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1-6
体育の一件から沈んだ気分のまま、自転車で帰路につく。部活は特に入っていない。
友達らしい友達もいない。
穂波は授業が終われば真っ直ぐに家に帰るしかない。 家に帰ってすることといえば、勉強と家事、飼い犬のランマルと戯れることだけ……。
「あっ、ヨシロー…。今日はどうして、よく会うねぇ」
自宅の生垣あたりに差し掛かると、門前を見慣れた茶黒の生き物が陣取っていた。
行儀よく“おすわり”して待つ姿は、どこか品の良さすら感じさせる。だから、やはり野良ではないだろうと穂波は思った。
「ちょっと待ってね、家に美味しいものあった気がする。持ってくるね」
穂波は無理矢理、笑顔を作った。
辛気臭い表情を見せたくなかったのだ。
敷地の隅に自転車を止めて、ロックをかける。いったん家へ入ろうとすると、ふいに、吉郎が袖口を引っ張った。
「ん? どうしたの。キミから触れてくるなんて珍しい」
そっと手を伸ばすと、指先をぺろりと舐められた。本当に、今日はどうしたのだろう。
(もしかして……あたしが落ち込んでたから?)
イヌは飼い主が悲しい時に寄り添ってくれるという。
穂波は吉郎の飼い主ではないけれど、彼なりに何か感じることがあったのかもしれない。
思わず、まじまじとその瞳を見つめる。
琥珀色の光を溜めた両眼。
「吉郎、キミはどうして毎日ここへ来るの」
試しに額を撫でてみる。
抵抗されなかった。やっと慣れてくれたのだろうか。
「もしかして、あたしに会いに……?」
わん、と声を上げたのは、吉郎ではなくランマルだった。リードをつけたランマルが、門扉から鼻先を出す。
「穂波ちゃん、ただいま」
「あ、おばあちゃん! ランマルと散歩に行ってたの?」
出かけていたらしい千代が門を開いた時、
「ぎゃ」
吉郎はさっと身を翻し、その隙間から逃げてしまった。千代もランマルも、驚いて硬直している。
「大丈夫? おばあちゃん」
「今のは何だね……」
「吉郎だよ。前にもちょっと話したでしょう? 最近ウチによく遊びに来るイヌがいるって」
吉郎が走り去った方向を見つめる。
もう影も形もない。
「“イヌ”……ねぇ?」
千代は少し奇妙な顔をした。
「どうしたの、何か変?」
「いいや……。うん、そうだ。おやつにどら焼きがあるんだけど、食べるかね」
「食べたい!」
小腹が空いて意識はどら焼きに移りつつも、穂波は心の端っこで呟いた。
(きっと、また戻って来るよね……?)
今日、少しだけ仲良くなれた気がした。
人付き合いが苦手な穂波は、彼が毎日顔を出してくれるだけで、本当に嬉しかったのだ。
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