茶屋 和ノ華

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 堪らず東濃皐月(とうのうさつき)は顔を上げた。手の甲で額を拭うとぬるりと汗をかいている。  まだ四月の半ばだというのに、気温だけは急かすように夏へと向かっている。少し陽気になったからと散歩に出かけた皐月は自ら羽織ったコートを脱いだ。それを腕にかけて眼前の仁王門を振り仰ぐ。  燦々たる太陽の光を浴びながら全く萎縮することのない堂々たる門が道路に面している。  京都は右京区に位置する寺院、仁和寺である。  八百八十八年創建、現在は真言宗御室派の総本山である。これを聞いたところではもちろん凡人には理解し難い。五十年、百年と言われれば歴史の授業で習った事柄と照らし合わせて多少情景が浮かぶこともあるだろうが、仁和寺はその範疇を超えている。凡人には理解し難いのではなく、理解できないのだ。  だが、この仁王門は美しい。そう皐月は思った。理解できない私たちでも感じることは昔の人同様等しくある。  皐月は一礼したのちに中へと入る。中門から金堂までまっすぐ伸びる参道の両側にも江戸時代に建てられた建物の頭がかすかに見える。元来山の中に造られた仁和寺は人を受け入れる温和な表情と、容易に足を入れることのできない厳然とした趣を兼ね備えている。  皐月は中門を通ると、遠くに見える金堂ではなく、すぐに左へ曲がった。  少し歩いたその先で、皐月は自然と顔を上げた。  皐月の立つ細道の脇にずらりと並ぶ桃色の空に圧倒された。  「御室桜」である。  普通、桜と聞けば三月終わりから四月初めに咲く染井吉野やしだれ桜、八重桜を思い浮かべるだろうが、御室桜は今がまさに頃合いである。特徴は背丈が低く、根本から分かれている物が多いことだが、その実態は未だ不確かなことが多い。しかし、見る者にとっては些細な疑問だ。今、頭上を染めているのは青ではなく淡い桃色なのだ。そこを歩いているだけで心が浮立つ、それだけで十分だ。
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