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23.
いつもと変わらない短いメッセージから親友の異変を感じ取ったのは、長年の付き合いから来る勘だろうか。沙莉は《夢と希望》の休憩室で首を傾げながら、メッセージを打つ。
『今日、ウチに来ない? 玲斗君の様子、見に来てよ』
良い返事を期待して送信すると、沙莉は小さく息を吐いてスマートフォンをテーブルの上に置いた。そろそろ湯をカップヌードルに注いで三分が経つ。普段はこういったものは食べないが、たまにジャンキーな味が恋しくなるのは何故だろう。
「いただきます」
手を合わせると同時に、ドアの向こうからノック音が三回聞こえる。「はい」と返事をすると、玲斗が現れた。
「お疲れ様です。休憩、いただきます」
「いちいちノックしなくていいのに。ここは皆の休憩室なんだから」
沙莉が呆れたように笑うと、玲斗は照れ臭そうに肩を竦めた。
「すみません、昔の癖で」
玲斗は隅の席に腰を下ろすと、茶色のビニール袋からコンビニ弁当を取り出す。中身は日の丸弁当だった。沙莉はカップヌードルと割り箸を持つと、玲斗の前の席に移動した。
「佐伯君、どう? 仕事二日目は」
「難しいですね。まだ要領が掴めなくて。お客さんがたくさん入ると慌てちゃって優先順位がわからなくなる時があります」
困ったように笑う玲斗に、沙莉は「そんなことないわよ」と否定した後、カップヌードルに口を付ける。不健康な塩気のある麺をズルズルと啜った後、沙莉はゴクリと音を立てて飲み込んだ。
「佐伯君、すごい動けるからびっくりしちゃった」
沙莉が褒めたのは、決してお世辞ではない。客が来店すれば笑顔で出迎え、スムーズに席まで案内し注文を取る。席が空けば素早く片付け、客のグラスが空いているのに誰よりも早く気が付き、お冷を注ぐ。その働きぶりは、新人に厳しいだいちゃんも感心して、褒めちぎる程だった。
この要領の良さは、金持ちの客相手に身体を売り続けた経歴にあるのだろうか。邪推しそうになる気持ちをグッと堪え「大したもんよ」と頷いた。
「いえ、俺なんて全然です」
玲斗は謙遜しつつも、照れくさそうに頬を染めて米と海苔を混ぜる。その様子が可愛らしくて、沙莉は彼の様子に不覚にもときめいてしまう。
「あ、そうそう。今日ね。永遠子を呼んだの。まだ返事がないから、来るかわからないけど」
「永遠子さん?」
玲斗はパッと顔を上げると、すぐに俯いてしまう。
「なんか、恥ずかしいです。永遠子さんに働いているところを見られるの」
「どうして?」
「なんか、照れくさいと言うか。友達にいつもと違う顔を見られるのが、気恥ずかしいんです。あ、来てくれるのは、すごい嬉しいんですけど」
そう言って玲斗はぐちゃぐちゃになった海苔ご飯を口に運ぶ。沙莉はどこか微笑ましい気持ちになりながら「そう」と頷いた。
「ねぇ、玲斗君。永遠子とは普段、どんなことをしてるの?」
「えっと、水族館行ったり映画見たり、ご飯を食べたり……。あ、今は本を貸してもらっています」
「あぁ、佐々木夢五郎よね? あたしも昔、永遠子に借りて何冊か読んだわぁ。めっちゃ癖があるわよね、あの作家」
「癖、ですか?」
「個性が強いってことよ。王道から外れてるって感じかしら」
「王道」
玲斗は沙莉の言葉を反復した後、小さく笑う。
「永遠子さんも、同じことを言っていました」
「あら、そうなの? でも、ネットでも似たような感想書いている人、多いわ。人間、感じる事って一緒なのね」
何でもない事のように沙莉が笑うと「俺は、そんな感想を持たなかったです」と玲斗はポツリと呟いた。
「あの、中村さ……店長さん」
「沙莉でいいわよ。あたしも玲斗君って呼ぶし。それで、なぁに? 改まって」
「えっと。沙莉さんは、永遠子さんとどうやってお友達になったんですか?」
「えぇ?」沙莉は困惑気味に聞き返す。「永遠子から聞いてない? 高校の同級生だったのよ」
「それは聞いているんですけど、その。同じクラスでも仲良くなれるってわけじゃないじゃないですか。俺は、クラスの誰とも仲良くなれなかったし」
サラッと悲しい情報を聞かされたが、スルーした方がいいのだろうか。沙莉は苦笑いをしながら、「そうねぇ」と頷き、とりあえず質問に答えるべく口を開いた。
「ねぇ、玲斗君。あたしのこと、どう見える?」
「え?」
玲斗は困惑した表情を浮かべる。そして、沙莉の顔をまじまじと見つめた後「綺麗な人だなって思います」と返した。
「ありがとう。でも、そうじゃなくてさ」
沙莉は自分の身体を見下ろす。長い手足にはゴツゴツとした筋肉が付き、胸に柔らかな膨らみはなく硬く平べったい胸板があるのみだ。髭は脱毛に通ったおかげで生えて来ないが、受け入れがたい自分の本来の性別を、この身体が嫌になる程、証明している。
「あたしの本名、中村佐助って言うのよ」
「え、あぁ、そうなんですか」
どう言葉を返したらいいかわからない、と言った顔で玲斗は頷く。沙莉はクスッと笑いながら「あたしさぁ」と続ける。
「性同一性障害ってやつ? 流行りの言葉だとジェンダーレスって言うのかしら。御覧の通り身体は男なんだけど、心は女。高校も、本当はスカートを履いていきたかったけど、周りの目も怖くてさ。それに、両親にも言えてなかったし、未だに言えてないし。あの時、このことを知っていたのは永遠子だけ」
「あの、どうして永遠子さんには打ち明けようと思ったんですか?」
玲斗は恐る恐る沙莉に訊ねる。沙莉は「打ち明けようとしたんじゃないわ。バレたのよ」と笑う。
「文化祭でメイド喫茶をやることになったんだけど、その衣装がすっごい可愛くてさ。あたし、図体でかいから、さすがに着られなかったんだけど、クラスの女子が置き忘れていた衣装を自分に当ててみたことがあったのよ。それを、永遠子に見られちゃってね。もう、びっくりよ。絶妙なタイミングで教室に入って来るんだもん。ま、教室でそんなことをやった、あたしも迂闊だったんだけどさ」
カラカラと笑いながら語る沙莉の目は、過去の思い出を懐かしむような穏やかな光が宿っている。
「ホント、あの子が入って来た時、あたし、マジで死のうかって思ったんだけど。永遠子ったら気にする様子もなくて、普通に『おつかれー』って挨拶して忘れ物回収していくんだもの。思わず呼び止めちゃったわよ。そしたらさ、永遠子、あたしが何に焦ってるか全然わかってなかったの。もう、一人で墓穴掘っちゃってさ。気づいたらカミングアウトしちゃって。で、バレちゃったわけ。バレても『それがどうした?』みたいな顔してたけどさ」
「そう、だったんですか」玲斗は困惑気味に頷く。「あの、そこからどうやって仲良くなったんですか?」
「なんでだったかなぁ。よく覚えてない」
沙莉は高らかに笑いながら即答する。玲斗は「えっ」と声を上げた。
「話すようになったきっかけは、その一件だったけどさ。どうやって仲良くなったかは覚えてないのよ。しばらくは永遠子のこと警戒してたんだけど、周りにバラすどころが、全然クラスメイトと話さないし、休み時間は図書館に消えちゃうし。そんなんだから、話しかけ辛くて……。ホント、あの後どうやって仲良くなったのかしら……? あ、そうだ。クラスメイトがしたカンニングを永遠子のせいにされたことがあってね。あの時、あたしが庇ったのよ。そしたら向こうからお礼を言われて、それで話しかけてくれるようになって……。あぁ、これかしらね。仲良くなったきっかけって」
「そうなんですか……」
玲斗は呆けた顔で沙莉を見つめる。知り合って数日の人間にするにはディープな内容だったと、沙莉は「ごめんね」と慌てる。
「いきなりこんな話。びっくりしたわよね。忘れて」
「あぁ、いえ。聞いたのは俺ですし」
玲斗は慌てて否定する。
「その、思った以上に壮大な馴れ初めだったからびっくりしちゃって」
「馴れ初めってやめてよ。恋人じゃないんだから」
沙莉は眉をしかめる。
「それに、壮大さじゃそっちも負けてないわよ。泥酔している永遠子を助けたらしいじゃない」
「あぁ、いや。あれは結果的に俺の方が助けられたんですけど」
玲斗は恥ずかしそうに俯いて、焼き鮭の身を崩す。
「俺も、永遠子さんの力になりたいです」
玲斗はポツリと漏らす。
「俺、出会ってからずっと、永遠子さんにいろんなことを教わって、助けられてきました。でも、何も返せてなくて。沙莉さんが羨ましいです。対等な存在って感じで」
「友達になった時点で、対等な存在なのよ」
沙莉のハッキリとした声に、玲斗は顔を上げる。沙莉は穏やかに笑いながらも、切れ長の瞳はしっかりと玲斗を見つめていた。
「あたしもね、永遠子に救われたの。あの子は、カンニングの件であたしに助けられたって思ってるみたいだけど、あたしの方がずっとずっと救われている。今は、こんなあたしでも受け入れてくれている人も増えたけど、一番最初に、本当のあたしを認めてくれたのは、永遠子だけだっだから。くじけそうになっても、あの時の事を思い出したら、背筋を伸ばして生きられるの」
ふと、高校時代の永遠子を思い出す。クラスメイトに掃除当番を押し付けられた時も、カンニングしたと担任教師に疑われた時も、恋人と別れた時も、後輩に罪を擦り付けられた時だって、永遠子はいつも、何処か諦めたような顔をしていた。
「俺も」
ぐしゃぐしゃになった鮭を見下ろしながら、玲斗は口を開く。
「俺も、最初に自分を受け入れてくれた人は、永遠子さんが初めてでした」
玲斗の言葉に沙莉はにっこりと笑う。そして、玲斗の頭に手を置き、ぐしゃぐしゃと彼の金色の髪をかき乱すように乱暴に撫でた。
「あ、ちょっと。沙莉さん」
「もし、永遠子が困っていたら助けてあげてね。あの子、ああ見えて結構繊細なのよ」
玲斗は沙莉の顔をしばらく見つめた後、大きくコクリと頷いた。
「さ、休憩終わっちゃうし早く食べちゃいましょ。やだ! ラーメン伸びちゃってる」
すっかりふやけてしまったカップヌードルに落胆する沙莉に続くように、玲斗も焼き鮭に手を付けた。
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