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強襲はあっけなく終わった。
それも当然である。相手はごくふつうの核家族だったのだ、テロリストなんかじゃなしに。予告なしで1人ずつが三世帯を同時に訪問し、お宅の〈カスタム〉証明がどうも怪しいようでしてね、と訳知り顔で探りを入れた。
三世帯中二世帯はこれだけで平身低頭し、どうか命だけはお助けを、この子だけは、この子だけはなにとぞ、なにとぞお代官さまあ――と時代劇もかくやといった命乞いをやり出す始末だったらしい。
無理もなかろう。全身熱硬化性樹脂の鎧で固めた異形の超人がいきなりやってきて(おまけにヘルメットをかぶっているので表情もわからない)、暗におまえらの悪事はお見通しだ、さあ白状しろ、さもなくば……と脅迫したのだから。ビビらないほうがどうかしている。
そういうわけで(ドンパチを期待していたため)消化不良気味の根岸と、あっさり終わってほっと胸をなでおろしている森下さんは間もなく家族全員をひっ捕らえ、今日の晩飯に思いを馳せていた。
ところがこっちはどういうわけか、いちばん頑固なのに当たっちまったらしい(この引きの強さは異常である。例の〈ジャックポット〉、あれはもしかして詐欺商品じゃなかったのか?)。30代後半と思われる父親はとぼけているし、母親は神妙そうに正座して押し黙っている。奥のほうから子どもたちのはしゃいでいる声がするものの、ちっとも平和な雰囲気醸成に寄与していない。
「仮にだよ」父親はいまにも飛びかかってきそうな勢いだ。「〈カスタム〉証明に瑕疵があったとして、それがあんたら警察になんの関係があるんだよ。〈アルカトラズ〉の入居条件をどうクリアしたって俺たちの勝手だと思うがな」
「それだけならぼくらもそう目くじらを立てなかったんですけどね。あなたがたがいまの身分を悪用してる疑いがあるんですよ」
ヴァイザ越しでもわかるほど、顕著に親父の顔色が青ざめた。「どうも話が見えんな」
ひっそりと母親が中座する。子どもたちの幸せそうな声が途切れた。勝手口から逃がしている可能性がある。わたしは小声で外の2人に遠慮なく泣きついた。「すいません、そっちは片づいたんですよね。ちょっと協力してください」
「とにかく俺たちはなんにも知らん。あんたのはまったくの言いがかりだ」
母親が戻ってきた。後ろ手になにか隠し持っている。どうもサプライズの花束じゃなさそうだ。
「日下部」森下さんからだ。「いまガキ2匹をふん捕まえた。気をつけろ、後顧の憂いを絶ったあとだ、そいつらなにをしでかすかわからんぞ」
「知ってますかお2人とも。最近〈アルカトラズ〉と提携の付属小学校で盗難事件が起きてましてね。どうにも物騒なんですけど、状況的に見て内部犯のしわざらしいんです」
「それが俺たちだってのか? なんの証拠があって言ってるのやら」
「そこなんですよ、証拠がない。悪いんですがちょっとばかり、家宅捜索させてもらえませんかね」
「そういうのは無許可でできないんじゃないのか」
わたしは裁判所に発行してもらった令状をサイドポケットから取り出した。「はい、この通り先手を打ってあるわけでして」
場が凍りついた。「どうあってもうちを捜索するつもりか、あんた」
「できればご協力願いたいんですけどね」小声でまたぞろ2人に泣きつく。「いまにも飛びかかってきそうだ。どっちか片方だけでも加勢できませんか」
奥さんが後ろ手になにかを隠したまま、夫へうまいこと手渡ししている。あれが香り豊かな花束であるほうに賭けるのは気が進まない。旦那がゆっくりと立ち上がる。奥方もそうする。「出てけ、いますぐにだ」
2人は並んでライフルを構えていた。わたしは賭けに勝った。やっぱり花束じゃなかったわけだ。ちっとも嬉しくない。「落ち着いて2人とも。モデルガンかなにかなんでしょ、本当は。いったいどこのミリタリーショップで手に入れたんです」
轟音が鳴り響き、玄関に飾ってあった花瓶がこっぱみじんに砕け散った。「見ての通りだ、日下部さんとやら」
その瞬間、勝手口から侵入してきた森下機が背後から奥さんを襲った。パルス増幅率を最低出力にしてあるとはいえ(してあるよな?)、PUのタックルを生身で受けて平気なはずがない。アクション映画そこのけに宙を飛び、靴箱に激突した。ぴくりとも動かない。
「先輩、ちょっとやりすぎなんじゃ――」
「バカ、油断するな!」
巨大なハンマーで腹を殴られたかのような衝撃。撃たれたのだ。幸いそのあたりは装甲が厚めの部分であり、ダメージはなかった。進化を続ける有機化学によって生み出された、最先端の熱硬化樹脂をなめちゃいけない。
「お父さん、そろそろ観念したらどうです」もう一発もらった。胸のあたりに強い衝撃。心臓を狙ったつもりなのだろう、なかなか思い切りがよい。「あんまり暴れるとぼくも手加減できませんよ」
「黙れ、〈カスタム〉の人でなしどもめ!」
次の一発は撃たせなかった。わたしの美しい右ストレートがライフルを粉砕したのである。出力を調整すればパルス増幅率は通常の5倍にも10倍にも変更できる。こうなると根岸じゃないが、正真正銘のスーパーマンだ。
「さてタイマンといきますか。お互いスデゴロでね」
* * *
三世帯をまるごと逮捕し、それ以降の取り調べやら検察とのやり取りやらは本職の警察へ丸投げし、情報だけは掠め取る。それがわれわれのやりかただ。今日も夏真っ盛りの暑いなか所轄の警察署へ顔を出し、担当官にまとわりついてうっとうしがられたあと、こうして叩き出されてきたのだった。
涼しいオフィスへほうほうのていで逃げ込むと、途端にいつものメンバーに包囲された。
「お疲れさん。今日はどんな収穫があったんだ」と部門長。意外にゴシップ好きなのだ。
「いまでも俺は恨んでますからね。あんたがおいしいとこ持ってったのを」好きで貧乏くじを引いたわけじゃないのに、根岸からはあれ以来ずっと因縁をつけられている。
「やっぱり例の〈プレーン〉ヨーグルト普及委員会……でしたっけ。あれが絡んでたんですか?」なぜか香苗までいる。
「なんでかなさんがいるんだ」
「お構いなく。オブサーバーってことで」
「おっかない上司がよく許したね、こんなとこで油売るのをさ」
「今日はあたし、有給でお休みなんです」
「じゃあなんで会社なんぞにいるのかな」
「真琴さんが盗難事件の背景情報をひっさげてくるって聞いたから、これは仕事なんかしてる場合じゃないぞって思って」
「どうも気に食わんね」根岸が早速突っかかってきた。「いま香苗ちゃん、この男を名前で呼ばなかったかな。どういう関係なのかねえ」
「そりゃもちろん」小走りですり寄ってきて、腕にしがみつかれた。ふくよかな胸の感触に頭がくらくらする。「こういう関係ですよ」
「盗難事件を見事解決するだけじゃなく、わが社の才媛をひそかにたぶらかしてたとはね。日下部大先輩には驚かされっぱなしですなあ」
「おいおい、真に受けるなよ。べつにそういうんじゃないんだから」
「ひどい真琴さん。あたしのことだましてたのね。結婚してくれるって言ったじゃない」
ひとしきり笑ったあと、森下さんが口調を改めた。「で、どうだったんだ」
「ぼくらの予想した通り、三世帯とも例の石版を横流ししてもらったみたいですね。そいつを使ってまんまと〈アルカトラズ〉と付属小学校に潜入した。あとは好き放題にやったと。一度内部の住民として登録されちまえば警報装置は作動しないし、そこらじゅう鍵もろくすっぽ閉めてない危機感ゼロのご家庭があふれてるわけですから」
「学校の体操服はどうなんです。あっちは〈アルカトラズ〉に住んでようが関係ないでしょ」根岸もどことなくまじめモードだ。
「親が子どもにやらせてたみたいだな。変態教師がごそごそ女子児童のサブバッグを漁ってれば即座に縛り首だろうが、健全そうなガキなら誰も不自然に思わない。うまいことやったもんさ」
重苦しい沈黙。誰だって子どもが犯罪の片棒を担がされたと聞いて愉快になるはずはない。破ってくれたのは香苗だった。「それで、盗難品はどうなったんですか。各家庭に全部あったの?」
「いや、見つかったのは一部だけだそうだ。残りは指定された住所に郵送したとか言ってるらしい。その指定先に問題の貨物が届いたのが確認され次第、折り返しいついつどこで落ち合おうと書かれた紙切れが届く。そこで現金を手渡しで受け取ると」
「誰が住所を指定して、誰が報酬を支払ってるのかな」と有給消化の達人。鋭い。
「不思議なことに当の彼ら自身、知らないそうだ。わかったのは連中がPLFに所属してるってことだけだな、いまのところ」
「〈プレーン〉解放戦線でしたっけ」
「そう。うちにありがたい怪文書を送ってくれる熱烈なファンクラブ」
「PLFの仕業とはねえ」森下さんは感慨深げにうなずいている。「最初はこんな過激派じゃなかったのに、いつの間にか妙なほうへ路線変更しちゃって」
「話したそうですね、先輩」
「ちょっと前までは割合まともな組織だったんだよ。〈カスタム〉に有利なことばっかり起きてた時期に芯の通った反論をするってんで、〈プレーン〉はもちろんのこと〈カスタム〉の穏健派からも一目置かれてた。そもそもあのころは名前ももっとふつうだったよ、どんなだか忘れちゃったけど」
森下かすみ保安部門長は御年36歳、時期的にM型染色体の恩恵はぎりぎり受けられたはずだが、まだ世の親御さんたちがうさんくさげに動向を注視していた時節である。彼女のご両親もその口だったらしく、先輩は〈プレーン〉だ。森下さんの立場からすればPLFのほうが同族なのであり、なにかしら思うところもあるのだろう。
「今回の事件が明るみに出たあと、C G Aがかんかんに怒っててさ。これ見てみろよ」
森下さんから端末を受け取った。彼らの声明は次の通りである。
「知能の低い人間――はっきり誰たちと明言はしないが、〈プレーン〉のごく一部とだけ言っておこう――は犯罪に対するブレーキを著しく欠いているのではないか」
「だいぶ頭にきてるようですな。冒頭で明言しないと言った舌の根も乾かぬうちにほぼ名指しで非難してるし」端末を返却した。「PLFはなにか反論してるんですか」
「昨日づけでSNSのアカウントが更新されてますね」今度は香苗の端末を貸してもらった。彼らの反論は次の通りである。
「あたかもわれわれすべてが犯罪者予備軍であるかのような発言は容認しかねる。彼らは自分たちがまったく罪を犯さない聖人君子であると断言したも同じではないか」
「どうも精彩を欠いてる気がするね」誰にでもなくつぶやく。「実際盗難騒ぎを巻き起こしたのはこいつらなんだから、この論法はむなしく聞こえるぜ」
「CGAが一本取ったかっこうですな」根岸は鼻の下にシャーペンを挟んでいすにふんぞり返っている。
〈プレーン〉サイドに極端な思想を持つ団体が設立されたのに対抗して、〈カスタム〉サイドもそのたぐいの組織を立ち上げた。それがCGA(Custom Gene Associates)である。
どんな連中なのかは説明しなくても想像がつくだろうから割愛する。創立メンバーの数ある失言のなかから比較的おとなしめのやつをピックアップすれば、それで十分だろう。「いまどきM型染色体ひとつ埋め込まずに子どもを発生させるのは、もはや虐待といっても過言ではない」。こんなことばかり年がら年中つぶやいてるので、わたしはいまだに好きになれないでいる。
「ずいぶん話が逸れちまったが、続きを頼むよ日下部」部門長は陰鬱そうだ。「盗品は売りさばかれたとか言ってたな」
「てっきり自前の研究機関があって、そいつらが帽子やら体操服やらから遺伝子を盗み出してたと思ったんですが、どうもちがうようですね」
「大口叩いてるけどPLFの実態も大したことないんじゃないですか」根岸は早くもいつもの楽観論に傾いている。「汚れ仕事をよそへ委託してるようじゃ、やつらの底も知れましたな。自分たちの手で〈カスタム〉をギャフンと言わせてやろうっていう気概はないのかね、生化学者をリクルートなりなんなりしてさ」
「どういう仕組みなんだ。とある住所に盗品を送らせるって言ってたが、その送り先に遺伝子の剽窃を専門にするマッド・サイエンティストが住んでるのか」
「ただの私書箱だったらしいですよ」
「まあそうだろうな。たぶんそこからさらに何人もあいだに介在させてて、バッファを設けてるってところだろう。そいつらは自分のやってる仕事についてなんにも知らないんだろうな」姉さんは獰猛そうに鼻を鳴らした。「よっぽど下手人の身元が割れるのを恐れてるとみえる」
「で、これからの方針は?」部外者の香苗が言う台詞じゃない気がするのだが。
「引き続き連中の証言から情報を得て、関係者を芋づる式にしょっぴく」
「あんまりかっこよくはないですね」
肩をすくめた。「かもしれん」
「とにかく、これでうちの売り上げが漸減してる理由は解消したわけだ。〈カスタム〉の衣類から染色体を抽出し、パッケージ遺伝子を海賊版として売ってるやつらがいる。その供給源は断ったから、とりあえずこれで一件落着だろう」森下さんは柏手を打った。「ご苦労だった。今日はもう帰っていいぞ」
恩赦まことにありがたいといいたいところだが、すでに午後4時を回ったところだった。まあ早くあがれるのに越したことはない。急いで帰り支度をして、フロアをあとにする。
西に傾きつつあるとはいえ、強烈な夏の陽射しはまだまだ健在だ。目を細めてままよと歩道を歩き始めた。途端に吹き出す汗。
「真琴さん!」肩を掴まれた。かまわず歩き続ける。「なんでそうロケットみたいにいっちゃうかなあ」
「恩赦が出たからな」
「なんでちょっと怒ってるんですか」
「怒ってないよ」
「ほら、やっぱり怒ってる」
わたしは観念して立ち止まった。「なにか用なのか」
「駅まで一緒に帰ろうと思っただけです。そんなにいじめないでください」
もともと背は小さいほうの彼女が、首をすくめているせいでホビットみたいに縮んで見える。わたしは自分の態度が恥ずかしくなった。「すまん、悪かったよ」
「で、なにが気に障ったの。さっきあたしが仕事のやりかたをかっこよくないって言ったから?」
この生きものと話していると、さっきまで澱のように淀んでいた負の感情がみるみる中和されていく。あとに残るのは塩くらいのものだ。「連中の動機を考えてたら、ちょっと胸クソが悪くなっただけなんだ」
「動機? 確かに〈カスタム〉に対する露骨な反骨心ってのは極端かなって思うけど」
「もし彼らがその露骨な反骨心を持つ革命闘士なら、ぼくはむしろ好感を持っただろうな」
「説明してください」ぐいぐいと腕を引っ張られた。「ちょっと木陰に入りませんか」
「あの場では言わなかったけど、実は連中、換金額も白状してるんだ。帽子はひとつあたり250万。体操服はその倍だそうだ」意図せずため息が出た。「それもボーナスまで出る。入手できた遺伝子のなかでもお高いやつとか新しいやつがあった場合には、事前に取り決めてあった料金表にしたがって追加報酬が支払われるんだと」
「〈カスタム〉のゆく末なんかはどうでもよくて、ただのお金に目のくらんだ亡者だったってわけですか」
「もちろんそれも頭にくる」
「ほかにもまだなにかあるの?」
「どんな仕事であれ、発注者ありきなのがこの世の中の仕組みだ。いくら10兆円ほどでブラックホールを地球近傍まで引っ張ってこられる技術を持ってても、それに対して金を払ってくれる人間がいなきゃなんにもならん」
香苗の表情が陰鬱そうに沈んでいく。言わんとしていることに気づいたらしい。「PLFのやりかた、汚いですね」
傍から聞いている限りにおいて、PLFの理念はまことにすばらしい。貧困層が子どもに強化遺伝子を買ってやれず、ますます貧富の差が広がろうとしている当節の傾向については、誰だって懸念のひとつやふたつ持っているものだ。
付加遺伝子の海賊版を格安で貧困層に横流しすることによってくさびを打ち込み、もって〈カスタム〉絶対主義社会に一石を投じるという活動そのものに見るべき点はある。少々過激的すぎるけれども、そうでもしなけりゃ弱者の声は届かない。それくらいのことは考えているのだろう。容認はできないが理解はできる。
「盗みの対価として目の前に金をぶら下げる。これが気に食わないんだよ。窃盗をやらかす人間は誰でもいいことになっちまう。極端な話、PLFのメンバーである必要さえない」ぐったりと手近のビルに寄りかかった。暑い。「もしかしたら現にいま捕まってるやつらは完全な部外者なのかもしれん。PLFなんて生まれてこのかた聞いたこともないような」
沈黙。緑化事業の名のもとに残されたわずかな樹木から、セミの鳴き声だけがじわじわと頭上から降ってくる。
「きっと解放戦線のメンバーですよ」慰めるように背中をそっと叩かれた。「盗品が高額で取引されてたのは困難な任務に対するねぎらいです。革命闘士が対価を受け取っちゃいけない決まりなんてないんだから」
「そうだろうな」作り笑いを浮かべるだけの元気は戻ってきた。「ありがとう、かなさん」
「そうだ! 暑いときはスタミナつけなきゃ。こないだのステーキ屋さんにいきましょ」
「お、いいね」
香苗とツーショットで夕食。考えられないほどの僥倖だ。
にもかかわらず、わたしの気分はついに晴れなかった。
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