砂時計

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起床喇叭(きしょうらっぱ)に起こされ朝食を貰いに行くと、自分と幾つも変わらぬ年頃の軍服姿の男が絡んで来た。 「今日は化け物女の相手か? 餌野郎」 にやにやと下卑た(わら)いに虫唾が走るが、慣れた物で()れを無視して席に着く。 「おいおい、随分お高く止まってるねぇ。化け物女の相手だけじゃ足りないなら、俺が相手してやっても良いんだぜ?」 白衣姿の連中は見るとも無しに此方(こちら)へ視線を寄越し、軍服姿の数名は興味の在りそうな顔でじろじろと眺めて居る。 そんなに女が欲しいので在れば遊郭(ゆうかく)にでも行けば()い物を、手近に居れば男でも良いと()う考えが理解できぬ。 何でも良いと云うので在れば、獣とさして変わらぬで()ろう。 ちらりと眺めた男の粗野な顔は、興奮した馬の様で見苦しい。 時雨は清らかな乙女の如き白い(おもて)を背けて、粥を口に運ぶ。 薄紅の唇が匙を(くわ)えると、男がごくりと喉を鳴らした。 時雨は美しかった。 愁いを帯びた気怠(けだる)げな様子も色気が匂い立つ。 男子としては細すぎる華奢な身体も、繊細な細工の(ごと)き白い面も全てが作り物めいていて、西洋人形(ビスクドォル)の様だ。 男ばかりの軍隊に置くには不釣合で、あまりにも目立つ。 時雨が此処(ここ)に連れて来られたのも、この容姿が原因だ。 ()の化け物は美しく未経験(おぼこ)の異性を好むと云うので、戦災孤児であり身体的に兵役の難しい彼に白羽の矢が立った。 彼を此処に連れて来た後藤と云う男は地元の破落戸(ごろつき)で、知人の将校に金を貰って適当な子供を見繕ったのだ。 「阿南(あなん)、今宵の勤めを忘れては居ないな?」 白衣姿の末成(うらな)瓢箪(ひょうたん)の如き男が声を掛けて来た。 眼鏡を掛けた陰気な男は、この施設の責任者だ。 時雨が粗野な軍服共に(けが)されたりせぬ様、何時(いつ)も眼を配って居るので声を掛けたのも牽制の為で在ろう。 彼の化け物の(にえ)に、万一にも瑕疵(かし)が有っては成らぬと云う事だ。 餌が無くなれば暴れるやも知れぬ。 化け物の気に入りで有る時雨には、清い(まま)で有って貰わねば困る。 「はい。午后(ごご)には身を浄め、零號(ぜろごう)の部屋へ參ります」 ()れは時雨の最大の仕事で有り、唯一の愉しみでも有る。 忘れる筈(など)有りはしない。 「()かろう。其れまでは何時もの仕事をしなさい」 何時もの仕事とは、所謂(いわゆる)雑用だ。 掃除や洗濯等、些末な事を(こな)して居る。 (びっこ)を引き()りながらでは然程(さほど)効率は上がらぬが、其れでも多少の役には立つ。 「はい」 「くれぐれも大事な御勤めの(さわ)りに成る事の無い様に! 皆も理解って居るな」 眼鏡の奥の昏く濁った瞳で見廻すと、軍服共は下卑た(わら)いを引っ籠めて渋面を作ったが、否やを口にする者は誰も無かった。
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