8 ある風の強い日に

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「あ」  急に記憶がよみがえる。 「悪魔くん!」  駆け寄って、ぎゅむ、と抱きつく。 「なかなか帰ってこねえと思ったら、こんな所に住みつきやがって」 「どうしちゃったんだろ、ぼく」 「空から落ちたんじゃねえのか? 風にでも飛ばされてさ」 「そう言われれば……そんな気もしてきた」 「もう一年も経ってるぜ、ノンキな奴だな」  と、悪魔くんはため息をついた。  物かげから、おじいさんとおばあさん、そして女の子がこわごわと覗いていた。 「礼だ。こいつが世話になったな」  ちゃりーん。  悪魔くんが、おじいさんの足元に金貨を投げた。  金貨は地面を何度か跳ねたあと、おじいさんの靴にぶつかって止まった。 「待ってよ」  ぼくが声を発したのと、おじいさんが金貨に手を伸ばしたのは同時だった。  ぼくはいそいで駆け寄り、おじいさんより先に金貨を拾い上げる。 「神の祝福あれ」  金貨はほんのすこし輝きを変えた。 「どうぞ」  おじいさんとおばあさんは、改めてぼくが手渡したコインを不思議そうに見つめている。 「行ってしまうの? 鳥の巣さん」  女の子は大きな目をかなしげにうるませて言った。 「あなたは、お空に帰っていくの? 本当は、鳥の巣さんじゃなくて鳥さんだったの?」  ぼくは、しばらく女の子と見つめ合った。  それから、翼の生えた鳥――じゃなくて天使の姿に変身して、何も告げずに、悪魔くんといっしょに地を蹴った。  ぐんぐんと冷たく甘い大気の中を飛びながら、ぼくは悪魔くんに聞いた。 「あの金貨、どうなるの」  悪魔くんは、寒くて霜がついてきた鼻の下をこすりながら、 「オレが投げてすぐにじいさんの足が触れちまったから、すんげえ増えてあのニンゲンたちの人生を狂わすかも……」  と言って、ぼくを見た。  それから仕方なさそうに付け足した。 「でもオマエが祝福しちゃったから、もしかしたらあまり増えずに、善く働くかも」  そんなことは神様にしか分かんねえよ、と、面倒くさそうに悪魔くんが締めくくった。 「それにしても、オマエ。下界に落ちて、ずっと記憶なかったのかよ」 「なかったよ、ぜんぜん。でも、あれはあれで幸せだったよ」 「幸せ、か……。オレもいっそのこと――」  悪魔くんは、前を見たままそう言いかけて止めた。 「何? いっそのこと、何なの?」 「堕ちた時、全部忘れれば良かったよな」  そんなつぶやきをひとつ、白い息と一緒に吐き出した。  悪魔くんが『オチタ』時? 僕は少し考えて、ああ、と気づく。  悪魔くんは堕天使、堕ちた天使だ。ずっと以前は天使だったのに、なぜか天から落とされてしまった。 「天使だった時のこと……忘れられないの?」  悪魔くんは答えない。ただまっすぐ前をみて飛んでいる。  ぼくらはずっとずっと藍色の空の中を飛んで、それぞれの家に帰っていった。
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