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【宣戦布告】①
カッセル守備隊の隊長、アリスが起床した時には隣の寝台は空だった。司令官のエルダはすでに始動しているのだ。
カーテンを開け窓の外を見た。空は暗く、城砦の塔が黒々として見えた。出陣の朝はまだ明けていない。
布団から出るのがつらい。柔らかい寝台ともしばらくお別れだ。今夜からは馬車の荷台か、さもなければ野宿を余儀なくされる。せめて、風を避けられる岩の陰で眠りたいものだ。
着替えをしようとして迷った。確か、全員分の衣装は副隊長のカエデが用意してくれているはずだ。といって隊長ともあろうものが、こんな日の朝に室内着のままで顔を出したら懲罰物だ。
「ああ、また戦場か・・・」
しかたがないので、とりあえず軍服に袖を通した。
カッセル守備隊は再び出陣することになった。
しかも、戦う相手はバロンギア帝国ローズ騎士団とシュロス月光軍団との合同軍である。その敵を迎撃するため、守備隊はまたしても僅か十人足らずで立ち向かうのだ。
昨日、シュロスの城砦から使者がカッセルに到来した。宣戦布告の書状を携えてきたのだった。
『バロンギア帝国皇帝の親衛隊にして、正義の軍隊であるローズ騎士団は、ここに、邪悪なるルーラント公国のカッセル守備隊を壊滅させるため出陣を決意・・・』
このような調子で宣戦布告がなされた。
ローズ騎士団に加えて月光軍団も出陣してくるという。宣戦布告状には、カッセル守備隊が標的であると記されていた。先の戦いからまだ日が浅いというのに、カッセル守備隊はこの挑発に応じざるを得なかった。
それというのも、月光軍団の部隊長ナンリが騎士団に捕らえられ、さらに、シュロスへ送り返したフィデスまでもが拘束されたという報告がもたらされていたからだった。
*****
月光軍団の捕虜フィデスとパテリアを送り届けたリーナは、カッセルには戻らず密かにシュロスの城砦を見張っていた・・・
二人が乗った馬車は長いこと城門で足止めされていた。不審に思ったリーナは商人の馬車の荷台に潜り込んで城砦に入った。しばらくするとフィデスだけが両脇を抱えられて馬車から降ろされた。どう見ても歓迎されている雰囲気ではない。事情を掴もうと町の中で聞き込みをしてみた。
「屋台の酒場で聞いたのですが・・・」
その主人はローズ騎士団はこんな安酒場には来てくれないと嘆いていた。
ローズ騎士団は王宮には帰らずシュロスの城砦に逗留していたのだ。しかも、シュロスの城砦を支配下に置いたようだった。酒場の主人は兵舎の高札を見たと言った。それによると、部隊長のナンリはローズ騎士団によって裁判に掛けられ、敗戦の責任と敵を見逃したことを問われて監獄に入れられたということだった。
「あんた、あんまり月光軍団の話をすると騎士団に目を付けられるぞ」
酔っ払いに忠告された。
リーナは危険を覚悟で兵舎の調理場に忍び込んだ。
そこで耳にしたのは、「捕虜から生還したというのに、あんな所に押し込められては気の毒だ」と、メイドたちの囁き合う声だった。
フィデスもまた牢獄に入れられたのだ。
その夜エルダは一晩中、泣き明かした
フィデスさんが監禁されている。
シュロスへ帰すのではなかった。カッセルに留めて、ずっと一緒に暮らすべきだった。縛り付けてでも手元に置いておくべきだった。自分のモノにすれば良かったのだ。フィデスのためを思ってシュロスに帰したのに、それが間違いだった。
・・・フィデスの笑顔が目に浮かんできた。
隊長のアリスはエルダの心中を察した。
これまでのさまざまな出来事が脳裏を駆け巡る。カッセルの城砦に左遷され、隊員たちと出会い、戦場に赴き、危うく殺されるところだった。最前線の軍隊だから当然なのだが、思い出すのは、苦しいこと辛いことばかりだった。けれど、こうして生きているのだ。それというのも、常に先頭に立ってくれたエルダのおかげだ。エルダがいなければアリスも部隊の仲間も、今ごろは荒野で骨となって朽ち果てていただろう。相手は大部隊だったから、こちらの作戦はうまくいかなかったところもあったけれど、危機を乗り越えて最後は大勝利を挙げたではないか。
アリスにはエルダが苦しんでいるのが痛いほどよく分かる。月光軍団のフィデスとナンリの二人には戦場で助けられたことがある。身柄を拘束されたときは丁重に扱ってくれたし、マリアお嬢様を見逃してくれた。そこは感謝してもし切れない。その二人が苦境にある。何とかしてあげたいのはアリスも同じだ。
しかし、フィデスとナンリは敵国の人間なのだ。
三姉妹がチュレスタに潜入した時、ローズ騎士団は十数人程度だったと聞いている。その人数で月光軍団を支配下に置いたとすると、かなり強引な方法を用いたに違いない。エルダはその騎士団が待ち構えるところにフィデスを帰してしまったのだった。
ルーラント公国の法令では、地方の軍での規律違反は州都の裁判所に委ねることになっている。バロンギア帝国でも同じようなことだと推測されるが、辺境州を統括する州都も王宮の親衛隊が相手では口が挟めないのだろう。本来であれば隣国の内部での諍いだ、こちらがとやかく言う筋合いのものではない。ローズ騎士団と月光軍団との内輪揉めはシュロスの弱体化を招くことになるから、カッセル守備隊としてはむしろ歓迎すべきものだ
しかし、エルダは後悔の念に打ちひしがれている。
なぜなら、敵を、月光軍団のフィデスを愛してしまったからだ・・・
今ではそれぞれ昇進して、隊長のアリス、司令官のエルダとなった。カッセル守備隊の中枢部隊であるが、隊員は以前と同様に僅かに十人ほどだ。これにロッティーを加えて十一人だ。今回もこの部隊だけで出陣するのである。副隊長のカエデが率いるカッセル守備隊の本隊は城砦に残ることになった。
出陣にあたっての会議を開いた。
暖炉は火が消えかかっていて部屋はうすら寒い。二つある窓からは弱々しい光りが差し込んでいるだけだ。
「戦場から帰ったばかりですが、みなさんには、また出陣をお願いします」
司令官のエルダは床に腰を下ろし壁に凭れかかっている。話す声が小さくて覇気が感じられない。ベルネやスターチ、隊員たちは床にしゃがんで聞いていたが、だんだん前に出てきてエルダを取り囲むように小さく固まった。
「バロンギア帝国ローズ騎士団が宣戦布告してきました。わが国の領土を蹂躙しようとしています。これを黙認するわけには、いきま・・・せん」
ゴホッ、と咳き込んだ。
「しかも、月光軍団を支配下に置き、ナンリさんやフィデスさんを監禁しているというではありませんか」
「それはひどい」
ベルネが拳を突き上げたが、いつもより控えめだった。
エルダが続けた。
「フィデスさんにはお客様のような扱いをしました。それというのも、シュロスとは友好的な関係を築きたいと願ったからです。しかし、ローズ騎士団には通じなかった」
スターチが頷いた。敵の陣営にはフィデスやパテリア、それにナンリも加わっていることだろう、本音のところでは戦いは避けたいものだ。
「ローズ騎士団は王宮の親衛隊であり、宣戦布告の書状によると皇帝の近親者が名誉団長に就いているそうです。バロンギア帝国の皇帝と干戈を交えるような事態にならないようにしたいのです」
「・・・となったら、その時こそ出番です」
末席にいたマリアお嬢様とお付きのアンナが何やら囁いている。貴族のお嬢様ともなると他国とも親交があり、皇帝に縁のあるバロンギア帝国軍と正面切って争いたくないのだろう。
「私は・・・戦うというよりは・・・投獄されたフィデスさんとナンリさんを助け出したい」
「救出作戦か。敵陣営に突入して敵から・・・助ける」
ベルネはそう言いながら腕を組んで考え込んだ。
敵とはローズ騎士団。フィデスさんは、そしてナンリも・・・守備隊にとってはむしろ味方というべきだ。
会議が終わるとアリスは城壁にあがった。カッセルの城砦に来た当初、こうして一人で城壁にあがり、狭間に隠れて外の景色を眺めていた。あの頃は「副隊長補佐」で、守備隊から干されていたこともあって、どこにも心休まる場所がなかったのだ。今ではれっきとした隊長なのであるが、それでも部下とは距離を感じている。役目柄、隊長は孤独だとか一人で理屈をつけて納得していた。
それにしても、エルダとはお互い、もう少し打ち解けて話をしたいのだが、話すことと言えば、隊の装備や経理の事務的なことばかりである。どこで生まれたとか、兄弟姉妹は何をしているのかとか、お互いの身の上話は何一つ語り合うことはなかった。もっとも、アリスは不倫して左遷されてきたので隠しておきたい過去がある。エルダにも触れられたくない過去があるのだろう。あまり追及して姿を消されては困るのでこれまでは黙っていた。
さて、今度の戦いである。相手はローズ騎士団、バロンギア帝国の王宮の親衛隊だ。皇帝とも繋がりがある、やっかいな相手と戦わなくてはならなくなった。
城壁を吹き抜ける風が強くなったので襟を立てて縮こまった。太陽が照れば暖かい陽射しで心も身体も緩んでほぐれる。月光軍団の捕虜に親切に応対したのは暖かい陽射しだったはずだ。
エルダの照らす陽の光はシュロスに届いたと思ったのだが・・・
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