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「ってことがあったんだよね。」
「おーん。」
「貴方なら何か知ってるんじゃないかって。」
「俺?俺は何も知らないぞ?」
「でも、長くここに薬師として来てるんでしょ?」
広さにして10畳ほど、決して広いとも言い難い空間に、ぽつんと中央を陣取るようにして立つ井戸。
そんな中庭を眺めながら、カゼは縁側に腰を下ろしていた。
ふらふらと投げ出した足は、ギリギリ靴が土を擦り、そこに跡を残している。
隣に座る客人に差し出した団子を頬張りながら口を開くが、思った疑問の答えは帰ってこない。
御座を組み膝に手をついて中庭というよりも空を眺めるようにして、男性は出された団子を頬張っている。
咀嚼したそれが喉を通り抜けると、一息ついてからさらに湯気のたつお茶を啜る。
そして、じっと言葉を待つカゼを見下ろすと、彼は掛けている黒いメガネを押し上げた。
「あー、、、良くも悪くもカゼは世間知らずだからなぁ。
アマハもどこまで話をするか計りかねてるんじゃないか?」
「悪かったね世間知らずで。」
「・・・まぁ、仕方ないとは思うがなぁ。」
男性はうーんと伸びをすると同時に少しだけ周囲を気にして視線を走らせた。
周囲に人は居ない。今は時間にしてお昼過ぎ。
見世物小屋も周囲の店と同じく、人ならざるものたちで溢れ、店子でもある異形達や店の運営に関わる数人の使用人達も忙しなく働いたいる。
だからこそ、このタイミングでカゼは自身に話を振ったのだろうと察すれば、
顎の髭をさすりながら言葉を選んで話し出す。
「何事も順序はある。まずはこの街のことはどれだけ知ってる?」
男性はもう一度お茶を啜る。
低い耳触りの良い声が問いかける質問は、多少聞きたかった事とはズレていると感じるが、カゼは素直に返答した。
「僕がこの街にきたのは1ヶ月くらい前のことだけど、
アマハにぃは、この街は異形達の住まう世界の中でも多くの”別世界“との繋がりを持ってる街だって聞いた。」
「別世界に行った事は?」
「ないよ。」
カゼは前のめりになって男性の話に耳を傾けた。
その期待と羨望の眼差しは、まるでこの先の展開に希望しか感じでいないようで、
まだこの少年が幼いことを痛感するものだった。
「そもそもこの世界は、複数の世界の一つでしかない。
人間の世界。
異形の世界。
海の世界。
天の世界。
闇の世界。
エトセトラ。
通常把握しきれないほどの“世界”と呼ばれる別々の空間が、
それぞれに存在して同列の時間軸を持って動いている。」
それは、過去にアマハからも聞かされたことのある話だった。
それでもカゼは首を縦に振って真剣に話を聞いた。それはカゼが世間知らずだと言われる由縁が関係していることでもあったからだが、その事は口にしない。
男性は、その瞳に急かされるようにさらに話を続けていった。
「異形の世界。つまり君たちが住むこの世界は、
力を持つ異形と、
そうでない異形がいる。
力を持つ異形は、その希少さから、高値で買い取られたり、攫われたりする事も多かった。
そして、そうして行き場を失った異形が集まってるのが、この見世物小屋”天気雨“だ。」
「だから、ここにいる間は、他の異形や人間に買ってもらう必要があるんだよね。
居場所を手に入れるために。」
カゼは男性の話に合わせるようにして口を開いた。アマハに聞いた時と同じように。
男性は首を傾げたが、何か納得したように手を叩いた。
そして、もう一度茶を啜ると「おかわり」と言って空になったコップを差し出した。
カゼは突然途切れた話題に少し不服そうにしながらも、素直にそれを受け取って縁側から立ち上がる。
続きを聞きたい気持ちが、投げ出された靴にも現れ裏返ってしまっている。
バタバタを縁側を走っていく後ろ姿を眺めながらも、男性はため息をついた。
「・・・いつまで隠し通せるかな?」
「・・・わかってるなら余計な口出しは無用ですよ。」
カゼが走り出して行った方とは逆側から、ペタペタを素足の音がする。
男性の隣に当たり前のように腰を下ろしたのは、アマハだった。
男性はその様子を見てため息をつく。
御座をかき、膝に肘をつけて力を抜いた体幹は前傾する。ポトリと床に落ちた中華帽子など気にした様子もなく、彼は呆然と正面を向いている。
鼻につく皮膚を焼く匂いは、どこか嗅ぎ慣れてしまったものだった。
「俺は案外心配してるんだよ?カゼくんは、お前とは違って随分と世間知らずだから。
いつか知らず知らずに暴走しないかって。」
「んじゃ、あんたがカゼを買ってくれよ。
あんたなら”あんな事“にはならないだろ?」
「・・・まだ引きずってるのか?」
「別に、もう何十年も前の事だ。」
「それでも、お前がここに居続ける理由はなんだ?」
「俺はここから離れられない。俺の龍は、俺だけしか背負えないだろ。」
そこまで聞いて、男性はアマハの顔を確認した。
アマハの左頬には赤い龍のマークが入っている。しかし、それは少しだけ焼け、そしてそこから広がるように左半身が所々焼け爛れていた。
「お前」と眉間皺を寄せた男性は口を開くが、それに被るようにバタバタと足音が縁側に響く。
振り返ればそこにはお茶を持ったカゼが見える。
「ばんちゃー!」などと無邪気に声を上げながら、話の続きを楽しみにしているのが行動でわかる。
瞬間、男性の隣から焦げた匂いが消えた。
そっとアマハに視線を走らせれば、そこにはすでに彼の姿はなかった。
「あれ?僕、靴揃えたっけ?」
そう言いながら隣に座り直すカゼは、縁側に裏返しになっていたはずの靴が揃えられているのを見て首を傾げるが、
男性に「揃えてくれたの?ありがとう!」と礼を言って、お茶を差し出した。
湯気の立つそれは温かいはずなのに、どうにも喉を潤してくれるとは思えなかった。
「カゼ。この世界にはな。知らなくていい事もあるし、知らず知らずに自分が守られている事もある。
本当のことを隠すのは、一つの愛情だ。
でも、それも相手のエゴである事には変わりない。」
「!」
「なーんてな。ほら、いつもの薬は置いていくからな。
あと、これ。おまけ。」
「馬油?」
「そ。」
男性はすくっと立ち上がると大きく伸びをした。
男性は風に比べると身長も高く、若干眉間に酔ってしまっているしわは果たして心配からか怒りからか、
その真意は測れないが、カゼが自身の幼さを痛感するには十分なものだった。
「ねぇ、青ノ木さん。」
「ん?」
「青ノ木さんは人間なんだよね。なんで、この異形の世界にいるの?」
「・・・それは、ちょっと秘密かなぁ。」
意味ありげな笑みに、困ったようにひそめた眉。それはきっと、彼の言った優しさという愛情なのだろう。
カゼの鼻を抜けていったこげた匂いもきっと。そう思えば、これ以上詮索することはできなかった。
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