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 体育の一件から沈んだ気分のまま、自転車で帰路につく。部活は特に入っていない。 友達らしい友達もいない。   穂波は授業が終われば真っ直ぐに家に帰るしかない。 家に帰ってすることといえば、勉強と家事、飼い犬のランマルと(たわむ)れることだけ……。 「あっ、ヨシロー…。今日はどうして、よく会うねぇ」  自宅の生垣あたりに差し掛かると、門前を見慣れた茶黒の生き物が陣取っていた。  行儀よく“おすわり”して待つ姿は、どこか品の良さすら感じさせる。だから、やはり野良ではないだろうと穂波は思った。 「ちょっと待ってね、家に美味しいものあった気がする。持ってくるね」  穂波は無理矢理、笑顔を作った。  辛気臭い表情(かお)を見せたくなかったのだ。  敷地の隅に自転車を止めて、ロックをかける。いったん家へ入ろうとすると、ふいに、吉郎が袖口を引っ張った。 「ん? どうしたの。キミから触れてくるなんて珍しい」  そっと手を伸ばすと、指先をぺろりと舐められた。本当に、今日はどうしたのだろう。 (もしかして……あたしが落ち込んでたから?)  イヌは飼い主が悲しい時に寄り添ってくれるという。  穂波は吉郎の飼い主ではないけれど、彼なりに何か感じることがあったのかもしれない。  思わず、まじまじとその瞳を見つめる。  琥珀色の光を溜めた両眼。 「吉郎、キミはどうして毎日ここへ来るの」  試しに額を撫でてみる。  抵抗されなかった。やっと慣れてくれたのだろうか。 「もしかして、あたしに会いに……?」  わん、と声を上げたのは、吉郎ではなくランマルだった。リードをつけたランマルが、門扉から鼻先を出す。 「穂波ちゃん、ただいま」 「あ、おばあちゃん! ランマルと散歩に行ってたの?」  出かけていたらしい千代が門を開いた時、 「ぎゃ」  吉郎はさっと身を(ひるがえ)し、その隙間から逃げてしまった。千代もランマルも、驚いて硬直している。 「大丈夫? おばあちゃん」 「今のは何だね……」 「吉郎だよ。前にもちょっと話したでしょう? 最近ウチによく遊びに来るイヌがいるって」  吉郎が走り去った方向を見つめる。 もう影も形もない。 「“イヌ”……ねぇ?」 千代は少し奇妙な顔をした。 「どうしたの、何か変?」 「いいや……。うん、そうだ。おやつにどら焼きがあるんだけど、食べるかね」 「食べたい!」  小腹が空いて意識はどら焼きに移りつつも、穂波は心の端っこで呟いた。 (きっと、また戻って来るよね……?)  今日、少しだけ仲良くなれた気がした。  人付き合いが苦手な穂波は、彼が毎日顔を出してくれるだけで、本当に嬉しかったのだ。
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