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第6話
たぶん柊一は、上手くまいてしまえば自分が諦めて帰ると思っているんだろう。
街道を歩きながら、広尾はそう考えていた。
不意をつかれて、見失ったけれど。
でも、広尾は焦っていなかった。
必ず見つけて、絶対に守ってみせる。
そう誓って、己の家柄もなにもかも、捨てるつもりで旅に出たのだ。
今更、帰るつもりは毛頭無かった。
自分から身を隠そうとしている柊一なら、街道を行かずに脇道に入るだろうと判断した広尾は、ほとんどけもの道と化している細い道を選んだ。
小一時間も進んだだろうか、先に少し開けた場所が見える。
朽ち果てたまま放置されたと思わしき祠と、人が訪れない為にのび放題になっている雑草に覆われた窪地。
そしてそこに、対峙する二人の剣士の姿を見た瞬間、広尾は走り出していた。
二刀流を交差させ、振り下ろされた多聞の大刀を辛うじて受け流す。
だが、柊一が思ったよりも早く多聞は次の一撃を放っていた。
「危ない!」
間合いに入った広尾がその一撃を受け止めてくれなかったら、柊一はまたしても多聞の前に敗北していたに違いない。
「文明!」
柊一を庇うように立ち、広尾は多聞を威嚇しながら柊一の様子を見た。
左腕を伝う、一筋の赤い線。
「斬られたんですか?」
「かすり傷だ。…文明、なぜ追ってきた?」
助けられた手前、あまり強い口調では言えなかったらしいその声は、まるで泣いているようだった。
「そんな当たり前の事、今更訊かないでください」
二人のやりとりに、多聞は微かに眉根を寄せた。
「助太刀…か?」
「そうだ!」
柊一が何かを言う前に、広尾が即答していた。
「よかろう。…だが、興味があるのはオマエだけだ。解っているんだろうな?」
多聞の奇妙な物言いは、広尾には理解出来なかった。
だが、柊一は明らかに顔を強ばらせている。
「ここで、決着をつける! …そう言った筈だ」
ほんの少しの間が合ってから、柊一が答えた。
「了承と、受け取った」
ニィッと笑った多聞の姿が、次の瞬間、広尾の目の前から消え失せる。
「文明っ! 後ろだっ!」
自分達が使っている剣よりも大きな多聞の両刃の剣が、庇護していた筈の柊一に襲いかかっている。
柊一の技量なら、楽にそれを避けられる筈なのに…。
広尾を庇うようにして、柊一はあえてその一撃を受け止めている。
想定していた最悪の事態を予感して、広尾は気が焦った。
一閃を描いて、多聞に斬りかかる。
「駄目だっ! 文明!」
道場の門徒達なら、柊一とのその切迫した斬り合いで精一杯だろう。
しかし多聞は、そんな柊一の猛攻を受けながら、切り込んできた広尾を躱す余裕さえあった。
「物の足しにもならんな」
両刃の大剣が、広尾の足許で閃いた。
次の瞬間襲いかかった、激痛。
「うああっ!」
左足の健を、切られていた。
多聞は蔑むように笑ってから、ちらりと柊一を見やる。
「足手まといだろう?」
「よせっ!」
地面でのたうつ広尾にとどめを刺そうと振り下ろされた大剣を、柊一は両手を広げて遮った。
「クズに彷徨かれるのは好まない。…オマエだとて、心おきなく俺との戦いを楽しみたいだろう?」
不快な顔をする多聞に対して、柊一は顔を俯けたまま、持っていた二本の剣を手放した。
「なんのマネだ?」
ますます表情を険しくする多聞を、今度はまっすぐに見つめてくる瞳があった。
「命乞いをしている。…文明の代わりに俺を殺せ」
「柊一さん! なにを…!」
「文明は黙っていろ! …この男には、守らなければならない家も身内もある。こんな馬鹿げた仇討ちなんぞで、落としていい命ではない。貴様は、興味があるのは俺だけだというなら、この男は関係ないだろう」
ジッと見据えてくる双眸を、多聞はしばらく黙って見つめていたが。
やがてその表情を、悪魔的な笑みへと変えた。
「その男の命の代償を、オマエが払うと言うのか?」
うなずく柊一を確かめると、多聞は剣を鞘に収める。
「オマエが払う代金は、命では無いと言った事を忘れたのか?」
多聞の問いかけに、柊一の表情が強ばった物になる。
「本気で支払う気があるなら、…その男をそこにある祠に運んで手当てするが良い。ついでにそいつの両手を、後ろ手で柱にくくるのも忘れるな」
冷笑で命令する多聞に、柊一はしばし黙ったまま動かなかった。
だが、痛みに呻く広尾の声に顔を上げ、絶望的な表情を浮かべたまま言われた通りの行動に移る。
多聞は手を貸す事もなく、腕を組んだまま黙って成り行きを見つめていた。
「柊一さん、どうしてあいつの言いなりになっているんです? 俺の事など構わずに、ヤツを討ち取ってください!」
「莫迦な事を言うな」
激昂する広尾に対して、柊一はまるで落ち着き払っていた。
傷口を洗い、自分の着衣の裾を引き裂いた物で、丁寧に手当をしている。
街道で最初に声をかけた時とうって変わって、そこにいる柊一は広尾のよく知る顔をしていた。
「痛むか?」
「このぐらい、なんて事もありません」
強がる広尾に微かな笑みを向け、柊一は丹念にまき終えた布の終わりを、きつく縛り上げた。
「…文明。言っておくが、こうなってしまったのは、決してオマエの所為じゃない。これは俺が一方的に決めた事だし、あそこでちゃんと事情を話しオマエを帰らせなかった俺の非なんだ」
「柊一…さん?」
まさか、本当に柊一が多聞の言うままに自分を縛り付けてしまう事が、ある訳がないと広尾は思っていた。
例えあったとして、隙を見て戒めを解き、自分と協力して多聞を倒すのだと、一方的に信じていた。
しかし、広尾の背中を柱に押し当て、後ろに回させた手を固定した柊一の呪縛は、少々の事では解けないどころか、完全に広尾の自由を奪っていた。
「柊一さん!」
広尾の呼びかけには応えず、柊一は立ち上がると多聞と対峙する。
「よかろう。それじゃあまずは、口で奉仕をして貰おうか?」
柊一はギョッとなった。
「ここで…か?」
「当然だろう。…その男に、自分の命の代償がどんな物か、見せてやろうじゃないか」
「しかし…!」
自分のプライドを投げ捨て、多聞に奉仕する姿を広尾に見られたくはない。
あまつさえ、男に犯されて乱れる姿などは…。
だが、多聞はむしろその事さえも楽しもうとしているようだった。
「奉仕という言葉には従順という意味も含まれていると、俺は理解していたんだがな」
蒼白な顔で多聞を見つめていた柊一だが、まるで力つきた旅人のような動きで跪くと、多聞の股間へ顔を寄せる。
「柊一さん!」
その様子に、広尾は驚愕の声を上げた。
「黙って見ていろ。自分の命の代償が、どうやって支払われるのかをな」
多聞のそれを取り出し、柊一は一瞬だけ広尾の方を振り返ったが、諦めたように目を閉じると口を開いてそれをしゃぶり始めた。
「柊一さん! 柊一さんっ! …嘘だっ!」
広尾は激しく頭を振り、喚き散らした。
「負け犬が。…吠えたところで意味もないだろう? まぁ、いい。オマエの口は塞がずにおいてやるさ。その方が、コイツも燃えるだろう?」
広尾はハッとなって、口を噤んだ。
自分が喚き続ければ、それだけ柊一の心を傷つけるだけだと言う事に気付いたからだ。
今の自分は、動く事も出来ない。
その無力さを呪い、広尾は多聞を睨み付けた。
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