始まり

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<廉side> そもそも俺が病院に来ている発端は、俺の唯一の友達、倉木颯太の進言によるものだった。 数日前の大学の講義室。 あと五分もすれば授業が始まるだろうという時に、倉木は俺の隣の席を選んで腰を掛けた。 「れーん。起きろよ」 空いていたはずの席に人の気配を感じた俺は、片手を上げるだけでそれに答えた。 感じ慣れた気配と聞きなれた声と、二つの要因で俺は隣に座った人間が倉木だと分かったからだ。 それに、わざわざ俺の隣を選んで授業を受ける奴なんて倉木以外に知らない。 自分で言うのもなんだけど、物好きな奴だなと思う。 「…起きてるよ」 倉木は必ず俺の隣に座って一緒に授業を受けてくれるいい奴だし、俺みたいなんかと仲良くしてくれているからとても感謝している。 物好きだとか何とか言ってる俺も、大概倉木のことは好きだ。 さっき言った通りいい奴だし、一緒にいる時間は居心地良いし、倉木と話すのは苦じゃない。 誰に対しても明るく接して、誰に対しても優しい倉木がどうして俺と友達してくれているのかはいまだ理解できないけど、やっぱり俺にとって倉木は唯一の存在に違いはない。 「お前…またやつれてないか?」 「…そうか?」 今度こそ授業開始のチャイムが鳴り響くだろう。 教授から見た俺自身の印象を損なわないためにも、俺は机にうつ伏せていた上半身を起こした。 倉木とは逆の椅子に置いている鞄から教科書を取り出したのに、倉木には俺が何をしていても俺の顔がしっかりと見えるらしい。 盛大に心配された。 課題が多いことと就活が重なって疲れていることは否めないが、やつれている自覚はない。 「…気のせいだろ」 「でも、」 食欲がないのは最近ずっとだし今の忙しいのが落ち着けば元に戻るだろうと思った俺は、やけに心配する倉木を制して筆記用具を手に取った。 それと同時にスピーカーからチャイムの音が聞こえた。        * 「…廉、お前ほんとに大丈夫か?」 「…さっきからどうしたんだよ」 「いや、だってお前相当顔色悪いぜ?」 「…マジか」 常に隣でそわそわしている倉木の気配を感じながら授業を受けた後、倉木は授業前の話題を再度持ってきた。 倉木から見た俺はけっこう酷い顔色みたいだ。 大丈夫大丈夫と言い続けている俺も、ここまで倉木に心配されるのなら相当ヤバいのかもしれないと思わなくもない。 左手で自分の頬をさすってみても、やはりいつもと変わらない気がするんだけど。 「病院とか行った方がいいんじゃねぇの?」 「…そんな大げさな」 「でも何かあってからじゃ遅いだろ?」 「…それもそうだけど」 「こんなに瘦せて…可哀想に」と言いながら抱きついてくる倉木を押しのけて、俺は少しだけ考えた。 自分の状態が分かっていないというのは、確かに問題なのかもしれない。 最近はもっぱらご飯が喉を通らなくなったし、睡眠時間も減ったような気はする。 大学までの通学時間は憂鬱そのものだし、授業にも集中できているのか自信がない。 ……あながち間違っていないかもしれない。 倉木の言っていることは。 病院という単語は俺の中で首位を争うほど嫌いなものなんだけど、今回ばかりは避けて通れないのか…? 「何もないのだが一番だけど、せめて診てもらったらどうだ?」 「んー……」 「俺、廉が倒れるところなんて見たくないぜ?」 「ん、まぁ俺だって倒れるのは嫌だ…」 「だったらさ、」 倉木は俺が病院を嫌っているのを知っている。 何故嫌いなのか理由までは知らないと思うけど、雰囲気から読み取ってくれるくらいには、倉木は俺のことをよく見てくれていた。 たまに、俺自身が気が付いていないことにも気が付くことがあるくらいだ。 倉木の、俺に対する洞察力は侮れるものじゃない。 だからこそ病院に行くことも、無理矢理には勧められないのだろう。 倉木の心の中の葛藤は俺にもよく分かった。 それでも一応行っとこうぜと、今までの声とはうって変わって少し控えめに倉木は病院に行くことを勧めた。 「…分かった。今日帰ったら予約するよ」 「一緒に行くか?」 「…そこまでしなくていいよ。ありがとな」 俺が病院に行くという意思を示すと、倉木は安心したように笑った。 付き添いまで申し出てくれるなんて、どんだけお人好しなんだよ。 いつか詐欺にでも引っかかるんじゃないかコイツ。 無償で与えられる友情が少し恥ずかしくて、つい倉木から顔を背けてしまう。 それでも、俺に対してどこまでも優しい倉木の気持ちを無下にすることは、俺には到底無理な話で。 だからこそ、俺はちゃんと病院に行くことに決めたのだ。
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