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「見て見て、駅長!おれ、背番号もらったよ!」 「おいおい、よせよ。悠平、犬に背番号の意味がわかるわけないだろうが」 「いや、ただの犬じゃない!シロは駅長犬なんだからわかる!そうだろ、駅長!」  砂利が敷き詰められた駅のホームで、少年はスポーツバックから出した布地を俺に見せびらかして笑っていた。  ボーイズビーアンビシャス。少年よ、君は正しい。俺はただの犬ではない。このオホーツク鉄道の駅長犬である。  駅長犬であるからこそ、君が遠軽青凌高校の野球部員であることも、今見せてくれた背番号十五番が、レギュラーでこそないものの、この秋の大会でベンチ入りしたことを意味するものであることもわかる。もっと言うなら、君が雨の日も風の日もオホーツク鉄道に乗って朝練に参加している、極めて勤勉な野球少年であることも知っている。  綺麗に剃り上げられた坊主頭。飛び交う赤蜻蛉。照り付ける秋の夕陽の下で、眩いばかりに照り輝いていた少年の笑顔を、俺は一生忘れないでいようと思っている。  遠軽町にある遠軽青凌高校は、北海道の野球の強豪校として知られている。  公立高校でありながら、過去に二十一世紀枠で選抜大会への出場歴があり、その大会で一勝を上げた上に、二回戦では大阪府の超名門校・大阪東雲高校と途中まではいい勝負を繰り広げていたという。  俺はその大会をリアルタイムで見てはいないが、その後もコンスタントに北北海道大会や全道大会に出場しているわけだから、地方都市の公立高校としてはなかなかの存在といえるだろう。  俺は生物学的に犬なので、前脚でグラブやバッドを持つことができない。ベースランニングならば今でも若い者には負けないし、フライキャッチは大得意なのだが、ゴロを捌くことはできない。ボールは捕れても投げられないからだ。  ちなみに野球のルールもわかる。インフィールドフライもスクイズも完璧に説明できる。しかし今までどこかの球場の解説席に呼ばれたことはない。唯一苦手なのがタッチプレイとフォースプレイのとっさの判断だが、これに関しては数億の年俸をもらっているプロ野球選手でも間違えることがあるので、許容範囲内だろう。  そんな俺のことだから、この秋、遠軽青凌高校が順当に地方大会を勝ち抜いて全道大会に進んでいることはもちろん知っていた。北海道の場合、卒業式の日に引退済みの上級生が居酒屋でアルコールを摂取するような不祥事を起こさない限り、秋の全道大会の覇者が翌春の選抜に出場する。北海道から甲子園への道は長く険しい冬を前に既に始まっているのだ。  その日、俺にその情報をもたらしたのは、中湧別駅の新常連客・運転免許返納有閑マダムの方々である。 「ねえねえ聞いた、奥さん。佐竹さんとこのご主人、悠平君のことで学校を訴えるって言って旭川から弁護士連れてきたらしいわよ」 「え、遠軽青凌高校を?」 「そうそう、悠平君が野球部の練習中に亡くなったのは、野球部の危機管理がなってない所為だって。絶対に野球部の活動停止にして潰してやるって騒いでるんだって。奥さんは必死で止めてるらしいけど、本気で裁判する気みたい」 「まあ確かにねぇ。自分の息子が死んだってのに野球部が変わらずに活動してるっていうのは……親としてはたまらないものがあるよねぇ」  いつもの寝床の上でマダム達の会話を聞いていた俺は、突然、降って沸いたこの話題に、ぴくりと毛を逆立てた。  佐竹悠平少年はこの中湧別駅の元祖大口顧客・通学高校生である。二年生の野球部員であり、ポジションはライトで投手もできる。肩に自信あり。三年生がいた今年の夏までは外野が飽和状態だった為出番がなかったが、秋の地方大会でめでたくベンチ入りした。  そんなことを俺が知っているのは、悠平少年がたいそう犬好きで、朝晩には必ず俺の頭を撫で回して、何やかんやとしゃべりかけてきたからだ。よほど野球が好きなのだろう。話題の九割が野球のことだった。ここ最近姿を見かけないとは思っていたが、今は秋の大会期間中なので、遠軽で合宿でもしているのかと思っていた。  ――あの少年が亡くなっただと?  背番号をもらったと、犬である俺相手にはしゃいでいた。一緒に気動車から下りてきた友人に小突かれて嬉しそうに笑っていた横顔は、高校二年生という実年齢よりも大分幼く見えた。  以下、マダムたちの会話と、バーバパパその他の運転士が置いていった北海道新聞からまとめた事実である。  その事故が起きたのは今から半月あまり前、遠軽青凌高校野球部のグラウンドでのことだった。  秋の全道大会に参加中の遠軽青凌高校野球部はその日、紅白戦を行っていた。控え選手の悠平少年は白組のライトとして先発出場し、四回からはマウンドに立っていた。その悠平少年の頭部に――紅組の打者が放った強烈なピッチャーライナーが直撃した。  もちろん、監督と顧問教諭はマウンド上に倒れ込んだ少年を揺さぶったりはしなかった。すぐさま救急搬送された遠軽赤十字病院で緊急手術が行われたものの、少年は一度も意識を取り戻さないままあの世へ旅立った。享年十七歳。あまり呆気なく早すぎる最期である。  俺も駅長生活が長くなってきたので、町人達はこの駅に駅長犬がいることを当たり前と考えている。あまりの衝撃に鼻を鳴らしている俺には目もくれず、マダム達が到着した遠軽行普通列車に乗り込んで行く。  その背中を見送りながら、俺は駅長に就任して以来はじめて、列車の出発を見守るという駅長の職務を忘れた。
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