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小さく息を吐くと目の前が真っ白に染まる程寒い一月の朝。今年初めての登校日、『クラスの仲間と校舎と日の出を背景に記念撮影を撮ろう』そう言い出した雪乃の言葉をきっかけに、私は普段よりも早い時刻の電車に乗る事となった。
勿論、自宅でまだ暖かな布団の中に潜り込むそんな時間に同校の生徒などいる筈も無い。ところが驚いた事に車内にいる想像以上の人影を目にすると、早朝にもかかわらず世の中は既に動き始めている事に初めて気が付いた。
『大人って、もう動いている……』
そんなまだ日も昇らない早朝、私は彼に出逢った。
彼の名前は知らない。学年も好きな音楽も趣味も何も知らない。ただ分ったのは、私が通う『鶯谷女子高』から三つ先の駅にある高校『山手台高校』の生徒。彼の着ていた紺色のブレザーの制服がそうだった。
『どうしてこんな早朝に?』
雪乃に話した時、きっと部活の朝練だと即答したが、その答えは後に彼が持つフェルトで作られたバスケットボールの小さなマスコットがぶら下がるスポーツバッグを目にした時納得した。即答されたことが癪に障り雪乃にそのことは伝えていない。携帯で調べると県内でも男子バスケットボール部は強豪校らしいことが分った。
そんな彼と初めて出逢ったあの日事件は起きる事となる。
お正月明けの時期もあり車内には微かにお酒の臭いが漂う。そう感じ取った時には、一升瓶を手にした酔っ払いが暴言を吐きながら車内を徘徊していた。早朝からビジネス新聞を読むサラリーマンに絡む男の距離は次第に心愛のそばへと近づく。
『五メートル……、三メートル……』
視線を逸らしても騒ぐ声と靴の踵を引きずる耳障りな音が迫り危険を察した。すぐ目の前に立つスーツ姿の男性に助けを求める視線を向けたが、彼は銀縁メガネの縁に手を触れ私の視界から消えるように背を向けた。首筋に残る火傷の跡は今でも鮮明に覚えている。近くにいても遠くの他人。面倒毎には関わりたくないのだろう、そんな大人の黒い心の一面を感じ取った瞬間だった。
『二メートル……』
耳元には男が酒を口にしているのか、一度立ち止まりグビグビと喉を唸らせる音が響く。
『来ないでっ、お願い神様……』
心の中で呪文のように何度もそう呟いた――。
しかしその願いは届かなかった。両目を強く閉じ微かに震える身体、どれだけ視線を逸らしても既に獲物にされているに違いない。
男との距離はたったの二メートル。
『あと一歩……、お願い助けて!』
心の奥でそう叫び、男が心愛の傍に歩もうと足を上げた時、二人の間に突然壁が立ちはだかった。
「なんだテメェ!」
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