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 いくら同じ会社に属しているとはいえ、われわれ保安部門と研究部門の地位には太陽とアルファ・ケンタウリほどの開きがある。どっちが上でどっちが下かについては、いちいち論ずるまでもないだろう。  むろんわたしたちが下だ。それもどん底もどん底、重力ポテンシャルの最下層。人間と認めてもらえるだけ御の字なくらいの。ほとほといやになってくる。  したがって研究部門に用事があるときは気を遣う。誉れ高い純正〈カスタム〉たるエリートたちのお手を煩わすのだから、こっちだってそれなりの礼儀を尽くさねばならない。 「あのう」つい声も小さくなりがちだ。「保安部門の日下部ですが」  反応はなかった。白一色の無機質なフロア。いかにも清潔で、高尚な仕事が生み出されてるぞといった風情。みんな一心不乱に自分の世界へ没入している。  ちょっと頭にきた。なんでこう虐待されている子どもみたいにビクビクせにゃならんのだ?「すいません、保安部門の者ですが!」  するとフロアのはるか向こうから、わたしの声を聞きつけて誰かが小走りにやってくるではないか。白衣にセミロングの黒髪がよく映える。今日はメガネをかけていないので、彼女言うところの〈コンタクトの日〉なのだろう(気分によって変えるらしいのだが、なんとも甲乙つけがたい魅力がある)。  彼女が数メートル動くだけで、てこの原理みたいに部内の男性研究員どもの視線が右から左へと自動追尾する。あどけない顔に白衣をほどよく圧迫する胸、スカートから伸びるエロい――じゃなかった、カモシカのような曲線美。天は容易に二物も三物も与えるのである。いや、天ではなく遺伝子が。 「毎度ごめんなさい真琴(まこと)さん」研究部門の才媛こと佐伯香苗(さえきかなえ)嬢は、入り口近くに座ったまま来客なんか存在しないかのようにふるまっている課員どもを睨みつけた。「その、みんな忙しくって」 「いや、気にしてないよ。保安なんてのは不採算部門のなかでもいちばんうさんくさい連中だろうからね」 「あたしはそんなふうに思ってないですよ」首をちょっと傾げてウインク。鼻の下が1マイルほども伸びてしまった。 「ありがとう佐伯さん」 「また戻ってる。水くさいですよ、香苗でいいですって」 「あー、ありがとうかなさん」 「真琴さん、あたしがいくつか忘れたんですか」頬を膨らませた。「院を出てまだ2年めの26ですよ。4つも下の女にさんづけなんかしなくていいって何度言ったらわかるの」  ままよ……。「ありがとう――香苗」 「えへへ。今度から名前じゃないと反応しないからね」  端末とにらめっこしていたおっさんが唐突に立ちあがった。「さっきからやかましいぞ。うちの課員をたぶらかすのがきみらの仕事か」  研究部門のお偉方、木下仁志(きのしたひとし)のあんちくしょうだ。今日はいつも以上に虫の居所が悪いごようす。 「どうもすいません。実はちょっとお聞きしたいことがありまして。木下さんはいまお時間よろしいので?」思い切ってつけ加えた。「かなさんにもできればお話をうかがいたい」 「いいわけないだろ。さあ帰った帰った」 「あたしはいいですよ」 「いいや、きみもだめだね。みんな忙しいんだ、目が回るくらいにな」 「あたしのスケジュールに木下さんが口を挟むのは、独立独歩でやらせて個人のポテンシャルを引き出すっていううちのポリシーに反するんじゃないですか」  香苗がこれ以上上司をやり込める前に慌てて介入した。「お二人とも、〈遺伝子泥棒〉のうわさはもちろんご存じでしょうな」  おっさんのうんざりした態度が一変した。「どういう用件かさっさと言いたまえ。場合によっちゃ時間を作ってやらんでもないが」 「ありがとうございます。ところでぼくはいつまで立ち話を続けさせられるんでしょうかね」      *     *     *  来客用応接室の調度品をうち(保安部門)のそれと比べてみるがよい。明らかにかけられた額の桁がちがう。マホガニーのテーブルに出されるお茶は玉露だし、おまけに信じられないほど据わり心地のよいソファときたら、なにでできてるのか想像もつかない。最新鋭の対衝撃吸収装甲に使われてるとすっぱ抜かれても驚きはしないだろう。 「〈遺伝子泥棒〉がどうとか言ってたな」ぶっきらぼうに研究部門長の木下さんが切り出した。 「最近物騒ですよね。小耳に挟んだ程度のことしか知らないけど」香苗はぺろりと舌を出してみせた。 「うちは一応、バイオテク企業としては大手と呼ばれるくらいには成長してきました。槇村研究員が若かりしころにM型染色体を開発して大騒ぎしてた当時と比べれば、隔世の感がある」  もちろん、その時分にわたしは生まれてもいなかったのだが。 「うちの主力商品が付加遺伝子なのは釈迦に説法でしょう。最初は人工染色体――開発者の頭文字をとってM型と呼ぶのが主流ですが――の製造・販売だけやってたのが、いつの間にかそいつに乗せられるオプション遺伝子まで売り始めた。きっと欲が出てきたんでしょうね」ここで一息入れ、最高級の玉露をすすった。うまい。「お2人のごとき優秀な研究者たちが一生懸命開発に励んでいただいてるおかげで、そっちも軌道に乗って久しい昨今です」 「おべっかはいいから本題に入りたまえ」 「えへへ、もっと褒めてください」  わたしはそうしようとしたが、青筋の浮き出た木下部門長のご面相を目の当たりにするにおよび、瞬時にその気が失せてしまった。 「血と汗の結晶たるオプション遺伝子は特許登録で保護し、その情報が公開されるのを代償によそがまねできないようになってます。そのおかげもあってか、最近台頭してきてる新興のライバル企業を大きく突き放してますね。にもかかわらずお構いなしにパクるやつはパクる」  二人は厳粛な面持ちでうなずいた。 「うち、つまり株式会社ジーン・デベロップメントはそうした事態を見越してたようですな。パッケージ遺伝子の配列が盗まれて大量の海賊版が出回るよりも、小規模の不採算部門をこしらえるほうが長い目で見て利益になると判断したようです」自嘲気味につけ加えた。「慧眼だったのかは疑問ですがね」 「それがきみらであり、日々産業スパイの脅威からわが社の利益を守ってくれてると。まことにけっこうなことだ。輝かしい社歴のご講釈は入社時だけでたくさんなんだがね」 「たまにはゆっくり人の話を聞くのも一興だと思いますよ、ぼくは」 「それで〈遺伝子泥棒〉ってのは結局、よその会社のスパイなわけか?」木下さんははた目にもカリカリしている。部門長というのはストレスのたまる仕事らしい。「探し出して縛り首にしろよ。きみのところはある程度警察権があるんだろ」  太古のむかし、二酸化炭素排出削減を定めた京都議定書という国際条約があったのをご存じだろうか。実際に温暖化は起きているし、二酸化炭素が温室効果ガスなのは厳然たる科学的事実ではある。それをみんなでなんとかしようと鳩首会談したのだ。  でも京都議定書は結局のところ、わずかばかりの二酸化炭素を減らすために莫大な損失を出しつつ100年後に0.2度ばかり上昇を抑えられました、という結果になるのをデンマークの政治学者が喝破し、事実上形骸化した。いまでは有意義な資金の使いみちを模索しながら各国が連携している。  そうした理性的な流れになる前、つまりヒステリックに二酸化炭素の排出削減をしない国は地球への背信者だとみんなが喚き散らしていた暗黒期に、CO2の削減量取引という救済措置が考え出された。  合衆国や中国などの超大国にとって、いきなり化石燃料使用の即時取りやめとか重化学工業の海外移転とかを実行に移すのは事実上不可能に近い。とはいえ国際条約に批准した以上、努力目標としてなんらかのアクションは起こさねばならない。  このジレンマを解決するため、規定値以上の大幅削減を達成した国から、削減量を買い取るという制度があったのだ。議定書の最終目標は二酸化炭素を減らして温暖化に歯止めをかけることだから、極端な話まったく非協力的な国家があるいっぽう、猛烈にがんばって環境に寄与する国家があってもよいのだ。  ただそれだと不公平なので、削減量を売ってもよいことにした。これなら誰もが得をするし、おまけに地球だって涼しくなる。全世界規模の崇高な条約にまで経済原理が入り込むのはどことなく不愉快だけれども、とにかくそういうシステムがあった。  木下さんの言った警察権がうちにあるというのは、これと似たようなシステム――つまり警察業務委託(ポリスワーク・アウトソーシング)のことを指している。  グローバル規模で企業があっちこっちへ移転しまくる当節において、各国政府はいかに金づるを自分の領土にとどめておけるかに腐心せざるをえない。連中から徴収できるのは法人税だけだと思ったら大まちがいだ。そこに雇用されている従業員から所得税やら保険料やらを徴収できるばかりか、高齢化で若者が激減しているところへ基幹労働力までひっさげてくるというおまけつきなのだから。  孵化機の登場で合計特殊出生率はいくぶん回復傾向にあるものの、数年で減少トレンドがy=2xのグラフみたいに急激な右肩上がりになるなどと期待するのはバカげている。国力を維持するとなると国産の子どもだけではぜんぜん足りない。どこかよそに活路を見出すほかはない。ゲームの駒を抱えているのは誰だ?  ご明察、グローバルに活躍する大企業である。  あとは連中の意向に沿った政策をぶら下げての誘引合戦に勝てばよいだけだ。うちは全品関税フリーですよ。うちはつまらない生殖工学規制なんかありませんよ。そのうち後手に回るばかりの民主主義が足かせになってくる。経済界のご意向を察知し、可及的速やかに法令に反映させたい。もう国家はローカルな徴税機関に成り下がってるわけだから、いっそのこと国防だけに専念すればよいのでは?  夜警国家でいいじゃん。社会福祉やら治安維持やらは民間へ任せちまおう。日本には1億人も住んでるんだから、誰か1人くらい生活保護とかおまわりさんとかを採算ベースで運営できる逸材がいるんじゃないの。もしそれが不可能で消滅の危機に瀕するのなら、そんなもんははじめから必要なかったのさ……。  というわけで、ジーン・デベロップメントは切り売りされた警察権の一部を買い取り、生殖工学技術分野限定ではあるものの、刑法に準じた正式な執行ができる立場にある。もうおわかりだろう、いまや二酸化炭素の排出削減量取引のごとく、警察権は(とその他の行政サービスも)売り買いされる時代なのだ。  わざとらしく深刻そうに声のトーンを落とす。「ところが問題はそう簡単じゃないんです」 「もう、真琴さんたら演技派ですね」両手を握り合わせて目をきらきら輝かせている。とても〈ジーニアス〉付加済みの某国公立大学院卒とは思えない。このギャップがたまらないわけだが。「で、その簡単じゃない問題っていうのは?」 「こいつを見てください」携帯端末を操作して木下さんに手渡した。  おっさんのただでさえ苦虫を噛みつぶしたような渋面が、これ以上ないくらいしわくちゃになった。彼は無言のまま端末を才媛にバトンした。香苗は興味津々に瞳をくりくりさせていたのだが、画面を見るにつけて徐々に首を傾げていき、ゆっくりと端末を返却した。 「どういうことなんですか、真琴さん」  端末にはここ最近起きた物騒なニュースが2件、表示されている。それらの見出しはそそれぞれ次の通りである。  高級住宅地、連日空き巣に狙われる  私立小学校に忍び寄る影。不審者の通報相次ぐ 「さすがの佐伯さんでも――」不満そうに目をすがめている。せき払いをひとつ。「さすがのかなさんでもこれだけじゃわからないよな」 「ほかにヒントはないんですか」 「ある」再び端末を操作して手渡した。「このグラフはうちの売り上げの推移。ここ1年ばかりのね」  彼女は目を細めてわずかに首を傾げた。「これが?」 「俺にも見せてみろ」横合いから研究部門長が端末をひったくった。「売り上げが落ちてる。そうだな日下部」  わたしは彼の顔をまじまじと見つめた。「おみそれしました」 「え、本当ですか」端末をとり返しながら、再度画面とにらめっこしている。「うーん、そう言われればそうですけど。こんなのふつう気づかないですよ」  顔を寄せてそっと耳打ちした。「あのおっさんがおかしいんだ、気にするな」 「ですよね! でもいよいようちのブランドも一巻の終わりってとこですか。転職したほうがいいのかなあ」 「どうだろうな。ぼくたちの活躍いかんといったとこだと思うよ」 「だめです、あたしこういう判じものみたいなのは苦手で。なぞなぞもからっきしで」  腕を組んだまま押し黙っていたおっさんが、耐えかねたように口を開いた。「うちのM型染色体パッケージ遺伝子が盗難に遭ってる。そういうことか?」  潔く白状すると、わたしはこの男が大嫌いだ。それでも推論能力の高さを称賛しないわけにはいかない。「ご名答」 「待って、あたしを置いてかないで」懇願するように手を握られた。「わかるように説明してください」 「うちの売り上げがそう簡単に落ちてたまるか」憎き部門長が割り込んできた。「〈ジーニアス〉、〈ヘルメス〉、〈アフロディテ〉。改良に改良を重ねたロングヒット商品だぞ。日本だけじゃなく、世界で愛されてる由緒正しい付加遺伝子がそうやすやすとシェアを奪われるはずがないし、競合他社が革新的な商品を開発したんならとっくに俺たちが知ってるはずだ」 「でも実際、売り上げは落ちてるんですよね」 「1件めの高級住宅地という表現。これは遺伝子ゲットーを限りなくお上品に表現した婉曲的言い回しなんだ」ようやく割り込めた。「武装警備員が常駐する治外法権地帯をあえて攻略しようとするのは、どうにも割に合わない気がしないか。空き巣は命賭けでやるもんじゃない」  古きよき時代、〈プレーン〉と〈カスタム〉は同じ町に住み、同じ学校に通っていたものだ。ご承知の通りいまはそうじゃない、嘆かわしいことだ――などと中道精神を振りかざせるのは、たぶんわたしに子どもがいないからだろう。目に入れても痛くない息子なり娘なりがもし、よだれを垂らした雑菌だらけの〈プレーン〉のガキどもと混じって砂場遊びをしていたとしたら? 果たしてわたしは自制心を保てるだろうか。  わからない。だが絶対の自信を持って保てると断言はできないのだけは確かだ。 「ごめん真琴さん、さっぱりわかりません」彼女はぺろりと舌を出した。「空き巣は命賭けでやる仕事じゃないってのはわかるんですけど」 「見出しの裏を読めよ、佐伯」またもおっさんが割り込んできた。「私立小学校の不審者で全部のピースが埋まるだろうが。いまどきの私立小学校というのは、九分九厘〈カスタム〉御用達のそれだと相場が決まってる」  むかしから公立学校はバラエティに富んだ生徒の集まる、魔女の大釜とも呼ぶべきごった煮だと恐れられてきた。そのため富裕層はもっとお上品な学校へ金を積んででも入れて、低所得者のガキどもが出すボツリヌス菌も顔負けの毒素からわが子を遠ざけていたわけだ。  居住地をめぐる隔離(遺伝子ゲットー)がなされたのなら、いわゆる私立小学校やら私立中学校やらが乱立しないはずはない。そこには事実上〈カスタム〉の子息子女しか入学できない(法的な問題は金に目のくらんだ弁護団が辣腕をふるい、最高裁判所から次のような判例を勝ち取るにいたる。すなわち「教育の理念、効率性、また教師にかかる負担を考慮した場合、学力の均質化を間接的に達成する可能性のある本事例のような付加遺伝子の有無による入学制限は、必ずしも違憲とは言えない」)。そうした制限が学校法人に莫大な利益を生み出してくれるのだ。 「2件のニュースはいずれも子どもを狙ってるのはすぐわかる」すかさず今度はわたしが出番を掠め取ってやった。「にもかかわらずどこそこの倅が誘拐されたとかいたずらされたとかいう話はとんと聞かない。いったいこの空き巣と変質者はなにをやらかしてるんだろうな」 「あっ!」香苗は手のひらに拳をぽんと打ちつけた。「うちの商品が盗まれてるんですね。それなら売り上げが落ちてる理由が説明できる。良心の呵責さえ感じなければ、正規品を定価で買わなくても値崩れした海賊版があるわけだし」 「おめでとうかなさん。百点満点だ」 「やったね!」  わたしたちは顔を見合わせて忍び笑いをしたのち、景気よくハイタッチした。 「最新版の新製品が組み込まれてるのは、最近この世に生を受けた〈カスタム〉の子どもたちだ。やつらは基本的に無防備だし、遺伝子を含んでる染色体は各細胞に必ず存在する」木下さんは神経質そうに補足した。「赤血球を除いてだがね」 「細胞なんてのは毎日剥離する皮膚()とか抜け落ちる髪の毛にもいやってほど含まれてますからね。空き巣を敢行して子どもたちの抜け毛を失敬したり、学校に潜入して体操服の一着でもくすねてこられればそれで十分なわけです」 「こいつは深刻だな。特許権侵害を屁とも思わんコソ泥のせいで、苦労して築き上げてきた研究成果が台なしにされるのは容認できん」 「犯人は誰なんでしょう。真琴さんは見当がついてるんですか?」 「実はこんな犯行声明が毎日朝9時、うちのメールボックスに規則正しく届くんだよ」わたしはポケットから折り曲げたプリントアウトを伸ばして、デスクに広げた。「たぶんこいつらだろう」 株式会社 ジーン・デベロップメント 各位  入梅の候、貴社ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。  さて貴社が長年にわたって販売を続けておりますM型染色体およびそれに付随する付加遺伝子について、われわれが強い危惧を抱いている旨、ご理解いただきたく存じます。  かつて貴社商品を買えないことによる遺伝子格差の広がりを懸念して、低所得者を中心としたデモが何度も企画されました。おそらくご記憶かと推察しますが、彼らの言い分はまったく正当でした。デモ隊の要求は明日にでも実施することの可能な、ごく穏当なものでした。M型染色体とパッケージ遺伝子の値下げ、もしくは販売自粛。  にもかかわらずあなたがた企業連合はそれを一蹴しました。その際になされた恥知らずな弁明を、われわれはいまでも一字一句にいたるまで記憶しております。それは次のような怖気をふるうほど幼稚で、救いようのないほど的外れなしろものでした。 「高級自動車の販売に対し、それが手の届かないほど高額であるからリリースを差し止めろというとんちんかんな要求を、少なくともわれわれは一度も聞いたことがない」  よろしい。こうなれば徹底抗戦です。われわれはできることをするまでです。これはあなたがたが惹起せしめた紛争です。その点をお忘れなく。 〈プレーン〉解放戦線 記 「〈プレーン〉解放戦線ねえ」香苗はうさんくさそうにため息をついた。「どういう組織なんですか」 「あとで調べてみてくれ。すばらしい理念をお持ちのようだから。生意気に英語名の略称まであるんだ。PLFって言ってさ。Plane Liberation Front」 「あとで調べますけど、参考のためにざっくり要約してみて」 「『自然的調和を乱すバイオテク企業と戦う革命戦士集団』ということらしい」 「どうもピンとこないなあ」 「うちの知財が被害を受けてるのはわかった。で、きみは結局ここへなにしにきたんだね。おっかない犯罪者どもがうろついてると警告しにきてくれたのか、わざわざ」 「狙われるのが遺伝子だけとは限りませんからね。いまお見せしたメールがどこまで本気かわかりませんが、徹底抗戦のなかに開発の妨害――つまりあなたがた研究者の身柄自体を直接攻撃するという選択肢だってあるわけです」 「脅かさないでくださいよ。1人で帰れなくなっちゃうじゃないですか」 「申請してくれれば、うちの部から護衛をつけるよ」 「ほんとですか! 担当者は指名できるの?」 「そういう規則はないけど、申請書の欄外にでも名前を書いてくれれば考慮するよ」 「えへへ。言質取りましたからね」 「大筋はわかった」会話が弾み始めるのを見計らって妨害している気がするのだが、たぶん被害妄想だろう。「わけのわからんたわごとを喚き散らすおかしな連中がいる。そいつらは逆恨みでうちの営業妨害をやらかしてると。悪いが知財管理はそっちの仕事なんだから、研究部門は協力できんぞ」 「わかってます。ただ技術的な疑問が出てきたときにはまたお邪魔するかもしれません」 「善処しよう。時間があればな」 「真琴さん、あたしはいつでも大歓迎だからね」  歓迎はしない、いやするの上司-部下戦争を尻目に、わたしは研究部門を辞した。
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