【薬草鍋】①

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【薬草鍋】①

 バロンギア帝国ローズ騎士団が進撃を続ける。カッセル守備隊の抵抗を受けることなく国境を越えて進軍していった。副団長のビビアン・ローラは、このまま一気にカッセルの城砦に攻め込み、爆弾で城壁を破壊してやると息まいた。とはいえ、本音のところでは、領土を拡張するだけで戦争を終了させたいのだった。  その日はルーラント公国の領内で陣を張った。宿営地にはローズ騎士団の旗とともにバロンギア帝国旗も翻っている。すでにここはバロンギア帝国の支配下と言ってもよかった。  宿営地には、三角の屋根に周囲を布地で覆い、内部は板敷という本格的なテントも建てられている。これはローズ騎士団専用であり、月光軍団は中央の柱に屋根を架けた簡易テントか、さもなくば野宿をさせられる。  宿営地の入り口の街道には、武器や食料を積んだ馬車が何台も停車していた。奥まった場所に停っている一台は見張りが配置されていて、いかにも物々しい雰囲気だった。それもそのはず、馬車には爆弾が積まれ、さらに、月光軍団の副隊長フィデスが監禁されているのだ。    *****  カッセル守備隊は気付かれることなくローズ騎士団の宿営地の近くに集結していた。  食事の支度の時間を見計らって、レイチェル、マリアお嬢様、アンナが敵陣に向かった。レイチェルが手にした籠には薬をしみ込ませた青菜が入っている。これを食事の鍋に混入するのが任務だ。 「お嬢様、離れずに付いてきてください」  お付きのアンナがお嬢様を振り返った。お嬢様は敵陣が近くなり人声が聞こえてくると怖くなったのか、段々と遅れだしてきた。 「だって、こんな服、誰かに見られたら恥ずかしいわ」  マリアお嬢様は質素な麻のチュニックにスカートを着ている。カッセルの城砦を抜け出すときに三姉妹が着ていたものだ。村の娘に見せかけて炊事場に近づこうという作戦だが、色白で気品のあるお嬢様はどう見ても村娘には見えない。戦場では顔見知りに会うことなどないだろうに、いかにもお嬢様らしい心配をした。 「大丈夫です、その恰好ではどう見てもお嬢様には見えません、きれいなドレスを着てこそですから」 「まあ、うれしい」  褒めているような、いないような言い方だったが、アンナに言われてとりあえずお嬢様は納得した。 「お嬢様、今回の戦いはこの任務が成功するかどうかに掛かっているんです」 「そうでした、この葉っぱには毒が振りかけてあるのでした」 「これは毒ではなくて薬です、消化を良くする薬草の一種ですよ、お嬢様」 「マーゴットは毒だって言ってたわ」  あれほど毒は使わないようにと指示されたのに、マーゴットが使ったのは腹痛を起こす毒薬だった。 「だからレイチェルに持ってもらったの」 「それじゃ、あたしは毒の当番ですか・・・どれ」  籠の中を覗いたレイチェルが思わずのけ反った。 「真っ赤だ」  毒薬のせいで青菜はしおれ、赤や黄色の混じった緑黄色野菜に変色していた。誰が見ても毒々しい。 「こんなもの食べさせるの、さすがに、これはマズいよ」 「マーゴットが隊長さんで試したから、全然、平気」  そういえば、出てくるときに隊長の姿が見えなかった。隊長のアリスは毒草の実験台にされてしまったのだ。 「バッチリですよ、何人でも殺せます」 「し、静かに」  レイチェルがお嬢様を止めたがすでに遅かった。  ガサガサ  木の陰に誰かいる。レイチェルは身構えた。 「誰・・・」「あれ」「まあ」  木の後ろから現れたのは月光軍団のトリルとマギー、パテリアたちだった。 「誰かと思ったらば、マリアお嬢様ではありませんか」  変装したにもかかわらずパテリアにはあっさり見破られてしまった。 「もうバレたなんて・・・貧しくて貧乏で、みすぼらしくて薄汚れた村娘になったつもりだったのに」 「残念ですが、どこから見ても、貧乏でみすぼらしい娘には見えません」 「ほほほ、そこがお金持ちのつらいところです」 「つらくなるほどお金があるとは、さすがは貴族のお嬢様ですね」  月光軍団の隊員トリルやマギーたちは食事の支度をしていたが、適当にサボって炊事場の裏の山にあがっていた。そこで、バッタリお嬢様たちに遭遇したのだ。まさか宿営地で守備隊のマリアお嬢様に出会うとは思いもよらぬことだった。 「お嬢様、会いたかった」  シュロスの城砦ではローズ騎士団に虐められ、こき使われ、辛く苦しいことばかりが続いている。パテリアにとってはカッセルで捕虜になっていた時期の方がマシだった。  お嬢様の顔を見て沈んでいた気持ちが一気に明るくなった。ところが、お嬢様はいつもの調子でこう言うのだった。 「パテリアちゃん、今度こそ召使いにしてあげる」 「会うんじゃなかった」  お嬢様もパテリアも友達気分が抜けていない。敵同士だというのに、まるで緊張感のない会話だ。 「すみません、この人たちは誰ですか」  トリルの背中から騎士団のメイドのレモンが顔を出した。後ろにはミユウもいる。二人も月光軍団の隊員と一緒になって炊事場を抜け出していた。  パテリアが紹介した。 「あなたたちは初めてだったよね。こちらは、カッセル守備隊のレイチェル、それにマリアお嬢様とお付きのアンナさん。こう見えても、お嬢様は由緒ある貴族の家柄なのよ」 「よろしくね」 「この二人は、メイドのレモンちゃんとミユウちゃん。レモンちゃんは騎士団のメイドだけど召使いみたいにされてる、かわいそうなの」 「レモンです。どうぞよろしくお願いいたします」  レモンが膝をついてお辞儀をした。 「よろしい挨拶ですね。私、もう一人召使いが欲しいところだったわ。レモン、私の召使いになりなさい」  初対面でもいきなり召使いに欲しがるお嬢様であった。 「ところで、パテリアちゃんはシュロスへ戻って、お元気にしてましたか」  それとなく、お付きのアンナが尋ねるとパテリアは表情を曇らせた。 「それが、実は・・・」  パテリアはシュロスの城砦に無事に帰ったものの、そのことを騎士団から強く責められたと話した。 「大変だったのですね」 「捕虜にされていた方が、みんな優しくしてくれて・・・」  パテリアが顔を覆って泣き出したのでアンナが抱きしめた。 「私は鞭打ちぐらいですんだけど、フィデスさんとナンリさんは」  パテリアがフィデスとナンリの名を口にした。 「フィデスさんはどうしているの、心配だわ」  アンナは何も知らないふりをして詳しい情報を聞き出すことにした。  パテリアの話すところによると、月光軍団のナンリは敗戦の責任を取らされ投獄され、自分たちの見ている前で拷問を受けた。フィデスも帰還した後は監禁されてしまったということだった。    州都軍務部所属のミユウにとっては、何とも理解できない状況が繰り広げられていた。宿営地の目と鼻の先で敵が偵察していたのである。こんな近くまで守備隊が忍び寄っていたとは思ってもみなかった。いきなりの不覚だ。  それなのに、月光軍団のトリルたちは応戦するどころか、まるで友達同士のようなおしゃべりをしている。もっとも、守備隊の偵察員というのはお粗末すぎる。どうみても偵察任務をしているとは思えない。お嬢様はレモンとハイタッチしていた。初対面なのに意気投合したようだ。しかし、レイチェルという隊員だけは身構えた様子からかなり訓練されていると思えた。  かつてカッセルに潜入していたときには顔を見られないよう努めていたが、念のためフードを目深に被り直した。  相手の関心はフィデスに向けられているので、少し新しい情報を与えて反応を見ることにした。 「私、何度か食事を運んだことがあります」  ミユウはお嬢様のお付きのアンナに向かって言った。お嬢様と違ってアンナはまともに話が通じそうである。 「二人は守備隊の見習い隊員を見逃したことにより、規律違反を問われたのです。私は、牢獄に閉じ込められていたフィデスさんとナンリさんをお世話しました」 「フィデスさんには戦場で助けてもらったのに牢屋なんて」 「かなり厳しくお咎めを受けましたが、二人は気丈にも頑張っています」  ローラによって暴行され、辱めを与えられたことは言わないでおいた方がよさそうだ。 「親切にしてくれた人が牢屋に入れられるなんて気の毒です。今度は私たちが助けてあげる番だわ」  そう言ってお嬢様が手を合わせた。  お嬢様はフィデスのことを気遣っている。そればかりでなく二人を助け出そうとしている気配が感じられる。うっかり本音を口にしたのだ。守備隊の作戦の一部が明らかになってきたのでミユウはお嬢様に感謝した。 「二人とも従軍しているのかしら」  守備隊にはフィデスの安否に関する情報までは伝わっていないとみえる。 「はい、城砦の牢屋から連れ出されて、この宿営地にいます。でも、監視がいて側には近寄れません」  ミユウが答えた。これくらいは相手に教えてもいいだろう。
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