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私の家はあっち、と、女が子供みたいに指さした方向は、私の家と同じ方向だった。だから、私とその女は、都合並んで歩き出すことになる。
女は、驚いたことにサンダル履きだった。寒くないの、と反射みたいに訊くと、寒いよ、と彼女は笑った。
その表情を見て、私はようやく、この風変わりな女がとても美しいことに気がついた。
長い黒髪は、暗闇の中でも街灯の微かな光を集めてつやつやと光っているし、肌の色は、着ているワンピースと同じくらい白い。化粧っ気は全くないのに、顔立ちも非の打ち所がなく整っている。
思わず彼女の白い顔をぼおっと眺めていると、彼女はちょっと困ったみたいに苦笑した。
その顔を見て、彼女は私みたいな反応に倦んでいるのだと分かった。すっかり倦んで、うんざりしきっているんだと。
私は慌てて彼女から視線を外し、砂浜から舗装路への段差を飛び降りた。
彼女も身軽な動作でついてきた。
「あなた、ずっと海の側に住んでいるの?」
女が訊いてきた。
私はうなずき、ずっとだよ、と答えた。
この海の近い中途半端な田舎町に、私は生まれてからずっと住んでいる。
「そう。いいわね。」
彼女の言葉は、とても素直に発せられた。
私は、返事に困って曖昧に首を振った。
彼女が自分の外見に倦んでいるのと同じくらいには、私はこの中途半端な田舎町に倦んでいた。
「ここの海は、波が高くて、砂浜が湿ってて長くて、寒い感じがして、とてもいいわね。」
彼女が上げたこの海の美点は、私にとってはすっかり慣れて、もはやうんざりしている点ばかりだった。
「……。」
直に飽きるよ。
その言葉は口には出せなかった。彼女の表情も物言いも素直すぎて。
「あそこの青いアパートが私の家。」
女が真っ直ぐに右手を伸ばして示したのは、私の家から徒歩3分もかからない、真っ青なアパートだった。そのアパートがそこにあることを、私はもちろん知っていた。ただ、その派手すぎる外観や、おんぼろ具合から、誰も住んでいない空き家なのではないかと思っていたのだ。
「あなたの家は?」
女が無邪気に訊いてきたけれど、得体のしれない初対面の相手に個人情報を知らせるのは嫌だったので、わたしは適当な方向の住宅街を適当な仕草で示して見せた。
「あっち。」
そう、と、女は納得したようで、じゃあ、また、と言って青いアパートの白い外階段を登って行った。
またなんてあるのかな、とぼんやり思いながら、私は帰路についた。
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