そこはかとない違和感と、それどころじゃない状況

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 こんなにも大学の課題をため込んだ記憶は私にはない。絶対に自分ではない。きっとルームシェア相手である綾瀬奈津(あやせなつ)のものが混ざっているのだ。そう考えて彼女に尋ねてみたりもしたが、そんなことはないと一蹴された。 「これが日本文学基礎でしょ、こっちは演習、これは全学教養……全部心当たりあるわ」 「だから言ってんじゃん」  課題の締め切りは、早いもので1月31日。遅いものでも2月10日。そして今日は1月20日で。 「奈津さんや、ちょっと手伝ってもらうことは……」 「なんでこんなことになるまで放っとくかな」 「性分としか言いようがない……」  課題をため込んだのは自分ではないと先ほどまで確信していた私、早川成(はやかわなる)だが、実のところは生まれてこの方ずっと雑な生き方をしている。課題はギリギリまでため込む。なんなら夏休みの宿題は二学期が始まってから手をつけたことすらある。 「ふざけんなよお前」 などと言いながらも、奈津はわたしから英語の教科書を奪い取って、和訳に取り掛かり始めた。言葉とは裏腹に、どうやら手伝ってくれるらしい。本当に、いい友人を持ったものだ。 「涙で文字がにじんで読めねえや」 「バカ言ってないで、とっとと手付けな」 叱責を受けたため、私も一番手前にあった日本文学基礎の参考資料を手に取った。と同時に奈津から呆れたような声が飛んでくる。 「それ、締め切り一番最後じゃん。資料まとめるだけなら手伝ってあげられるから、演習とかの感想レポートからやりなよ」 雑な自分とは異なり、奈津は既に課題の優先順位もつけてくれたらしい。友人に恵まれたと言う事実と、自分の情けなさに涙が出そうだ。これを言うとまた叱られるので言わないが。  二人で黙々と課題を片付ける。時折沈黙に耐えきれなくなった私が冗談を飛ばすと、その度に奈津からは冷たい視線を浴びせられた。  奈津は、度々しょうもないことで追い込まれている私を毎回助けてくれる。困っている人を放っておけない性格なのかと思ったが、本人にはきっぱりと否定された。 「成だからだよ」 だなんて、少女漫画ならヒロインが恋に落ちてしまいそうなセリフで毎度はぐらかされる。その都度「そんなことないよ」と私が返して、この問答はいつも終わる。  大雑把な私、早川成と几帳面な綾瀬奈津。ルームシェアなんてしているけれど、きっと奈津にはストレスが溜まることばかりじゃないかと思う。掃除も洗濯も、私のやり方では奈津には気に入らないんじゃないかとか、そんなことばかりを考えてしまう。そもそもルームシェアの始まりからして、そうなのだ。朝に弱くて一限に出られず進級すら怪しかった私の生活をなんとかするために、奈津が提案してくれた。私は世話になりっぱなしなのだ。  ルームシェアの経緯を思い出していたら、途端に自分のことが大変情けなくなってきた。どう考えたって奈津に損ばかりさせている。今この瞬間でさえもだ。突然手を止めた私に、奈津は怪訝そうな表情を浮かべて話しかけてくる。 「どうした、大丈夫だって。たぶん間に合うから」 私が課題の多さに参っていると思ったのだろう。こんなにも迷惑をかけているのに、さらに心配してくれる奈津に、心の底から、詫びたいと思った。 「いや……いつも迷惑ばっかりかけてるなって思って」 「は? 今更では?」 奈津は笑い飛ばしたが、私の心は晴れない。 「嫌ならいつでもルームシェア解消してくれていいからね」  勝手な想像をして、泣きそうになりながら奈津の方を見た。すると、みるみるうちに奈津の顔色が青くなっていく。今度は私が奈津を心配する番だった。 「奈津、どうしたの」 「……誰が、迷惑だって言ったわけ。それとも、成が私のこと嫌になったの」  奈津がなんだか泣きそうな声色をしぼり出した。口調こそ怒ったようなものではあったが。どうなっているのか分からずに困惑する。 「いや、いつも迷惑ばっかりかけてるし……」 「迷惑なんて思ってないし。勝手に決めないでよ」  うつむきながら喋っていたため表情はうかがえない。しかしキラリと光るものが奈津の頬を流れたのがみえた。彼女にそんな表情をさせたかったわけでも、悲しませたかったわけでもない。いてもたってもいられず咄嗟に彼女を抱きしめた。  突然閉じ込められた腕の中で奈津はビクリと動いたが、私の腕をふりほどくことはなかった。「ごめん」と、何が原因だったのかは分からないものの、泣かせてしまったことについて謝ると、「うん」とだけ涙声が返ってきた。 「私は、迷惑とか思ったことねえし」 「うん、勝手に想像してごめん」 「そうだよ、一生面倒見てあげられるくらい、お前のこと大事に思ってんのに」  ……うん? 何かよく分からないワードが耳に届いた。 「……奈津さん?」 「……そんくらいの覚悟ないと他人と共同生活なんかしねぇし」  何かさらりと重大なことを言われたような気もしたが、私よりも遙かに上手の奈津にいいように誤魔化された。  降り積もった奈津の、少しだけ彼女という器からあふれてしまった感情に感じたほんの少しの寒気は、課題に追われる内にやがて霧散していった。  そして1月30日。奈津の献身のおかげで、ようやく全ての課題を片付けられた。ようやく課題から解放されたので、打ち上げとばかりに彼女とささやかに缶ビールで乾杯する。しかし安心しきった私に対して、奈津はどこか引っかかったような表情を浮かべている。 「奈津様のおかげでなんとか進級できそうです」 「……いや、ところで成、試験対策の方はやってんの」  奈津は疑問形ではあったが、ある種の確信をもって私に尋ねた。そんなもの、もちろん、 「課題しかやってないよ!!」  試験は1月31日の2時限目の文系教養からだ。この時点で私の徹夜は決定した。奈津は呆れ果てた表情を浮かべ「仕方ないな」と言いながらも「本当に、成は私がいないとダメなんだから」とどこか嬉しそうにしていた。
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