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解け残る雪
指示を出しながら、警視の脳裏には『疑惑はあるが証拠がない』という一言がちらついていた。
囁かれる噂は妬みまじりのものも多いだろう。証拠がなければ立場の弱い者は口をつぐむしかなく、立場の強い者は自分の見聞き出来る範囲で判断を下さざるを得ない。
そしてゆっくりと、時と沈黙によって、真実は覆い隠されてゆく。
それを探して暴くことの困難さは、自分達がよく知っている。
——殺される危険を冒しても、試したかったのですか。
地位も財産もあったはずの被害者に、ふと思う。
聞き取りによると、現在の妻は非常に人当たりがよく、夫婦喧嘩をしてもいつのまにか元通りになっていた、という。
表面上はきっと、その通りだったのだろう。
だが、前妻の死に立ち会えなかったことや、子供の窮状を知る術を絶たれていたことは、被害者の中に残り続けていたのではないだろうか。
日の当たらない建物の陰で、いつまでも凍っている雪のように。
妻が殺人で逮捕されれば、財産を相続する権利は失われる。当然その他の遺産の分配や、会社の相続に口を出す事も周囲が許さないだろう。
そうなると今、抑えこまれている養子も、今後はやりやすくなるはずだ。
もし本当に、彼女が犯人ならの話だが。
「先入観を持って捜査に当たるのは、危険なんだがな……」
いや、物証が出てから考えれば良いことだ。これだけの財産と容疑者がいれば、他に犯人が出てきてもおかしくはない。
そう——彼女に罪を擦りつけたい人物、だとか。
そう気を引き締めながら、警視は降り積もる雪の下に罠を仕掛けた被害者を思うのだった。
終わり
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