隣の更科君

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 ――甲斐田さんと初めて会ったのは、高校に入学してから二ヶ月程経った時だった。 「疲れた……」  放課後誰もいない教室で、俺は机に突っ伏していた。  委員会が終わり他の委員は全員帰っていた。俺も帰って良かったが、疲れ果てて未だに教室から出られずにいた。 「何かもう、全部どうでもいい……」  入学してまだ間もないのに、俺は嫌気が差していた。  授業に付いていけない訳でも、誰かにいじめられてる訳でもない。むしろ周りの人から見れば、俺は順風満帆な高校生活を送れているのだろう。  でも俺は今の自分にとてつもなく息苦しさを感じていた。いや、ずっと前からだと言うのが正しい。  ――自慢じゃないが、昔から何事も平均以上に出来ていた。そして父親に似た大人びた顔立ちは、クールで格好良いと囃し立てられた。  別に悪口を言われてるんじゃない。むしろ褒められてるんだから良いじゃないかと思われるだろう。  ――でも俺は、それが堪らなく嫌だった。  別に俺はクールで格好良くなんかない。普通にお笑い番組を見て笑ったりするし、テストの解答を間違えたりだってする。他の皆とそう変わらない。  でも誰もが俺の事を他の人と違うと言う。さも完璧な人間のように俺に接してくる。周りのそういう態度は昔から変わらない。もしかしたら環境が変われば周りの態度も変わるんじゃないかって期待したけど、残念ながら高校生になっても変化はなかった。結局周りが思う自分に囚われて苦しくなる。違うと否定出来ない自分が堪らなく嫌だった。  さっきだってそうだ。周りが思う自分に合わせて、皆が思う更科蓮を演じてしまった。自己嫌悪極まりなく、動く気にもなれない。 (もう嫌だ。全部全部何もかも――)  気分が沈み切ってネガティブな考えしか思い浮かばない。いっそ全てを投げ出してしまおうか。そんな考えが過ぎった時だった。 「――ねえ、そこ私の席なんだけど」  聞いた事のない女子の声に顔を上げる。  目の前に無表情で俺を見つめる女子の姿があった。  不思議な子だと思った。彼女の目から何の感情も読み取れない。淡々と俺を見つめていた。  俺に対して無関心な目。そんな目を向けられたのは久し振りだ。  返す言葉が見つからず呆然としていると、彼女が首を傾げた。 「……君って、うっかり屋さんだね」 「えっ……?」  今まで言われた事がない言葉に一瞬耳を疑う。 「自分のクラス間違えるなんてさ。ここB組だよ、確か君ってC組だよね?」  聞き間違いなんかじゃなかった。どうやら彼女は俺が自分のクラスと間違えてここにいると思っているようだった。  委員会の集まりがあってこの教室にいただけで、間違えてなんかいない。勘違いでうっかり屋さんなんて言われて、普通腹を立てるべきなのかもしれない。でも、 (俺を見た目で判断しないんだな……)  他の人なら、俺が自分のクラスを間違えるなんて間抜けなミスするとは思わない。もし俺がミスをしたとなれば、そんなのは俺のキャラじゃないと幻滅されるだろう。  でも彼女は俺が勘違いしたと思った。かといって幻滅もしない。彼女のような人と今まで会った事がなかった。  そんな事を考えていると、突然彼女が自分の鞄の中を漁り始めた。  何をしているんだろうと思っていると、彼女は「あった」と呟いて鞄の中のものを差し出してくる。 「はい、これ」 「えっ……?」  彼女の掌にあるものに目を見張る。  それはチョコだった。何の変哲もない包み紙のチョコだ。 「きっと疲れてるんだよ。そんな時はチョコレートを食べれば良いよ」  どうして。どうして今チョコなんだ?  混乱する俺を他所に、彼女は俺にチョコを持たせる。 「チョコレートは凄いよ。一口食べたら疲れなんて吹き飛ぶんだから」  そう言うと今まで無表情だった顔を綻ばせた。 (あっ……)  どくん、と心臓が大きく音を立てる。  可愛いと思った。無表情からの笑顔に目が離せない。  ――それが彼女、甲斐田さんとの出会い。  甲斐田さんにはそんなつもりはなかっただろうけど、彼女との遣り取りに俺は救われた。  きっと甲斐田さんはあの時にいたのが俺じゃなくても、同じ事をするんだろう。そんな分け隔てない彼女の態度が好ましくて、同時にもどかしくもあった。  初めて会った時は名前も分からず、後で彼女の名前を知る事が出来た。  遠目に見る彼女は相変わらず表情が乏しかった。でもチョコを食べる時やチョコについて語る時は、あの時と同じように笑顔を浮かべる。好きな事に対して、とことん真っ直ぐだと思った。  ――あの時の笑顔をまた向けられたい。向けられる存在になりたい。気付けば俺は彼女の事を好きになっていた。  でも甲斐田さんは隣のクラスの女子だ。接点なんてない。いつの間にか俺は学年クラス問わず名前が知られてるようだが、甲斐田さんは例外だ。下手したら俺の名前すら分かってないかもしれない。  どうにかして彼女の視界に入りたい。俺の存在を知って欲しい。そう思った俺はバレンタインの日に彼女にチョコをあげる事を決意した。  日本ではバレンタインは女性から男性にチョコを送るイベントだが、外国ではその逆もあるらしい。だから俺も甲斐田さんにチョコを渡して告白しようと思った。  ――まさか、また同じ勘違いをされるとは思わなかったけど。 「でも結局、告白出来なかった……」  緊張のあまり机に突っ伏してたのがいけなかった。まさかあんなに早く甲斐田さんが来るとは思わなかった。  これだとまた教室を間違えたと勘違いされただけだ。折角チョコを机の中に入れられたというのに。というか、そもそも手渡し出来なかったのが失敗だった。  教室に戻った俺は、自分の机に突っ伏した。  俺が溜め息を吐くと、和樹が気まずそうな表情を浮かべる。 「……まあ、気持ちを伝えようとしたお前の勇気は褒めてやるよ」  落ち込む俺の気持ちを察してか、和樹はたどたどしくも励ましてきた。 「ありがとな……」  励ましてくれたが、俺の気分は晴れなかった。むしろその優しさが辛い。  甲斐田さんの喜ぶ顔は見られたけど、何も進展してない。やろうと決意した事が何一つ達成出来ていない。 「そんなに落ち込むなって。まだホワイトデーがあるだろ?」 「……!」  和樹の言葉に勢い良く顔を上げる。 「そうだ……ホワイトデーだ!」 「うわっ!」  いきなり大きな声を出した俺に、和樹が仰け反る。 「ホワイトデーで今度こそ告白する。折角チョコをくれたからお返しもしたいな」 「おっ、おう……頑張れ」  俺の宣言に和樹が狼狽えながらも応援してくれる。  拳を握り締めて決意を固める。今のままじゃ甲斐田さんにとって、俺は同じ学年というだけの赤の他人だ。 「今度はちゃんと手渡ししろよな。そうじゃないと甲斐田さんには伝わらないからな。甲斐田さんみたいなタイプって、変な勘違いしそうだから」 「……」  既に二度も同じ勘違いされてるなんて、口が裂けても言えない。 「今度こそは大丈夫だ。……大丈夫だよな?」 「俺に訊くな」  不安になって疑問形になるが、和樹に呆気なく一蹴される。 「おはよう、更科君」 「あのさ、渡したいものがあるんだけど――」  クラスの女子が話し掛けてくるが、俺はそれどころじゃなかった。 (本当に大丈夫だよな……?)  今度こそ勘違いされずに告白出来るだろうか。  さっそく俺は、一ヶ月後のホワイトデーに不安を覚えていた――。
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