【とある日①】エスケープにまつわる日常

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【case.04 『逃げられない呼び出し』(竜之介視点)】  毎日でもいいくらい、とか。三食食べても飽きない、とか。世の中には、そういう“ずっと大好きなもの”がある。  それが何かは人によって様々だ。食べ物であったり、飲み物であったり、香りであったり、憩いの場であったり。  人の数だけ“大好きが続くもの”は存在して、当然俺にだって“ずっと大好きなもの”はある。  では、それは何か。  わざわざ口にするまでもない常識、人が生身で空を飛べないことと同じくらいの常識ではああるが、せっかくの機会だ。ここは、敢えて大きな声で発表させてもらおう。  本来であれば、俺たちの馴れ初めや今日に至るまでのハッピーライフも併せて、七十三時間ほどかけて語るべきことだけど、それはいつか――具体的には、二人の披露宴――の為にとっておこうと思う。  さて。話は少し逸れてしまった、俺の大好きで、大好きで、大好きなもの。  唯一無二の存在で、この世になくてはならない、大切で大好きな女性(ひと)。  彼女の名は――。 「菜緒ちゃん、きたー‼」  四ノ宮菜緒ちゃん。  四ノ宮警備会社という、全国的にも有名な警備会社の社長令嬢で、今は自社と関係のない一般企業で元気に働く会社員さん。  そんな菜緒ちゃんは、今日も元気に仕事をこなして、定時に会社を退社した。  姿は見えないけど俺には分かる。彼女のスマホに入ったGPSで座標は把握済みだし、菜緒ちゃんの帰宅経路に設置された防犯カメラの映像を、全てハッキングして映像データ回収。その上で顔認証システムによる検索をかければ、今どこを歩いて、周囲に何があるかなんて一目瞭然だ。  今のところ不審者の姿は見当たらないし、周囲には同じように帰宅する会社員や、コンビニに立ち寄る学生の姿だけ。  このままなら、あと数十分もしないうちに帰宅するだろう。 「早く帰ってこないかな~」  今日は趣向を変えて、実家に帰ってくる菜緒ちゃんを待ち伏せ。彼女が門をくぐる前に声を掛けて、満天の星空の下で立ち話。  冬の夜風はちょーっと冷えるけど、柚子ジンジャーティーとカシミア製ストールの用意はバッチリ!  菜緒ちゃんに風邪をひかせない為、準備万端で家を出てきた俺は、改めてリュックサックの中身を確認して彼女が帰ってくるのを待ち続けた。  ――ヴッヴーッ ヴッヴーッ ヴッヴーッ 「……げぇ」  愛しい人を待つ楽しみ。それを奪うように、コートのポケットに入れておいたスマートフォンが震え出す。  この震え方と、暫く無視をしてみてもやみそうにない着信。嫌な予感しかしないが、出ない訳にもいかない。  俺は渋々スマホを取り出して、ロック画面に表示された相手の名前に大きな溜息を吐いた。予想はしていたけど、やっぱりアイツからか……。 「…………」 『もしもし。この電話越しにいるのは、日夜女性にストーカーする変態で間違いないか?』 「…………俺は変態じゃありませーん。大好きな菜緒ちゃんだけを日々愛し続ける、竜さんでーす」 『なら、俺が探している変態に間違いはないな』  電話の向こうの相手が、俺のことを鼻で笑った。  顔は見えないけど、勝ち誇った顔しているんだろうな~。分かる、アイツそういう自画自賛する一面あるからな~。顔見なくても分かるわ。 『おい、竜。今俺のこと、馬鹿にしただろ?』 「俺は何も言ってませーん」 『じゃあ、言葉にしなくても想像あるいは考察しただろ。どうだ?』 「…………」  その質問に対しての答えは、イエス。  俺はアイツが、どういう人間なのか分かる。けど同じくらい、アイツも俺がどういう人間か分かっている。  顔を合わせなくても、ある程度相手の考えや行動パターンが見えるっていうのは、やっぱり楽だけど面倒くさいと思ってしまった。  あと、菜緒ちゃん以外とそういう関係を築くのは気持ち悪い。 『安心しろ。気持ち悪いのは俺も同じだ。お前みたいな変態と類似しているなんて、生涯の恥だからな』 「ですよねー」  互いに電話越しで溜息をつきながら、俺は何気なく星空を見上げる。  言葉をオブラートに包まず、会社の地位では上の俺に対しも遠慮なしに発言して、更には変態と呼んで見下してくる。高校時代からの腐れ縁とはいえ、言葉も悪いし、愛想もよくない。  ……まぁ、アイツに可愛げなんてものは求めないからいいけど。 「…………はぁ」  けど、コイツくらいなんだよな。俺がでもでも、一切態度を変えずに接してくれる旧友は。  俺の妹曰く『変態の兄さんと人語を交わしてくれる、貴重な人だよね』と。  この妹の言い方もどうかと思うけど、俺のちょっと変わった愛情表現を把握しても放任する奴は、確かに“貴重な人”かもしれない。  ただ『兄さんがもう少しになる為に、爪の垢を分けてもらって煎じて飲んだら?』という妹の助言は拒絶しておく。  アイツの爪の垢を煎じて飲むくらいなら、俺は生まれ変わって菜緒ちゃんのタンクトップになって、彼女の汗を吸い込む。  尚、以前この発言をした際。旧友はドン引いた顔をしていたが、あれはあれで面白かった気がする。 「……で、要件は?」 『トラブルだ』 「ですよねー!」  電話がかかってきた時点で察しはついていたが、いざ言葉にされると精神的ダメージが大きい。  今夜は≪夜にバッタリ! 朝は会えなかったから、夜空の下でお喋りしませんか?≫作戦を計画していた俺としては、まだ目標を達成していない。  菜緒ちゃんとお喋りするどころか、生の彼女の姿すら見ていないのだ。丸一日会えないなんて、拷問としか呼べない。  そんな一日の終わりは絶対に嫌だ。 「それ、そっちでなんとかならない? ある程度指示出せば、お前なら出来るんじゃないか?」 『その程度で済むならわざわざ呼び出したりはしない。明日の朝一に報告してから動いた』 「つまりは火急の要件かつ、“メインの方を動かす”ってことか。あー……」 『状況を理解したなら、すぐに会社に戻れ。お前は変態だが、同時に我が社にとって必要な人材だ』 「……うわっ、社長みたいな言い方」 『皮肉としてはいい言葉だろ?』  今のは顔を見なくても分かる。コイツ、思いっきり人を小馬鹿にした笑いで見下したぞ。  菜緒ちゃん相手なら見下しも罵りもご褒美だけど、コイツ相手だと腹が立つだけなんだよな……ちくしょう。 『迎えは既に送った。竜、どの辺りにいるんだ?』 「仕事早っ! ちょっと待て。今メイン通りに向かうから……」  こっちの都合も気にせず、電話の向こうでは着々と俺を会社に引き戻そうとする動きが進んでいる。  トラブルが起きて、尚且つ話がここまで進んだ以上、今夜は仕方なく会社に戻るしかない。  けれど今、この場に――菜緒ちゃんの家の近くに会社からの迎えが来るのは色々と面倒だ。早々に撤収して、メインとなる国道に向かおうとした時だった。 「――あの。うちに何か御用ですか?」  四ノ宮家の邸宅。塀の側に停められていた一台の無人タクシーに、一人の超絶美女が声をかけている。  女性に声を掛けられた時、中年オヤジの鼻の下が伸びたのを、俺は見逃さなかったからな。彼女に悪い虫が付かないように、ここで駆除して――って、そんな場合じゃない‼ 「な、菜緒ちゃん!」  何も知らない菜緒ちゃんに慌てて声をかけ、俺は急いでタクシーと彼女を引き剥がす。 「……竜さん?」 「こんばんは! あのね、そのタクシーは竜さんが呼んだやつだから、怪しくないよ。家の前に停めちゃってごめんね‼」  自分でも挙動不審な態度をとっている自覚はある。  本当は事情を説明してからこの場を離れるのがいいんだろうが、今はその時間がない。四ノ宮警備の警備員が不審に思う前に、早くこの場を離れなくてはいけない。  俺は素早くタクシーの後部座席に乗り込むと、ぎこちない笑顔で菜緒ちゃんに笑って見せる。 「……急ぎの用事、ですか?」 「う、うん。まぁ、そんなところかな。菜緒ちゃんとゆっくりお喋りしたかったのに、残念だな~!」  この言葉は本心だ。  少しだけ顔を見ることが出来ても、ゆっくり話す時間がとれない。ようやく会えたのに、すぐに別れなくてはいけない。  寂しくて名残惜しいのに、焦っているせいか声のトーンが少し高くなって、抱いている感情がまっすぐに彼女に伝わらない。  ――悔しくて、悲しくて、最悪な一日の終わり方だ……。 「竜さん」  だけど、どんな最悪な出来事も彼女は変えてしまう。  最悪を最善に。最低を最高に。彼女はただ一つの言葉、一つの動きで、一瞬にして()を幸福にしてしまうんだ。 「これ、まだ温かいので」  そう言って菜緒ちゃんは自身の首からマフラーを外して、俺の襟元に巻いてくれた。  言葉の通り、ほんのりと彼女の体温を帯びたマフラーに手を添えれば、菜緒ちゃんは優しく微笑んで俺を見送ってくれた。 「無理はしないでください。……マフラーは、次に会う時に返してくださいね」  約束ですよ?  右手の細い小指を立てて、菜緒ちゃんは俺の小指に自分の指を絡めた。  時間がないから唄は歌わなかったけれど、絡めた指を名残惜しそうに解いて、彼女は笑う。 「竜さん、また明日!」  俺の大好きな笑顔を、俺だけに向けて、菜緒ちゃんは俺が去って行くのを見送ってくれた。  発車したタクシーの中で、俺は彼女の指の感触が残る小指を見つめ、言えなかった約束を結ぶ。 「……うん。また明日」  今日会えなかった分。必ず明日、会いに行くから。  大切な人との約束を胸に刻みながら、俺は目の前のトラブルに闘志を燃やした。 [case.05] ⇒
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