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――隣のクラスの更科蓮君は学校で有名な人だ。学校の人で彼を知らない人はいないだろう。
運動神経抜群で成績優秀。顔立ちもクールで整っている彼は男女問わず人気が高い。皆は彼の事をクールで格好良い完璧な人だと言う。
何をしても完璧で隙きのない、皆に一目置かれてる更科君。
でも、私は案外彼にも間抜けな所があると思う。
――なぜなら彼は今、私の席に座っているからだ。
更科君に遭遇したのは、ホームルーム前の教室だった。
部活に入っていない私はまだホームルームまで時間があるというのに、もう教室に着いていた。朝早く来たのには特に理由はない。ただ何となく早く目が覚めたから早めに家を出ただけだ。
そこで目にしたのが私の席に座っている更科君という訳だ。彼は机に突っ伏していて、顔は窓の方を向いていて見えなかった。
私の席は窓際だから外の景色を眺めるには絶好の場所だ。でもそれが更科君がいる理由にはならない。そこは私の席だし、そもそもクラス自体が違う。
自分の席だけじゃなくて教室も間違えるなんて、更科君はうっかり屋さんだな。
そんな事を思いながら私は彼に近付いた。彼にというよりは、自分の席にだけれど。
「――ここ、私の席なんだけど」
自分の机の前に立って声を掛けると、更科君はびくりと体を震わせる。そして慌てて顔を上げると、大きく目を見張った。
「かっ、甲斐田さん!」
「はい。甲斐田ですよ」
慌てる更科君は私は淡々と肯定する。
何で私の名前を知ってるんだろう。更科君みたいに隣のクラスの人に知られる程有名じゃないんだけどな。
「どうして学校に……?」
「どうしてって……今日が平日で学校に来る日だから。別に行きたくないって強く思ってる訳じゃないし」
高校生なんだから学校には来ないといけない。どうして更科君はそんな当たり前の事を尋ねるんだろう。
私が訝しげに答えると、更科君は「ごめん、訊き方を間違えた」と私から目を逸らした。
「どうしてこんなに早く来たのかって意味だ。まだ学校が始まるまで時間があるし。それにいつもはもう少し遅いだろ?」
「ああ、成程ね」
確かにいつもはこんな早い時間には来ない。どちらかと言えば最後に来る方の人間だ。
「今日は偶々朝早く起きてさ。折角だから早めに学校に来ようと思っただけだよ」
今日はいつになく目覚めが良かった。それで今日は早く学校に行こうと思ったのだ。
私が答えに今度は更科君が不思議そうに首を傾げた。
「折角だからって、普通は早く学校に来ないと思うけど……」
「そうなの?」
彼の指摘に今度は私が首を傾げる。指摘される程おかしな事は言ってないと思うけど。
「私おかしいかな……? どちらかと言えば常識人のつもりだけど?」
「いや、甲斐田さんがおかしいとかじゃない。勘違いしないでくれ」
私の呟きに更科君は慌てて否定した。
引っ掛かる事はあるけど、これ以上話しても無駄な気がする。無駄というか無意味だと思った。それよりももっと訊かないといけない事がある。
「……どうして更科君はここにいるの? ここは私の席なんだけど」
「えっ? そっ、それは……」
さっきからしたかった質問をすると、更科君はあからさまに狼狽えた。そして気まずそうに顔を背ける。
(……皆はクールで格好良いって言うけど、やっぱり違うと思う)
動揺する彼を見ながら、私は改めて思った。
確かに更科君はクールで格好良いだろう。でも皆が言うように隙きのない人には見えなかった。今だって私の質問に年相応に慌てているんだから。
(きっと、自分のクラスと間違えたんだろうな……)
答えられない彼を見て私はそう確信した。
更科君も疲れているんだ。自分のクラスと間違えて私の席に座ってしまう程に。おそらく彼の席と私の席の位置が一緒なんだろう――勿論クラスは違うけれど。
クラスを間違えたなんて答えられないに決まってる。そんな事を知られれば恥ずかしいから言いたくないだろう。
黙り込んでしまった彼の様子で察した私は、窓の外を見ると大袈裟に肩を竦めてみせた。
「……きっと更科君は疲れてるんだよ。この事は誰にも言わないから安心して」
「えっ……?」
まさかフォローされるとは思わなかったんだろう。更科君は驚いた表情で私を見返した。
「私も時々、教室間違えそうになるんだよね。まあ、その前に恵ちゃん達が止めてくれるんだけど。あっ、恵ちゃんっていうのは、私の友達ね」
「教室を間違えるって……えっ?」
「だって教室って見た目一緒じゃん。間違えない方がおかしいよ」
戸惑う彼を他所に私は話を続ける。因みにさっきの教室の件は本当の話だ。
「更科君の席って私と同じ窓際の席なんだね。窓際だと外の景色が見やすいから良いよね」
「そう、だな……」
私の言葉に戸惑いながらも頷いた更科君は、視線を窓の外に向けた。
無表情だけど顔立ちが整ってるから絵になる。彼はやっぱり格好良い。様になってる。でも――、
「やっぱり、クールではないよね……」
「えっ……?」
あっ、思ってた事を声に出してしまった。更科君は目を見張って私を見ている。
そこまで驚く事じゃないと思う。でもまあ、仲良くもない相手に言うべき事でもないか。
私は心の中で結論付けると鞄の中に手を入れる。そして小さなポーチを見付けると、その中にあるものを取り出した。
「はい、これ」
ポーチの中のものを差し出すと、更科君は戸惑いながらも手を出す。
「これって……」
掌に乗せられたものを更科君が凝視した。
私が渡したのはチョコレートだった。一口大のチョコレートを透明な包み紙に包んでいる。
「疲れた時にはチョコレートを食べれば良いよ。これあげるから食べて」
「えっ……?」
呆然とチョコレートを見つめる彼に、今さらながらある事に思い至った。
「もしかして苦手だった? それとも手作りが嫌?」
「いや、そうじゃないけど……。貰っていいのか?」
「うん。このチョコレートね、最近気に入っているのをブレンドして作ったんだよ」
「へえ……。マーブルになってるんだな、ホワイトチョコも使ってるのか?」
「うん、そうなの!」
拘っている所を指摘されて嬉しくなった私は、思わず机に手を突いて詰め寄った。
「これに使ってるホワイトチョコレートはね最近はまってて、口溶けが凄く良いんだ! これとミルクチョコレートと混ぜて固めるんだけど、混ぜ過ぎたらホワイトチョコレートの色味が消えるし、バランスが良くないと両方のチョコレートの良さを活かし切れないんだ。チョコレートを溶かして固めただけだけど、何度も試行錯誤して作ったんだよ!」
更科君はチョコレートが好きなのかもしれない。チョコレート好きな人に悪い人はいない。私は嬉しくなって顔を綻ばせた。
「チョコレートってね、凄いんだよ。少しの工夫で味が大きく変わるし、見た目も綺麗なものが多いんだ」
チョコレートの魅力を語れば切りがない。私は夢中になってチョコレートについて話し続けた。
「――あのさ!」
でも切羽詰まった更科君の声で私の話は遮られる。
話に熱が入った所為で、いつの間にか彼との距離を詰め過ぎてしまった。目と鼻の先の彼の顔があって慌てて離れる。
「ごめん、話し過ぎた」
チョコレートの事で夢中になり過ぎると、何度も恵ちゃんに怒られているのに。これじゃあ、また怒られてしまう。
「いや、それは別にいいんだけど……」
もしかしたら更科君も嫌な思いをしてるかもしれない。そう思って訊いたみたけれど、意外にも彼は怒っていなかった。
でも彼が今どう思ってるのかまでは分からない。遠くから見る彼はいつも表情が乏しいけれど今は少し違った。確かに表情が乏しいのは変わらない。でも困っているような迷っているような、見た事のない表情をしていた。
彼は少しの間俯いて黙っていたけど、やがて顔を上げて私を見た。
「好き……なんだな、チョコレートが」
思わず言葉に少し驚く。彼はほんの少しだけ口角を上げて微笑んでいた。
予想していなかった言葉にすぐに言葉を返せなかった。でもすぐに満面の笑みを浮かべると、大きく頷いた。
「うん、大好き!」
はっきりそう答えると更科君は驚いた様子で私を凝視した。けれどすぐに視線を逸らすと、口元を手で覆う。
「そっか……」
小さな声で相槌を打つと、更科君は立ち上がった。
「チョコ、ありがとな。じゃあな」
「うん」
そそくさと立ち去る更科君に上手い言葉が見付からず、結局私は手を振り返す事しか出来なかった。
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