第4話

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第4話

 二人は、宿場町に戻って茶屋の二階に上がった。  どうしても説明を求める広尾を前に、柊一はただ黙ってそこに座っているばかりで、何も言わない。  形だけで頼んだ酒が運ばれ、女中が下がるのを待って広尾が口を切った。 「教えてください、どうして仇討ちになんて出立したんですか? アナタは…先代に恩も感じていなければ、對敬すらしてはいない筈なのに」 「俺の意思など、あの家では無いも同然だ。…そんな事、文明だとて百も承知だろう」  吐き捨てるように言って、柊一は乱暴な仕草で湯飲みに酒を注ぐとそのまま口に運ぶ。  広尾が知っている柊一は、決して酒など口にはしなかったのに。  そんな柊一の様子を、広尾は酷く痛ましい思いで見つめていた。  柊一の家は、街でも有名な大きな道場である。  広尾は、その道場の門弟であった。  家の格式から言えば広尾の方が身分が上になるが、道場という場所と年齢そして道場主の息子という立場から、二人の力関係は柊一の方が上のような状態になっている。  幼少の頃より道場に通っていた広尾にとって、柊一は肉親よりもある意味特別な存在だった。  子供の頃は、己が長男であった広尾には、年が近く自分よりも聡明な柊一は頼りがいのある兄のような存在だったのだが。  柊一との長い付き合いのウチに、奇妙な別の感情を抱くようになった。  それは、柊一を守ってやりたいという、少し考えてみるとひどく傲慢な、それでいてあまりにも当然のような気もする感情だった。  道場の中にあって、柊一はとても微妙な立場にあった。  柊一は、…広尾が問いかけた言葉通りに、この仇討ちにそれほど乗り気ではなかった筈だ。  なぜなら柊一は、父親に対して對敬の念も愛情も感じていなかったから。  柊一の家が構える道場は柊一の曾祖父が作り上げた物で、柊一の父は世に良くあるこれと言った才能もないままに、ただ「嫡男」と言うだけで跡を継いだ凡庸な男だった。  そして、そうした「三代目」にありがちな俗な人間でもあった。  その時の欲望のまま慰めに女を抱き、幾許かの金を与えては追い払うような事を繰り返す。  しかも、それが安易に許される立場にもあった。  だが、そうした「乱行」を続けているにも関わらず子供が出来なかったところを見ると、彼の身体にはどこか欠陥があったのかもしれない。  もちろん、本妻に子は居なかった。  柊一の母は、柊一の家に勤めていた女中に過ぎなかった。  だが、色白で器量の良かった彼女が、主人の色眼鏡に映らない訳もなく。  もしもそこで柊一を身籠もる事がなければ、他の女達と同じように幾許かの金を与えられて暇を出されただろう。  柊一の家にとって、嫡男は喉から手が出る程に切望されていた。  これは広尾知る由もない事であったが、生まれ落ちた時に性別が曖昧だったにも関わらず、嫡男として迎え入れられてしまう程に一族は跡継ぎを欲していた。  嫡男を生んだ女として柊一の母は父の妾となり、生涯の生活を保障された。  しかし柊一の母は、夫を愛して子を孕んだ訳でなく。  むしろ、己の一生を歪めた相手として憎んでさえいた。  そして彼女は、自分が腹を痛めて生んだ筈であろう息子を愛する事までも、拒んだ。  己の欲望にしか、興味のない父親。  嫡男を産めなかった妻として家の中での立場を失った本妻は、柊一を疎ましくさえ思っていた。  そして柊一の家の者は「嫡男」として柊一を家に引き留めておきながら、「妾腹の子供」としてどこか彼を蔑んでいた。  広い屋敷の中に、柊一の居場所は無かった。  しかし、それは道場にあっても同じだった。  道場主の息子であり嫡男でもあった柊一は次代の師範になるべく、幼少の頃より大人達に混じっての稽古を受けていた。  勘が鋭く身のこなしも敏捷であった柊一は、広尾がようやく竹刀を持って格好が付くような年頃になった頃には、既に大人と互角に渡り合えるほどの実力を身につけていた。  道場内でもっとも実力を持っていたのは師範代である中師であったが、その中師でさえ時には押され気味になる。  少し目端の利く門徒達の間では、凡庸な父である師範では既に太刀打ち出来ないとまで噂されていた。  しかしその才能こそが、柊一を孤独へと追いやる理由に他ならなかった。  同じ年頃の少年達は力が互角に合ってこそ競い合い、その中に互いの信頼関係を築き上げる。  誰と向き合っても決して負け知らずの柊一を相手に、心を開く相手は皆無だった。  その中にあってひたすらその強さに憧れた広尾だけが、柊一の少ない友人の一人だったのだ。  強さに對敬の念を抱き、憧れて柊一に歩み寄った広尾だったが。  その強さをまとった柊一が、実は誰よりも孤独に苛まれているという事実に感情を一転させたのだ。  だが広尾もまた嫡男として、己の勤めがあった。  しかも子供に過ぎなかった広尾は、柊一に対する複雑な感情を全てに置いて優先できる程の権利も、まだ与えられていなかった。  己の双肩にかかる義務によって、広尾は否応なしに一時、道場から離れていなければならない事情が出来てしまった。  そうして広尾が道場を離れている間の、そんな状況の中で柊一の父が亡くなった。  道場に通う子弟達に招かれてしたたかに酔った夜道の途中、強盗に襲われていた男を助けようとして切られた。  というのが、表向きの経緯だった。  だがそれは、賞金首を追っていた男を賊と見間違え、酔っていた事もあって賞金稼ぎに絡んだ挙げ句に切り捨てられた。  というのが、真実だったらしい。  抜刀もしないうちにあっさり殺されたという事実も、大道場の主の面子が立たない為に隠蔽された。
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