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これだけは言わせてくれ!
人には人のキャパがある。
容量は決まっていて、溢れたら本来の自分を見失い、他者を思い遣る心のゆとりは蚊帳の外になってしまう。
たぶん、嫁姑問題はそれに起因するんじゃないかと思った。姑は自分だけの息子だった心に、新たに嫁という存在を加えなければならないが、そこに入る隙間、いわゆるキャパがない。
頭では分かっていても、従来の接し方を変えるのは難しいのだろう。
嫁は嫁で夫となる人の姑が、どんな人物であれ受け入れざるを得ないと思っているが、一番大事なのは夫と築き上げる家庭だと思っている。
人間だって動物だ。
自分のテリトリーを侵されれば牙を剥く。
だから結婚後も、息子時代と同じ振る舞いをする姑、そこまで行かなくても、自分達の生活に割り込み配慮をしているようでしていない態度に敏感になってしまうのだろう。
過敏に反応し、その結果が嫌悪に繋がり、嫌悪で塗れた頭は平常心を失い、自らの手で大事な家庭を壊しにかかる。
夫を問い詰め、あの親をどうにかしろ、耐えられない、離れたい、と喚き、あの親さえ居なければ、夫さえちゃんとしてくれていたならば、と人を責め立てるのだ。
嫁も姑も、キャパが小さいが故に起こる悲劇。
相手方に付随する身内もしかり。
私は夫の器の大きさに触れ、目が覚めた。
姑や夫の身内に対して、嫁という立場から一歩引いた目線で、客観的に見れるようになったのだ。
前ならば、同じ事をされたら怒っていた。
前ならば、それについて夫にも怒っていた。
今は違う。
違う反応を心が示す。
怒る前に、どう対処すべきかを考える。
許容し難いお願いや、しなくてもいいと思う事は、バッサリと断れるようになった。
長男夫妻や次男夫妻にも、苛立つより受け流せるようになった。
私が大事なのは夫。
姑や自分の身内に味方するわけでも、仲良くしない妻の言い分に腹を立てるわけでも、鵜呑みにして自分の親や身内と敵対するわけでもない夫だからこそ、大事だと思えたのだ。
傍から見れば何もしてないけれど。
私が愛した夫のままで居てくれるだけで救われた。
結婚後に豹変した妻を変わらず愛し、親と妻を天秤にかけるような真似をせず、させもせず、明確な線をきちんと設けている。
嫁姑問題は、夫の器次第。
身内問題も、夫の器次第で良くも悪くも転がっていく。
逆も同じなのだ。
妻側の身内と夫が上手く行かないのは、身内のせいでも夫のせいでもない。伴侶となる者が、自身の選んだ相手と身内の仲を拗れさせないように配慮すべきであり、出来ないならば、それは己のキャパが小さく解決能力がないだけなのだ。
始点となる人間が弱くてはならない。
ぐらついても、怒っても、芯さえ間違えなければ終点は幸せである。
結婚とは、相手を愛すること。
愛し抜くこと。
いついかなる時も、問題が生じても、逃げずに立ち向かい、放置せず解決に導く強さを互いが得ることだ。
守ってもらうだけじゃない。
働いたり養ったり子供を育て育むだけじゃない。
我慢じゃない。
嫌な事を耐えるのが美徳でもない。
何があっても揺るがない愛と、互いが互いを守れる強さと覚悟が必要なのだ。
どれが欠けても到達しない。
諦めても到達しない。
失敗してもいい。
何度繰り返したっていい。
それさえ忘れなければ、そう思える相手にいつか必ず巡り合えるだろう。
まだまだ気付いたばかりの私だけど。
夫を選んで良かったと思う。
夫が私を選んでくれて良かったと思う。
ありがとう旦那さん。
これだけは言わせて欲しい。
もし来世があるならば、どうかその時も私の夫になって下さい。愛してます。
( 完 )
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