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あるところに、飛べない鳥がいました。鳥は、仲間たちと一緒に羽ばたくことも、空の本当の大きさも知ることができないので、ひとり歩いて旅をしていました。
太陽がじりじりと地面を焼くようなある夏の日、鳥は、とある丘の上に光り輝く何かがあるのを見つけました。
丘を登ると、そこには、さらさらした七色に輝く砂があたり一面に積もっています。そして、それを大きなシャベルで一心に掘り続ける男がいました。
鳥は男の足元に駆け寄りました。見上げると、大きな男はギラギラと照りつける太陽を背負うように重なって、よく顔が見えませんでした。重いシャベルで砂を掘り続けているからか、男の顔からポタポタと汗が落ちてきます。
「おじさん、何をしているの?」鳥はたずねました。
「こうして灰を掘っているんだよ」
「灰?」鳥は首をかしげます。
男は少しの間動きを止めて、シャベルを灰の山に刺すように立てました。
「君は鳥なのに、知らないのかい?」
こくりと鳥がうなずくと、男は言いました。
ここは太陽に一番近い丘なんだよ。太陽の光は命を照らし、木々を育て、大地に恵みをもたらしてくれる。だから世界中の鳥たちが、この丘から、太陽のカケラを求めて飛び立つんだ。太陽まで空高く、どこまでも高く飛んで、カケラを少しだけ取って帰ってくるためさ。太陽のカケラがあれば、温かな光に包まれて、暗闇に連れ去られることなく暮らしていけるからな。
でも、太陽まで行ってカケラを取って戻ってきた鳥はいない。太陽はとても熱いんだ。太陽までたどり着く前にこうして燃え尽きて、鳥たちの灰がこの丘に降り注ぐのさ。鳥たちの美しい羽根が、こうして七色の灰になってこの丘に帰ってくる。俺はそれを掘っているんだよ。
鳥は言葉もなく男の話を聞いていました。
「君の生まれた国では、太陽のカケラを取りに行く鳥はいないのかい?」
男は腰を曲げて、男の武骨なブーツの間から見上げている小さな小さな鳥を覗き込みました。
「僕は飛べないから、鳥の国にはいられなくなって、一人で旅に出たんだ」
「そうか、それは辛い思いをしたんだな」
「それで、おじさんはどうして灰を掘っているの?」
「はは、君は好奇心の強い鳥だな。ちょうど休憩をしようと思っていたから、どうだい、もし急ぐ旅じゃないなら、おれの家に寄っていかないか。長い話になるんだよ」
鳥がこくりと頷くと、男はシャベルを灰に突き立てたまま、くるりと背を向けて歩き始めました。ざく、ざくと男の大きなブーツが灰の上を歩くたびに灰が舞い上げられて、キラキラと太陽の光を纏って虹のように輝きながら、静かにまた降り注ぎます。
「ああ、灰の上は歩きにくいだろう。君は小さいから、まるで砂漠にいるみたいだな。俺の肩に乗るかい」
「ううん、大丈夫」鳥は少しムッとして答えました。
男は丸太を組み立てた小さな平屋に住んでいました。うす暗い部屋にはベッドと小さな一脚の椅子、テーブル、簡素な台所だけが、ずっと昔からそこにあったようにじっと二人を出迎えました。平屋で唯一の小さな窓は長く使われていないのか灰に覆われていて、もやもやとした曖昧な光が不思議に部屋を照らしています。
「ドルセの実があるよ、食べたことあるかい?」
男は床下の貯蔵庫から、大きくて硬そうなオレンジ色の木の実を取り出してテーブルの上に置きました。鳥はピョンピョンと床から椅子、椅子からテーブルに飛び乗って、じっと木の実を観察しました。鳥の小さなくちばしでは到底割れそうにない硬そうな実から、甘酸っぱい香りが漂ってきます。
鳥が首を横にふると、男は大きなナイフを取り出して、木の実を半分に割りました。途端に甘い匂いが部屋中に広がります。木の実の中は真っ赤なつぶつぶがたくさん詰まっていて、果汁がツヤツヤと輝いています。鳥はごくりと唾を飲みました。
「食べてみな」男はニヤッと笑って言いました。
鳥はドルセの実の半分に飛び乗りました。赤いつぶつぶの一つをついばむと、まず甘い香りが口の中に広がり、そしてつぶが弾けたかと思うと、みずみずしい果汁が溢れ、甘さをぐっと凝縮した実が舌の上を転がります。何度も押し寄せる甘さに、鳥は幸せいっぱいになりました。
「おいしい!こんなおいしい実のことを知らなかったなんて!」
男は、もう半分のドルセの実から鳥が食べた何十倍ものつぶつぶを摘まみとってほおばりながら、満足そうに頷きました。
「そうだろう。おれも友だちに教えてもらうまで知らなかったんだ。それで、同じことを言ったんだよ。なんでもっと早くドルセの実のことを知らなかったんだ、ってな」
「うん。この日のこと、一生忘れないよ」
二つ目、三つ目と粒をついばんで、鳥はドルセの実の果汁が身体中に染み渡るような、温かい幸せに包まれているような気持ちになりました。長い旅の中で、誰かとこんなにおいしい食べ物を分かちあって食べるのは、鳥にとって初めてのことでした。
「さて」男は大きな深呼吸をしました。
「おれが灰を掘っている理由だったな。さっきも言ったが、とても長い話なんだ。聞いてくれるか?」
鳥がうなずくと、男はゆっくりと話し始めました。
おれは昔、遠くの村で木こりをやっていたんだ。ここから山と川を三つずつ越えたところにある、小さな村だ。ある日も山で木を切っていたら、見かけない白い鳥が話しかけてきたのさ。北の国のなまりがある話し方で、旅の鳥だとすぐわかった。鳥の名前はイラといった。イラは北の山を越えたところにおいしそうな実を見つけたから、割るのを手伝ってほしいと言ったんだ。おれは言ったのさ、簡単に言うなってな。
「鳥なら山くらい簡単に越えられるだろうが、おれは人間だぞ。北の山の向こうに行くには、おれの足じゃ五日はかかる」
「大丈夫さ、とてもおいしそうだったから。あの実を食べたら、あんたもきっと五日歩いてよかったと思うよ」
イラは、明るく気さくで、あっけらかんと無茶を言う鳥だった。なんでおれなんだって聞くと、なんてことはない、その果物を見つけてから最初に出会った人間が俺なんだと言う。今考えてもおかしなことだと思うが、おれはイラのことをおもしろい鳥だと思ったんだ。どうせ俺には家族がいなかった。小さな村で優しい隣人たちに囲まれていたが、朝から日が沈むまで木を切ることしか知らないおれには、北の山を越えて見たこともない果物を割りに行くのは大冒険のように感じたんだ。それで、イラの誘いに乗ることにした。
「じゃあ、五日後に山の向こうで会おう。おまえの翼なら一日もかからないだろうから、先に行って休んでいるといい」
「二人一緒に行こうよ。一人の旅には飽きていたところだから」
そうして、イラとの短い旅が始まった。イラは遠く北の国から旅をしてきて、おれよりも世界のことをたくさん知っていた。あんな小さな身体でだ。おれは、旅の道中イラを肩に乗せて、イラの故郷に訪れる長い冬のことを聞くのが好きだった。きんと張りつめた冷たい空気の中に、まるで綿毛のように空から雪が降ってくる。一晩も降り続ければ、朝にはあたり一面真っ白になっている。おれはイラの話から想像することしかできなかったが、まるで夢の中にいるみたいな不思議な気持ちになったもんだ。あっという間に五日が経って、おれたちは山を越えた。そしてドルセの実を見つけたのさ。
「ほら、とても硬いでしょう。木から落ちても割れないし、つついてみてもくちばしがジーンとするだけで、ほとほと困ってたんだよ」
おれは落ちていた実を一つ手に取って、ナイフで割ってやった。簡単なもんさ。でも、この中身を見るために、小さなイラは山を越えておれに出会い、五日かけてまた戻ってきたんだ。
赤くてつぶつぶした実、硬い皮からは想像もできないみずみずしい中身に、おれたちは目を輝かせた。イラは一粒、おれは一つまみ分を、「せーの」で一緒に食べた。俺は「なんだこりゃ!」と思わず叫んだし、イラは飛び上がって、しばらくそのへんをパタパタと飛んでいた。
「ほら、五日かけて果実を割りに来てよかったでしょう」イラはそれはもう得意げだった。「旅とはこういうものだよ」
たった五日で、おれはすっかりイラに興味がわいた。それで、村を出てイラの旅に少しだけ付き合うことにしたんだ。
鳥は、北の国からはるばる空を飛んでやってきたイラの旅路のことを考えました。空を飛べるイラは、一体どんな素晴らしい景色を眺めたんだろう。海の向こう側を見たのだろうか、世界一高い木の上に止まったりしたのだろうか。少しうらやましい気持ちになりました。
「イラは、どうして旅に出たんだろう?」
男は、ふーむ、と顎をかいて考えました。
「きっと、北の国はイラにとっては狭すぎたんだ。イラは、新しい世界を旅して、見て、聞いて、食べて、学ぶことが大好きだった。おれも旅して気付いたんだ。新しい世界を知ったあとは、まるで昨日のおれとは違うような気がするのさ」
鳥はドルセの実をもう一粒ついばみました。
「旅に出なければ、イラはこうして世界一おいしい実に出会うことがなかったんだね」
「そうだ。それに、おまえだってそうだよ」男はにっかりと笑いました。
旅の途中、おれたちは見たことのない色の花の名前を当てずっぽうで言い合ったり、滝を上っていく不思議な魚を観察したり、どうして太陽と月は出会えないのかを話し合ったりした。あんなに笑ったり、驚いたり、生き生きとした時間を過ごすのは初めてだった。イラとの旅は、きっとおれの人生を変えてくれるんだと思った。
だけど、イラとの旅は長くは続かなかった。おれたちは三つの山と川を越えて、この丘にやってきた。そして、ここで出会った南の国の鳥から、太陽のカケラのことを聞いたのさ。遠い北の国では、太陽のカケラのことはまだ知られていなかった。話を聞くうちに、イラの目が期待と好奇心でいっぱいになってキラキラと光るのがわかった。まるでドルセの実を初めて食べたときのようにな。
「すごい!太陽のカケラがあれば、北の国に住む鳥たちも、長い冬に凍えずに、安心して暮らせるかもしれない」
「……イラ、まさか、太陽のカケラを取りにいくなんて言わないよな?今まで生きて戻った鳥はいないんだ」
おれは恐ろしかった。初めてできた友だちが、生きて戻るかわからない旅に出てしまうのが。でも、イラはこう言った。
「わたしはもう、世界のほとんどを旅したんだ。北も南も、透き通る海も切り立つ山も、じゅうぶんすぎるくらいに。それに、こうして一緒に旅する友だちにも出会えた。だから、太陽への旅がどんなに辛く恐ろしくても、そしてこれが最後の旅になるかもしれないとしても、わたしは何も怖くないんだ」
おれは、恥も捨てて泣いてすがった。もう会えないなんて嫌だ、もっとおれと旅したっていいじゃないか、そんな辛い思いをしなくたって、きっとふたりなら笑って暮らしていけるはずだ、ってな。でもイラは、とうとう最後まで決意を変えなかった。今思えば、おれはただ、ひとり取り残されるのが恐ろしかったのさ。もちろんイラには危ない旅をしてほしくなかった。でもイラがそうしたいって言ったんだ。おれにイラを止められるはずがなかった。
「一緒に旅をしてくれてありがとう。あの実を割るのを、あんたにお願いしてよかった」旅立つ前に、おれの肩の上でイラは言った。「どうか、元気でね」
「おれは、おまえが太陽のカケラを持って帰ってくるのを、ここで楽しみに待ってるよ」それが精いっぱいの言葉だった。
イラはおれの肩から勢いよく飛び立って、ほかの旅の鳥たちと一緒に、太陽に向かって一直線に飛んで行った。鳥たちの群れがどんどん小さくなって、やがて見えなくなるまで、おれはただ見つめることしかできなかった。
イラが行ってしまってから、おれはすっかり心に穴が開いたようになって、腕に力が入らず、飯の味もしないくらい参ってしまった。
イラは世界中を旅した特別な鳥だ。きっと誰にもできなかったことを成し遂げて帰ってくるんだ。そして、もう一度二人で旅をするんだ。そう何度も自分に言い聞かせた。でも、数日経ったある日、おれはこの丘に灰が降り注ぐのを見たんだ。
大きな丸い月が浮かぶ、静かな夜だった。おれは灰の山の上で空を見上げていた。そのとき、さらさらと空から光の筋のようなものが降ってきたような気がした。手のひらを前に出して確かめると、それは灰だった。月明かりを吸い込んだみたいに輝く、白い灰だった。
おれはすぐに気が付いた。イラだ。イラはこうしておれのところに戻ってきたんだ。おれは泣いて崩れ落ちた。さらさらと月夜に降りつもる一握りの灰は、悲しいくらい脆くて、柔らかくて、美しかった。それでおれは余計に泣いた。
結局、おれはイラの白い灰の前で三日三晩泣いて過ごした。それでも腹は減るんだ。空腹に耐えきれなかったおれは、呆然としたまま鞄の中を漁った。おれもいっそのこと灰になってしまいたい、そう思っていたのに、憎いもので、手は勝手に動くんだ。鞄には、イラが戻ってきたら一緒に食べようと、最後に残していたドルセの実が入っていただけだった。
おれはドルセの実を割って、夢中になって食べた。それがあまりにもうまいんだ。乾いた口の中から、疲れ果てた身体中に、優しい甘さが広がっていく。「おいしいでしょう」と自慢げなイラの声が聞こえてくるようだった。おれは情けなく嗚咽をあげながら平らげた。
そして、空になったドルセの実を見つめながら、おれは気付いたんだ。おれがまだしっかり生きていれば、おれとイラの旅は終わらないんだと。イラと旅をしていたときのように、おれは新しいことをもっとたくさん知って、前とは違う人間になるんだ。明日のおれだって、今日のおれとは違う人間になれるはずだ、ってな。
次の日、おれはいつもよりもしっかり地面を踏みしめて、この虹色の灰の山の前に立った。イラは太陽のカケラを取って戻ることはできなかったが、いつかそれを成し遂げる鳥がいるかもしれない。それに、本当のことは誰にもわからないんだ。「太陽にたどり着く前に燃え尽きてしまう」というけれど、本当は太陽のカケラを手に入れて、そのあとで力尽きてしまった鳥がいるかもしれないだろう。だからおれはここで、灰を掘って、どこかに誰にも気付かれずに落ちてきた太陽のカケラがないか、探しているのさ。鳥たちの命をかけた旅の続きを確かめるためにな。
一気に話し終えて、男はふぅーと長い息を吐きました。そして、ゆっくりと笑みを浮かべて言いました。
「それに、おれもたまに旅に出るのさ。気のむくまま、風に導かれるままに知らない土地をまわるんだ。この実の名前が『ドルセの実』ということも、後から知った。どんな気候で育って、どうやって流通しているのかも知った。旅に出るたびに、前とは違うおれになって帰ってくる。おれはまだ、イラとの旅のつづきの途中なんだ」
話し終えた男の目は、涙を蓄えているようにも、決意を秘めて輝いているようにも見えました。鳥は、そんな男の眼差しをじっと見つめてから、男の家を見回しました。
薄暗い家の中は、いろんなところに蜘蛛の巣が張っていて、テーブルや椅子も古く、ところどころ傷がついたり、表面が剥がれ落ちたり、日に焼けた部分が色褪せたりしています。床の隙間には、男のブーツにくっついてきた灰が、掃き出せないほど奥深くまで入り込んでいます。しかし、よく見るとベッドの上には綺麗に布団が畳んであり、台所には今朝洗ったばかりのように見える食器がきれいに並んでいました。雑然として、まるで時が止まってしまったような家の中で、男は確かに生活をしているのです。
「……おじさん」しばらくして、鳥は言いました。
「なんだい」
「僕もここに残って、一緒に太陽のカケラを探してもいいかな」
「……おまえの旅はいいのか?」
「僕も、鳥たちの旅の続きを確かめてみたい。飛べなくても、探し物は得意だから。それに、おじさんとイラの話をもっと聞きたいんだ」
鳥は、偶然飛べないように生まれてきたために、これまでずっと一人でした。鳥なのに、鳥ではないように感じていました。自分と同じような誰かに出会ったことがないために、誰かと一緒に旅をしたり、誰かの旅の続きをすることも、考えたこともなかったのです。鳥は、男の話を聞いて、初めてひとりではないような、不思議な気持ちになったのでした。
男と鳥はよく似ていました。大空に羽ばたいていく鳥たちの後ろ姿をどんなに眺めても、二人はこの大地から離れられないのです。しかし、それぞれの足で旅をして、この七色の灰の丘で出会いました。
「そうか、そうか」男はうなずきました。
「だったら、今日から相棒だ。よろしくな」
「うん、よろしくね」
その日、鳥と男は、ドルセの実を食べ終わって、日が暮れて、そして疲れて穏やかな眠りにつくまで、様々な旅の思い出を語りあいました。
外には、七色の灰が月の光を浴びながら、音もなく降りつもっています。
おしまい
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