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机の中に入れたチョコを甲斐田さんが美味しそうに食べている。
(甲斐田さん、嬉しそうだ……)
幸せそうな彼女に目を細める。
チョコを頬張って満面の笑みを浮かべる甲斐田さん。クラスメイトの女子が何か言ってるみたいだけど、全く気にしていなかった。
「無事に渡せて良かった」
「何が渡せて良かっただ、馬鹿」
甲斐田さんを廊下から眺めていると、後ろから頭を叩かれた。
「……何だよ、和樹。痛い」
俺を叩く奴はそういない。叩かれた部分を抑えると後ろを振り返った。
今、俺を叩いたのは相馬和樹。同じクラスのこいつとは何だかんだ馬が合ってよくつるんでる。
「何だじゃねえよ、蓮。こんな大勢の前で腑抜けた顔しやがって。色々面倒な事になるだろうが。周りの目を気にしろ」
「面倒な事?」
言葉の意味が分からず首を傾げると、和樹は「ああー!」と苛立たしげに髪を掻き毟った。
「ただでさえお前はクールなイケメンで通ってんだよ! そんな風に笑ってたら女子共が卒倒するだろうがっ!」
掴み掛かられて肩を揺さぶられる。力加減は一切なく、容赦がなかった。いや、そんなに揺さぶられたら俺の方が卒倒しそうなんだが。
「分かった。分かったから、やめてくれ……」
弱々しく降参するとやっと解放された。
揺さぶり地獄から抜け出せて、ほっと安堵の息を吐く。
「ちょっと相馬、何してるのよ。更科君に乱暴な事しないでよ」
「どうせチョコ貰えないからって、八つ当たりしてるんでしょ? さっき更科君のファンにチョコ渡して欲しいって頼まれてたもんね」
「ああ、だからさっき女の子に追い掛けられてたの。大変なのは分かるけどさ。更科君に当たっちゃ駄目よ」
通り掛かったクラスメイトの女子達が和樹を責め立てる。
「何でだよ! こいつの所為で今日は散々なんだぞ! こいつにチョコ渡して欲しいって奴ばかりでさ。渡すなら本人に渡してくれよ! つか、俺にチョコくれよ!」
「残念ながら、あんたにあげるチョコはないわ」
「あんまりだ!」
和樹が喚き散らすと女子達は楽しそうに笑いながら去って行った。
「くっそー、お前の所為だからな」
「何で俺の所為なんだよ。何もしてないだろ」
和樹の理不尽な言い様に顔を顰めて否定する。
「いいや、お前の所為なんだよ!」
和樹は俺の反論に激怒すると「お前に渡すのは勇気がいるからって、どうして俺がこんな目に遭うんだよ……」と項垂れていた。
怒ったり落ち込んだり大変な奴だな。そう思いながらふと周りの生徒に目を遣った。
今日はいつになく皆落ち着きがない。理由は単純――今日がバレンタインだからだ。
バレンタインは好きな相手にチョコを贈る日。確かバレンタインは人の名前で、企業の策略で今みたいなイベントになったそうだ。お陰でバレンタインが近くなると様々な場所でバレンタインのイベントが開催され、色々なチョコが売られるようになる。
周りを見ると女子が男子にチョコを渡しているのがちらほらと見られた。それに加えて女子同士がチョコを贈り合っている。確か友チョコだったか。昨今のバレンタインも少しずつだが変化しているようだ。
「今日はバレンタインだからな。やっぱり皆いつもと違うよな」
和樹が興味なさそうに周りを見遣る。そしてすぐに俺に視線を戻した。
「ところで甲斐田さんがチョコ持ってるって事は、ちゃんと渡せたんだな。直接渡せたのか?」
「いいや、机の中に入れておいた」
「それじゃ、駄目だろうが!」
また頭を引っ叩かれる。先程よりも強く叩かれ、思わず「いたっ!」と声を上げた。
「だから叩くなって。痛いだろうが」
「直接渡さなきゃ意味ないだろうが! って事は甲斐田さん、誰からのチョコか分かってないのか!」
「大丈夫だ。ちゃんと箱に手紙を挟んで――」
ブレザーのポケットに手を突っ込むと、カサリと何かが音を立てる。
嫌な予感がして取り出すと、それはチョコの箱に挟んでおいた筈の手紙だった。
「挟むの忘れた」
「はあっ?」
俺の呟きに和樹が信じられないといった様子で大きく目を見張る。
まずい、この手紙に自分の名前を書いておいたのに。直接渡してないから、これだとあのチョコが俺からのものだという事を分かって貰えない。
呆然と手紙を凝視する俺に、呆れを通り越した哀れみを覚えたのだろう。和樹が残念なものを見るような目を向けてくる。そして大きく溜め息を吐いた。
「全く、見た目だけならクールで格好良いのにな……。色々残念過ぎる。っていうか甲斐田さん、誰からのものか分からないチョコを食べてるのか。それはそれで凄いな」
「別に好きでこの見た目じゃない。でも甲斐田さんの事は良く分かってるな。甲斐田さんは懐が深くて優しい人なんだ。きっと俺の気持ちを汲んで食べてくれたに決まってる」
「別に褒めてないから。ってかそもそも甲斐田さん、お前からのチョコだって絶対分かってないだろ。単に大好物のチョコが机の中にあったから食べただけだ。美化するなよ」
「…………」
「おい、聞いてるか!」
和樹が何やら話し掛けてくるが、今の俺はそれどころではなかった。
――なぜなら可愛らしくチョコを頬張る甲斐田さんが、とびきり可愛い笑顔を浮かべたからだ。
さっきまであんなに近くにいたのに。今の俺達はあまりにも遠い。
彼女と話してる時はただただ幸せしか感じなかったのに。今はその笑顔を自分だけに見せて欲しい。その目を自分だけに向けて欲しいと思ってしまう。情けない事に、当たり前のように一緒にいる彼女の友人にすら嫉妬を覚える程だ。
同じクラスだったら近くにいられたのか。ありもしない想像をしては自分自身に呆れた。
――これが恋だと言わず、何と言うんだろう。
少しでも甲斐田さんに関わるきっかけが欲しかった。気持ちを伝えたかった。それがバレンタインのチョコを渡そうと思った理由だ。大抵は女子から男子に渡すが、今はその逆だって十分に有り得る。友チョコだって普通の事になってるんだから。
「――気持ちを伝えるのって、難しいんだな」
「はあ……?」
俺の呟きに和樹が訝しげに眉を顰める。でも甲斐田さんを見ると「ああ……まあ、そうだな」と歯切れの悪い相槌を打った。
「それでどうだった? 告白は見事に失敗したけど」
「失敗って言うな」
揶揄うように訊いてくる和樹を軽く睨む。俺を良く知らない人からすると激怒してるように見えるらしいが、付き合いの長いこいつは違う。してやったりと言わんばかりに笑みを零した。
「……面白がってるだろ?」
「勿論。だってそうだろ。皆からはクールで完璧な奴だと思われてるのに、実際は告白一つ真面に出来ないヘタレなんだから」
「……」
反論出来なかった俺は何となくブレザーのポケットに手を突っ込む。すると何かが手に触れた。
用意してた手紙じゃない。掴んで取り出すと、それはさっき甲斐田さんから貰ったチョコだった。
「どうしたんだよ、そのチョコ?」
目敏く気付いた和樹が俺の掌にあるチョコを覗き込む。
「……さっき、甲斐田さんに貰った」
「えっ、まじかよ。実は告白してたのか! いや、もしかして告白されたのか!」
「いや、そうじゃないが……」
俺はチョコを見つめると、ほんの少し口の端を上げた。
「チョコが貰えるのは嬉しいものなんだな。甲斐田さんとバレンタインのチョコを交換出来るなんて……」
「正確には甲斐田さんから貰ったチョコだから嬉しいんだろ? それに甲斐田さんはお前からのチョコだって分かってないからな。交換になってないからな」
「本当に甲斐田さんは優しいよな。これくれた時、何て言ったと思う? 疲れた時にはチョコ食べれば良いって、くれたんだ」
「そもそもバレンタインのチョコですらなかった! 一体甲斐田さんと何の話をしてたんだよ!」
和樹が色々捲し立てているが、まあ面倒臭いから無視しよう。
俺は甲斐田さんから貰ったチョコの一つを食べる。彼女の拘りが詰まったチョコは甘く、幸せな気持ちにさせた。
(あの時とは少し違う味だけど、同じ味だ)
初めて甲斐田さんと話した時の事を思い出す。
あの時も彼女は、俺にチョコを渡してくれたんだ――。
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