第一話

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第一話

人ひとりが通れる程度の路地を見つけましょう。 目を瞑って、そこを歩いていきます。何にも引っかかることなく10歩歩けたら、両手で目を覆って三回こう口にする。 「今日の天気は誰ですか?」 目を開けばそこには一人の子供が立っているだろう。後はその子の誘導通りに歩くだけ。そうすれば自然と見世物小屋にたどり着くだろう。 帰りは子供に「帰りたい」と伝えればいい。その言葉に子供は一つ質問をしてくる。その質問に正しく答えることができれば、無事に元の路地に戻してくれるだろう。 それはどこの書物に載っている訳でもなく、人伝いに伝わってきた都市伝説だ。 どこかで、誰かが、また新しくそれを聞けば、やってみたくなるものだろう。 「今日の天気は誰ですか?今日の天気は誰ですか?今日の天気は誰ですか?」 そう口にした途端。閉じた視界の先で物音がした。 背を走る寒気か。単なる好奇心か。行動の先を求められた気がして、手を下ろして閉じた瞳を開いてやれば、そこには変わった髪色の少女が一人立っていた。 「今日はみぞれだよ。」 そう返事をした少女は、にっこりと笑って見せる。 薄水色の髪はショートボブの長さで揃えられ、丁寧にかけられたカールがふんわりと揺れる。中学生程度の見目には不釣り合いにも思える派手な濃い青色のチャイナ服。 呆然としている間にも少女は手を引いて歩きだす。「さぁこっち」と目を合わせてくる。 その時初めて違和感に気づく。ぐるぐると焦点が合わないような瞳は到底人の物とは思えない。そして少女の背には大きなしっぽが生えていた。ふわふわと揺れるそれはどう見ても栗鼠(りす)のそれで、咄嗟に視線を上げて薄水色の頭を凝視すると、少女は笑いながらぴょこと小さな耳を揺らして見せた。 その丸耳もまた、イメージでしかないが、栗鼠のそれに見える。 人ではないのか。そう聞くには余りにも少女の姿は人だった。 栗鼠の丸耳以外に、人の耳もついているし、その言葉も理解ができる。人でないと言い切るには余りに人なのだ。 「どうしたの?」 そう問われれば首を横に振るしかない。何もない。何も言えない。そんな感情を察したのか、栗鼠の少女はくすくすと笑ってまた手を引いて歩き出す。 「見世物小屋にはみんないるよ。貴方が見に来るのを待ってるから。」 そう言うが、栗鼠の少女は見世物小屋が何なのか、少女の姿は何なのか、何も語ろうとはしなかった。 行きつくまでのお楽しみか、などと、陽気にはいられなかった。 なぜなら、あの都市伝説の中でさえも、その見世物小屋が一体を何を見世物にしているのか、触れていないからだ。 触れていないからこそ興味を引かれたのだが、その状況に至るなどと思ってはいなかったのだ。 「えっと、これから行くのって」 「んー着いたらわかるよ。」 やはり栗鼠の少女は答えない。しかし、その言葉の通りに目にした光景は、口では説明されても分からなかったろう。 しばらく前も後ろも分からなくなりそうな濃い霧の中を歩いていると、まるで道しるべを置くようにぼんやりと浮かんだ光が、等間隔に並んでいるのがわかった。 それは目を凝らしてみれば雪洞(ぼんぼり)の様で誰かがその柄の部分を持っているのがわかる。しかし、奥へ奥へと誘導するように並ぶ雪洞のそのどれもが、持っている手は見えるものの、その先は不自然な霧に囲われ、誰かいるのか認識することができない。 まるで空中に突然腕が浮き、その手に持っている雪洞だけが、辺りを照らしているという、なんとも歪な空間だった。 「今日もご苦労様。」などと、栗鼠の少女が雪洞に向かってしゃべる。雪洞は答えるように少し揺れた。 恐怖に似た感覚だった。これは、普通ではないのだと、改めて自覚した。遅すぎる自覚に後悔が溢れてくるが、その反面、「帰る」の一言を口にすることは無かった。 それは、この空間に呑まれてしまっていた証拠だろう。 「着いたよ」 そう栗鼠の少女が口にすると同時にあたりの霧が晴れた。まるで、その言葉に合わせて霧が動いたようにさえ見えた。 そこまで、ずっと道を示していた等間隔の雪洞も、霧がはけると一緒に消えた。 恐々と視線をあげると、自分が思ったよりも美しい景色がそこに合った。 和洋折衷とでも言うのか、建造物に詳しくはないが、それでも目の前にあるそれが、すごいということは理解できた。 基本は日本家屋の長屋を模した作りだが、その装飾は中華を思わせる龍を多くあしらい。赤い瓦屋根にゴシックを思わせる白黒のレンガ造りの壁が生える。 視線を自然と上げていけば、空は真っ黒に染まり、一つの月が昇っている。時折ふわふわと揺れる雲はなぜかにっこりと笑っている気がした。 「ようこそ、ここが天気雨だよ。」 「天気雨?」 初めてそこで栗鼠の少女は建物を前に、説明を始めた。 「ここは見世物小屋“天気雨”。昔は見世物小屋って呼んでけど、それじゃ可愛くないでしょ? だから、今は天気雨って呼んでるの。そしたらみんな雨宿りに来てくれるでしょ。」 それはあまりにも稚拙な説明で、全く内容は理解できなかったが、とりあえず建物の名前はわかった。 それがわかっただけで、多少気持ちは立て直すことができた。 栗鼠の少女は手を離すと、ぱたぱたと音を立てて走っていく。時代劇で見る商人の建物のように、そこには確かに、天気雨と銘を書かれた暖簾が垂れている。 少女の後をゆっくりと追って暖簾をくぐれば、中も、外の装飾に負けず劣らず美しいものだった。 基本は木造の様子。土間のつくりになっている入り口は、高い天井から中国ランタンが垂れさがり、窓や扉にはめ込まれた前衛芸術を思わせるステンドグラスが、月夜を吸って室内にその柄を光らせている。 かと思えば、その正面で床に鎮座しているのは、成人男性ほどの大きさはあろう木彫りの熊だった。 目につく柱や窓には、細かな装飾が施され、自身が今どこにいるのかとめまいを覚えそうだった。 呆然と一歩二歩と前に足を進めると、5メートルほどの広い空間を取っていた土間の上がり框(かまち)で、手を引いてくれた栗鼠の少女とは別の少女が、綺麗に正座をして頭を下げているのがやっと目に入った。 栗鼠の少女は、木彫りの熊に寄りかかって笑っている。 「今宵は天気雨へようこそ。ここでは、見世物たちが貴方を楽しませるために待っています。 狐、兎、栗鼠、狼、寅、猫、山羊、、、貴方の好みの動物がいるとよいのですが。」 そう流暢に話し、少女が顔を上げる。 思っていたよりも若く高校性ほどの年齢に見えるが、大きく肩を出す和装のスタイルは花魁のそれだった。 黒髪は段をつけて切りそろえられ、いわゆる姫カットに近い髪形に見える。後髪を一つに、肩あたりの髪は左右それぞれに結び、結い上げているわけではない。 その瞳は、青い縁の眼鏡に覆われているが、鶯を思わせる緑色が良く見える。 そして、頭には黒い兎耳が立っていた。 「しばし、この酔狂な見世物小屋をお楽しみください。」 花魁姿の兎の少女がそう口にするのが早いか、飛び出してきた栗鼠の少女が、また手を握った。 自分が誘導するのだと、行動で示してくる少女にどこか愛着に似たものを感じながら、兎の少女に視線を向ければ、彼女はにっこりと笑って手を振った。「行ってらっしゃい」と、行動で示してくれる。 それを見ていたのか、手を握った栗鼠の少女はぐいぐいと引っ張っていく。 上がり框を昇ることに多少抵抗はあったが、靴は驚くほど簡単に足から離れていった。 気づけば並べられたスリップに履き替え、手を引かれるまま、木彫りの熊の脇を通ってより奥へと進む。 しばらくは天井の高さが3メートルほどある廊下が続いている。上を見上げれば、二階部分には窓がついていて、障子窓の向こうで、何かの影が揺れている。 時には窓が開いていることもあり、にっこりと少年が顔をのぞかせていることもあった。廊下にはいろいろな扉が所々にあるが、栗鼠の少女は見向きもせず突き当たりに向かって歩いていく。 見世物小屋と呼ぶには余りにも豪勢な作りの建物の中は煤一つない。そして、目につく者はすべてが子供だった。 「ここだよ。」 そういって足を止めたのは、やはり突き当りの扉だった。約10メートルほどの廊下だったが、あまりにも情報が多く、それを処理する間もなく、少女は扉を開こうとする。 咄嗟にその手を止めると、栗鼠の少女はぽかんと口をあけて見上げてきた。 「どうしたの?」 「えっと、ここの見世物って、、、」 そこまで口にして、聞いてよかったのか不安になる。 しかし、そんなことはお構いなしに、少女は扉を開いてしまった。たった一言。 「見たらわかるよ。」と言葉を添えて。 扉の先には、薄暗い空間が広がっていた。部屋の四つ角あたりにそれぞれ雰囲気の違うランプが立てられており、それ以外の明かりはない。 「いらっしゃい。お客さん。」 それは少女の声ではない。凛とした男の声だった。 それを認識すると同時に、部屋の中央のイスに青年が一人座っているのがわかった。 高校生ほどの青年は、白を基調にしたチャイナ服に、金色の装飾のある黒ズボン。丸眼鏡をかけた男の子は、「ここまでお疲れ様でした。」と笑顔でねぎらいの言葉を続ける。 背中側に回った少女にぐいぐいと押され、部屋の中へと押し込まれてしまえば、あとは扉を閉められる。 閉じ込められたと動揺しながらも、青年が話す言葉に耳を貸せば、それはここに来て初めての見世物に対する説明だった。 「どうせ、ミゾレのことだから、ロクに説明もされなかったでしょ。 申し訳ない。代わりに俺から簡単に説明を。 ここに居るのは、人でもなければ動物でもないもの。異形(イケイ)と呼ばれる存在。 それは、様々な世界の狭間に生まれたハグレモノであり、きっと、あなたが生きてきた世界には居ない存在でしょう。 それが、ここに集められ、ここで見世物として“働いている”と認識してもらえれば、わかりやすいかな。」 「働く?」 「そう働く。うーん、俺も見たことないけど、イメージ的にはサーカスみたいな感じ?それぞれの特技を披露して、貴方に評価してもらう。と、いっても、あなたが何かする必要はない。ただ、見てくれるだけでいい。帰りたくなったら、帰ると言ってもらったらいい。」 そう説明をする青年の表情が、徐々に薄暗い室内に慣れてきた目に映る。 どこか切なげにも見えるが、最後にはにっこりと笑ってごまかされてしまった。 青年は、「こんな風に」と見世物を始めた。それは、サーカスのそれに近い様にも思ったが、どうにもそれだけではない。 青年の椅子から立ち上がると、手を天井に掲げる。そこで初めて、その容姿がしっかりと理解できた。 三つのふわふわと揺れるしっぽと三角の耳は黒く、それはおそらく狐だった。 少し長めの黒髪はまとまりに欠けて乱雑に揺れているが、一束だけ長い髪が後ろに流され括られている。 丸眼鏡の奥で光る瞳は熟した桑の実のような赤紫だった。 黒狐の青年の手には、火が灯る。 妖火を思わせる赤い灯は、ゆらゆらとあたりに散り部屋の中を明るく照らす。 近くを通る灯に手を伸ばせば、それが熱を持っていることも分かる。咄嗟に手を引っ込めると、黒狐の青年はけらけらと笑って「やけどしてないか?」と問いかけてくる。 頷いて見せると、黒狐の青年は「触ろうとした奴は久しぶりだ。」と続けて、ふわふわと揺れる灯をその手から増やしていく。 いつの間にか、彼を取り囲むように10個ほどの灯が宙に浮いて揺れていた。 黒狐の青年は一つ一つを指さして、指さされた灯は色を変える。 大きくなったり、小さくなったり、と、青年の動きに合わせて変化を見せるその灯はまるで意図を持っているようで、青年と灯の舞のようだった。 薄暗かった室内はどの部屋よりも暖かく照らされ、あの暗さが準備されていたものだと気づく。 それと同時に、この舞があまりにも無残なものであると理解した。 「帰る。」 その瞬間。ここに居てはいけないと本能が声を上げた。 瞬間。黒狐の青年は灯を消した。 一気に部屋が暗くなり、一瞬順応できない視界が光を認識するのを拒んだ気がした。 背中側から、扉が開いた音がして、振り向けば、外の光が室内に入り込んでまぶしさで目が細くなる。 しかし、そのまぶしさの中に、あの栗鼠の少女がいるのがわかった。 「帰るの?」 そうつぶやくのは、この空間にきて一番聞いた声だった。 逆光でその表情は読めないが、それでも、声色は変わらず明かるいものだった。 「帰るよ。」 もう一度、明確に意思を示せば、彼女はくすくすと笑って、一歩二歩と近寄ってくる。 都市伝説通りであれば、質問をされてそれに答えられればここから出られるはずだが、果たしてその質問が何なのかはわからない。 栗鼠の少女は胸元に触れそうなほど近くまで寄ってきて、見上げてきた。 その瞳は、はやりぐるぐると縁を描くような白と黒の瞳で、吸い込まれそうに思う。 「なら、アタシの質問に答えて? 今日の天気は?」 逡巡して、今日の天気を思い出す。今日は晴れていた。 質問に答えれば、瞬間意識がブラックアウトした。 「よかった。ちゃんとわかってたな。」 「もう、ヒントあげちゃうのなんで?」 「帰れなくなったら困るだろ。」 「むー、面白くない!」 そんな会話がどこかで聞こえた気がした。 黒狐の青年と、栗鼠の少女の声だった。 どうやら答えは間違っていなかったらしい。 それだけが理解できたあと、がばりと体を起こす感覚で意識が浮上した。 そこは見覚えのある路地だった。足元にある水たまりは室外機から流れ出たものの様で、ズボンのすそと靴はじっとりと濡れている。 いつからここに倒れていたのかと、周囲を見回すが、そこに少女も青年も、あの建物も、濃い霧も見当たらなかった。 ただ、変哲のない路地がそこにあった。 「彼の手は、無事だろうか。」 不意にそんな言葉が零れ落ちるが、もう確認するすべもない。 どこか抜け落ちた意識があるような気もするが、とにかくここを移動しないと、帰らないと、帰巣本能がそう自分を駆り立て、立ち上がる。 不可思議な経験はやはりどこか抜け落ちている様だった。 正確には、徐々に消えていっているような感覚に近かった。 「どこにいったんだっけ」 もう、記憶の中に、彼らを思い出すことは無かった。 ただ、残ったのは普通でない見世物小屋に行ったという事実だけだった。
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