夜が有効に使えるようになる。恩恵は積もり積もって大きなうねりとなり、汚濁にまみれたこの世界を建て直す原動力になるだろう」
今日に限って、老人の理想主義を茶化す気にはならなかった。俺は押し黙ったまま、中性子から熱エネルギーを得て沸騰する水をいつまでも眺めていた。
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