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3 独禁法の名のもとに
ドクターとの交渉から数日後、今度はインドがパキスタンへ核攻撃をやらかしたとかいう風聞が広まった(僭主政府の広報なんかあてになんないから、ほんとのところは風のなかだ)。
逃げ惑う人びとを尻目に、俺たち〈落ち穂拾い〉は路上へ散開し、たっぷり収入源をせしめた。代わりに推定750mSvの被曝。寿命と引き換えに金を稼ぐのが当世風ってわけ。
この日は民間裁判所の廷吏から妨害も受けず、仕事は3日間溜めたあとのマスかきみたいに捗った。俺は足取りも軽やかに、中身の詰まったバックパック持参でアーミテイジのラボへ駆け込んだ。
俺は言葉を失った。ラボは見る影もなくムチャクチャにぶっ壊されてた。貴重な蛍光灯は割られ、家具は残らずひっくり返されてる。なにか恨みがあったとしても、ふつうここまでやるか?
奥のリアクター部屋からうめき声が聞こえてきたことで、やっとわれに返った。おそるおそるのぞいてみる。
アーミテイジご自慢のボルシチ・リアクターが、核爆弾でも落ちたみたいにぶっ壊されてた。老人の生涯が台なしになってた。俺は確かにそれを目撃したんだ。死んだ機械の隅っこで、なにかが動く気配がする。見たくなかったけど、俺は明かりに群がる蛾みたいに引き寄せられてった。
「ど、ドクター!」
彼は死んでるとしか思えなかった。殴られてない部分を探すほうが難しいほど手ひどくやられてる。床一面に血が池みたいに溜まり、折れた歯とか爪が無数に浮いてた。
「いったいどうしたんだよ?」
「……〈ニコニコ裁判所〉のやつらだ」アーミテイジはようやくそれだけ絞り出した。
「ポコチンどもがなんであんたを襲わなきゃなんないんだ?」
「独占禁止法違反だそうだ」
民間裁判所は実効支配エリアに法律を公布し、それを購入した人びとへ保護と治安維持サービスを提供する(という建前)。域内で違反があれば処罰の対象になるけど、それはあくまで法律を買ったやつに限っての話だ。
〈ニコニコ裁判所〉の法律なんか大便以下の価値しかないと息巻いてたドクターが、連中からサービスを買ってたはずがない。いっぽう、彼は安く売りすぎるってんで同業他社から目の敵にされてた。そいつらの商売する権利を守ったってわけだ。反吐が出る!
「よく聞け。おまえはどうしようもないガキだ」ドクターの口から赤黒い塊がまろび出た。「だが物事に筋を通す良心を持ってる。そうだな」
俺は黙ってうなずいた。いくらでもひねくれた減らず口を叩くことはできたけど、そうするのは許しがたい誤りのように思えた。
「おまえは――おまえだけはそれを守り通せ。人間をやめるな」
俺は何度もまばたきしながらうなずいた。「わかったよ、ドクター」
アーミテイジは無残に砕かれたあごを歪ませた。
たぶん、笑ってたんだと思う。
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