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「犯人をあぶり出す?」姉さんは素っ頓狂な声を上げた。「どうやってだよ」
保安部門のオフィスは地球環境に対する配慮の集大成である。デスクからパソコンにいたるまでほぼすべてのオフィス用品がリサイクルショップにて取り揃えられているとまことしやかにささやかれているのだ。新製品が出るやいなや、即座に電化製品の総入れ替えをやりたがる現代的な風潮に真っ向から挑戦する、反骨心あふれる経営方針といえよう。
要するに、会社は不採算部門なんかに回す金はないと言いたいのだ。
フロアは自社ビルの5階にあり、そこではあらゆる雑事が処理されている。M型染色体と付加遺伝子の輸出通関手配、知的財産権の申請や管理、果ては暇なやつが2トントラックでアンプルを納品させられることもある(実を言うとわたしはこの仕事がいちばん好きだ)。
「大きく出ましたな。こいつは日下部真琴先輩の腕の見せどころですぜ」根岸はボールペンを鼻に乗せて、頭の上で手を組んでいる。
警察を採算ベースに乗せつつ自社に吸収するとなると、むろん従来通りやらせていては話にならない。もともと治安維持や防火活動というのはまったく儲からないからこそ、長らく民営化されなかったのだから。
ジーン・デベロップメント社はそれを単純明快なかたちで解決した。保安以外の雑事を押しつければよいのだ。かくしてわれわれは通関やらパテント管理やら急な納品やらをさせられているのである。
「こないだの現場視察でわかったことをおさらいしましょう」電話がひっきりなしに鳴っている。ぱっと見はどこにでもあるふつうのオフィスだ。「ゲットーも小学校も外部からの侵入はまず不可能。2人も同じ意見だと思いますが」
部門長と青年はうなずいた。
「内部犯を疑いたいところですが、ご存じの通り両方ともなかにいるのは〈カスタム〉ゆかりの人びとです。帽子の盗難も体操服も、おそらく付着した細胞からうちのパッケージ遺伝子を盗むためになされたと考えるのが自然ですね」
「どうも解せんな。遺伝子がほしいなら帽子だけでどうして満足しないだ。わざわざリスクを冒して学校にまで魔の手を伸ばす理由がわからん」
「盗まれたのは両方とも子どもの衣類です。付加遺伝子は受精卵の時点でM型染色体に乗せなきゃならないから、後ろの世代にいけばいくほど最新鋭の新商品が組み込まれてる可能性は高くなる。保険をかける意味でもパクるものは分散させたほうがいい」
根岸がわざとらしくぱちんと額を打った。「そうか。俺はてっきり体操服のほうはロリコン野郎のしわざだと思ってました」
「わざと女子児童のやつばっかり狙ってそう見せかけてたってことか」と先輩。
「たぶんね。稚拙な攪乱工作ですよ」
その稚拙なやつに引っかかった根岸はおもしろくなさそうだ。「で、どうやって犯人をあぶり出すんです。七輪でサンマでも焼きますか」
「まあ待て。とにかく〈カスタム〉が自分たちの不利益になるようなまねをするとは思えん。適正価格で買ったものを横流しして海賊版の販促活動に寄与する理由はないからな。したがって単純な内部犯説も成り立たない」
「じゃあ結局、誰がやったんだよ」
「ゲットーにせよ学校にせよ、内部にいる〈プレーン〉でしょう」
「日下部さん、そいつは矛盾してますぜ」根岸はだらりと挙手しながら、「だって住民になるには〈カスタム〉証明がいるんだから。学校への入学も同じですよ」
「ついでに言えば、うちの書類は偽造不能の素材でできてる。おまえ見たことないのか?」
「ついこないだ写真を見ましたよ、ピラミッドから出土したようなしろものをね」
「ならわかってるはずだぞ。結論は〈カスタム〉に悪感情を持つ〈プレーン〉のコソ泥がいくら望んでも、内部に潜り込むのは無理。あたしまちがってるか?」
「にもかかわらず現に盗難は起きてる。動機がありそうなのは急進的な〈プレーン〉だけど、彼らはいかなる方法をもってしても忍び込めない。でもひとつだけ方法があります」
「もったいぶりますね、旦那」部下はにやにや笑っている。
「偽造が不可能なら、書類を丸ごと手に入れればいいんですよ」
森下さんは肩をすくめた。「続きを聞こうかね、名探偵どの」
「一口に〈カスタム〉と言ってもピンからキリまでいるのは想像がつくと思います。みんながみんな金持ちってわけじゃない。なかには無理してゲットーに住もうとしたり、子どものためを思って家計に火をつけてまで私立学校に入れてる向きもあるでしょう」
「金に困った貧乏家庭なら、〈カスタム〉証明をどこかの馬の骨に売っちまっても不思議じゃない。そういうことか?」さすがは部門長だけあって彼女は鋭い。「でもそいつがないと本末転倒なんじゃないのか」
「いや、ゲットーの居住権を買い取るときに提出するのは一度だけです。少なくともうちの〈バスティーユ〉はそうだった」根岸の顔には理解の色が浮かび始めている。「私立学校はたいてい付属ですから、あとはエスカレータ式というところが多い。入学のときに一度見せればもうお払い箱になっちまうケースがほとんどでしょうね」
「その通り」わたしは得意げにせき払いをした。「〈カスタム〉としての見栄を張りたい人間が例の書類を使うのは、人生でたったの2回だけだ。それもごく早いうちにその機会は訪れる。典型的な〈カスタム〉夫婦の場合、あの石版は役目を終えたあと箪笥の奥でほこりをかぶってる公算が大きい」
「筋は通ってるな」
「ということはつまり、ええと」根岸は口をへの字にしてうなっている。
「よその遺伝子ゲットーと私立学校の名簿を手に入れて、〈アルカトラズ〉のそれと照合すれば、かぶってる名前がきっとあるはずだ」
「あ、ちくしょう。いま同じことを言おうと思ってたんだけどなあ」
先輩は根岸の強がりに吹き出しながら、「そのかぶってるやつが犯人の可能性が高いってわけか」
「断定はできませんけどね」
「でもその名簿はどうやって手に入れるんです。個人情報はいまや当人の命より大切にされてるとかいう皮肉があるほどですからね。俺たちみたいな場末の警察にそこまでの権力が行使できるかどうか、疑問ですな」
「犯人はたぶん、うちとの提携関係を結んでるゲットーの住民から石版を買ってるはずだ。系列ゲットーなら話も通しやすい。悪用しない旨の一筆を認めた誓約書でも出せば大丈夫だろう」
「なんでうちの系列ゲットーから買っただなんて都合のいいことになるんだ?」
「ジーン・デベロップメントの証明書はあの通り、偽造不能なわけですよね。だからこそ価値がある。それは間接的に、内部に〈プレーン〉が紛れ込まない確かな保証になる。その保証を悪用しない手はないんじゃないですかね。捜査関係者が勝手に――ちょっと前のぼくらみたいに――内部犯説を否定してくれる。これはポイントが高い」
沈黙が訪れた。2人はいまの情報を咀嚼して自分なりに解釈しているようす。彼らに遠慮したかのように、ひっきりなしに鳴っていたはずの電話がいっとき、ぱたりと止んだ。
「名簿を見せてくれないかって頼むことがなにかの害になるとも思えんし」部門長はいすから立ち上がって大きく伸びをした。「とりあえずやってみるか。通関事務にも飽きたしな」
* * *
名簿の入手は想定以上の困難に見舞われたものの、とにかくわれわれはやってのけた。
交渉にあたってマニュアルを作成し、効率よく仕事をこなしたのだった。その門外不出のマニュアルとは次の通りである。
第一段階 泣き落とし
この事件を解決しないと俺は/ぼくは/あたしは首になる、神さま仏さま管理会社さま、どうかお力添えをしてくださいまし。人助けだと思って。なにとぞ。この通り……。
第二段階 共通の利害をほのめかす
あんたんとことうちは提携関係にある。うちの付加遺伝子が海賊版に悩まされるのを座して見ていてよいのかね? 海賊版がはびこれば証明書を持たない〈カスタム〉があふれ返ることになる。そいつらはあんたんとこに住みたくても住めない。さあて、おまんまの食い上げになるのは果たしてジーン・デベロップメントだけだろうかねえ。
第三段階 恐怖心をあおる
あんたはこう思ってる。「はん、それがどうした? 俺にゃ関係ない」。本当にそうだろうかね。今回はたまたま〈アルカトラズ〉とその付属小学校がやられたけれども、次はどこが狙われるかわかったもんじゃない。
そうは言ってもまったくランダムってわけでもない。連中はうちと提携してるゲットーがお気に入りのようだから、対象はぐっと絞られる。あいつらがどうやってターゲットを決めてるかは神のみぞ知るわけだが、たとえサイコロを振って出た目で決めてるとしても、それがお宅を指すのは時間の問題だと思うよ。そのときお宅のゲットーの市場価値が地に堕ちなきゃいいんだが……。
最終段階 恫喝
ここまで言ってもわからないのなら、お前さんは史上まれに見る抜け作野郎だよ、正味な話。まちがいなく頭が悪い。俺にゃあんたが今日まで生き延びてきたという事実に驚きを禁じ得ないね。そんなポンコツおつむでも呼吸を制御するくらいの機能はあるんだな、ひとつ勉強になったよ。
さて、昨今の民営化された警察は公務員時代に比べてずいぶん野蛮になったと嘆かれてるのはご存じかね。あれが根拠のない流言飛語だと思うかい。実際のところ、企業子飼いの警察官はもはや市民の頼れるお兄さんお姉さんなんかではぜんぜんないんだ、遺憾ながら。
それは企業の私兵と言ってもいい。あいつらは――つまり俺たちはってことだが、雇い主の利益になることならなんでもやる。そうしないと首が飛ぶからだ。あんたがたがボスの業務命令に一も二もなくしたがうのと一緒さ。
そしていま俺たちは、お前さんの握ってる名簿に興味がある。それはなんとしても提供してもらわにゃならん。わかるな。
回りくどいのは抜きにして、ここらではっきりさせとこうか。つべこべ言わずにさっさとそいつをよこせ。殺されたいのか、ああ?
滅多に最終段階まで行使したケースはなかった。なんせによわれわれは必要なものを手に入れ、早速各名簿を〈アルカトラズ〉のそれと照合した。
わたしのもくろみ通り、ばっちり〈アルカトラズ〉のほうから三世帯分の重複が、小学校のほうも4名の子どもがかぶる結果となった。おそらくコソ泥は石版を横流ししてもらった家庭と似たような家族構成なのだろう。すなわち比較的若い両親に小学生の子どもという核家族世帯。
「どうもおもしろくないですね」根岸は照合結果の書類をひらひらさせながら、「日下部さんのお手柄ってわけですかい」
「どうして先輩の偉業を素直に喜べないのかね、きみは」
「そうだぞ根岸。身内で反目し合ってどうするんだ」さすが森下さんは年長者なだけある。「とにかくこれで捜査のめどが立った。どうやってしょっぴいてやろうかね」
「PUでいきましょう!」やかまし屋が高らかに宣言した。「相手は人さまの特許を不当に侵害する悪の枢軸ですよ。ここはガツンとやってやらにゃ」
「おいおい、ずいぶん血の気が多いじゃないか。相手がテロリストでもなけりゃPUの使用許可なんか降りっこないぜ」
PU(Powerd Unit)というのは災害救助装置に分類されるパワーアシストアーマーである。そのルーツは今世紀初頭に取り沙汰された筋電位義手にある。要旨は次の通りだ。
ひょんなことから隻腕になった障害者でも、依然切断面までは神経パルスが送られてきている。せっかくパルスがきているのなら、どうして機械義手の駆動に使っていけないわけがある? なんのことはない、コンセプトは利用できるものは利用するという吝嗇家根性だったのだ。
当節では再生医療が華々しく人体再生に活用されているため、腕一本足一本くらいならiPS細胞からいくらでも培養できる。神経接続にはちょっとした外科的離れ業を要求されるものの、それさえクリアできれば拒絶反応なしの新品が手に入る世の中だ。
おのずから必然的に、筋電位義手は本来の用途としてはシェアを失った。そして代わりにべつの活路を見出した。神経パルスの接続・増幅をパワーアシスト装置として使えないか? 100キロオーバーもの岩塊を片手で持ち上げられるような。
いっぽうマグニチュード8もの地震がいまに起きると脅され続ける昨今、がれきの山と化した市街からいち早く市民を救出するのが消防隊に課せられた使命である。倒壊したビルの残骸をブルドーザーで撤去しちまえば救出活動も捗るだろうが、それでは救出目標ごとがれきと一緒に埋め立て地へ直行してしまう。災害救助には繊細かつパワフルな機械力の導入が不可欠なのだ。
そうした期待に応えるかたちで開発されたのが、ご存じPUである。そのフォルムはまさに近未来SFに登場するパワードスーツといった趣で、これがリリースされた当初は全国の男子中学生を熱狂させたものだ(一部高校生、大学生、果ては大人になりきれなかった立派な成人までもがお熱を上げたらしいのだが……)。
いまでは用途に応じた多種多様のタイプが存在し(装甲を増設した戦闘用、スラスターと酸素ボンベつきの宇宙用、さらには徹底した気密状態を施した海中用なんてのもある)、多数のモデルが全世界へ輸出されている。いまだに民族紛争を抱える戦乱の絶えない哀れな国家ではライセンス生産も実施されており、いまや世界に愛されるロングヒット商品にまでのし上がった。
むろん警察や消防にも導入され、出番をいまかいまかと待ちながら格納庫の片すみで埃をかぶっている、というのが実情だった。日本は相変わらず銃撃戦とは無縁の平和な日々を享受しているし、一部の専門家がくるぞくるぞと煽り続けている直下型大地震もいまのところ、その兆しも見られない。
「じゃあこうしましょう。たまには稼働させなきゃいざってときに整備不良で動かないなんてことになる、車と一緒ですよって脅すんです」
「まあ一理あるけどさ」
根岸は勢いよくデスクに両手を叩きつけた。「俺が使用許可申請書を書きます。それで通らなかったらすっぱり諦める。それなら姉さんの仕事が増えるわけじゃないし、文句ないでしょ」
「なんかおまえ、やけに張り切ってるな」と苦笑いしながら先輩。「そんなに仕事熱心なタイプだったっけ」
「俺がなんでこの仕事選んだと思ってるんですか。PUを着込んで無敵のヒーローになりたかったからですよ。そのチャンスが目前にぶら下がってるのに、なんでそいつをふいにしちまわなきゃならないんです?」
「わかったわかった。許可申請はお前に任せるよ。せいぜいうまいことやってくれ」
数日後、始業10分前にいつも通り出勤すると、根岸がすでに着席しており、なにやら得意げににやにや笑っているではないか。いやな予感がした。にやにや笑いのほうはいつもそうした表情なので特筆するようなことではないが、驚くべきは前者である。やつが10分前に着席しているなんてあまりにも不吉すぎる。とても10秒前にヘッドスライディングで滑り込んでくる盗塁王のすることとは思えない。
森下さんもすでに出勤しており(部門長らしく20分前には着席しているので、これ自体は驚くにあたらない)、彼女のほうは対照的にしてやられたといったようすの渋面を作っている。「日下部、あたしらはあのガキの英雄願望を甘く見てたらしい」
背筋を冷や汗が這い降りる。「というと、つまり……?」
「じゃん」部下が紙切れを両手で広げてみせた。「とくとご覧じろ!」
とくとご覧じるまでもなく、それがなんであるかの見当はついた。冷厳な事実に相対する心の準備が整っていなかったので、とりあえずちらりと目の端で盗み見る。〈なんとか使用許可書〉とか書いてあるように見えた。目を強く閉じ、こめかみをもんでからかっと見開く。準備万端、なんでもこい。
紙切れをひったくった。「なるほど、〈災害救助機械使用許可書〉ね」やつの執念には脱帽するほかない。「参ったねどうも。いったいどうやってお偉方を説得したいんだい、坊主」
「簡単ですよ。整備の重要性とそれを怠った際に生じるであろう減価償却費の予想金額をグラフにして添付したんです。それともちろん、うちの主力たる遺伝子商品の剽窃をなあなあで許すとどうなるか、予想される一般的なシミュレート結果もつけときました」
減価償却費と一般的なシミュレート結果とやらは明らかに、やつの恣意的なデータによって捏造されたありそうもない未来だったのだろう。だがもう遅い。青年の情熱を見くびったツケは何倍にもなって返ってきたわけだ。
「しょうがない」森下さんは露骨にため息をついた。「PUで出撃する。日下部、〈アルカトラズ〉に入場許可とっといてくれ」ここでなにかに気づいたのか、彼女の表情が明るくなった。「待てよ。そう簡単に連中があんなおっかない機械の搬入を許してくれるかな」
「大丈夫、俺に任せといてください」根岸はどんと胸を叩いた。「こっちの兄さんにやらせると、どうもサボタージュされる気がするんでね」
「お見通しとは恐れ入ったね。じゃ、すまんが頼むよ」
その日の昼休み明け、午睡の気だるい気分が覚めやらぬなか、部下がなにやら元気いっぱいに喚き散らしている。「日下部さん見てください」
「なんだよいったい」目をこすってもこすっても眠気が取れない。「シリウスあたりからはるばる宇宙人でもやってきたのかね」
やつは無言のまま、得意げにパソコンのモニタを指さしている。いちいち見るまでもない。野郎の表情がその内容を克明に物語っている。「〈アルカトラズ〉からも許可もらったんだな?」
「おや、さすがは優秀な先輩。鋭い推理力」
「なにを騒いでんだ、おまえら」部門長が首を鳴らしながらデスクに戻ってきた(昼休みは女子職員と井戸端会議に精を出すという、まことに似つかわしくない労務を消化しているのだ)。即座に根岸の表情に気づいたらしく、さっと顔が青ざめる。「まさか……」
「そのまさかですよ」
「あちゃー」彼女は額に手を当ててうつむいた。「どんな魔術を駆使したのか、もう聞く気も起きんよあたしは」
かくして襲撃は決定した。ご大層にもPUを着込んでだ。一介のコソ泥を相手に。
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