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あたしは次の指名客の席に座り、ここから見える寂しそうな飛翔くんの背中を見つめていた。
今日に限って指名は4本も重なり、時計に目をやると、もう1時を過ぎていて……
それは飛翔くんの席には戻れない事がもう決定している。
何ヶ月前、飛翔くんとこの店で出会い、あたし達は恋に落ちた。
あの時じゃ考えられない、あたしの様々な感情の溢れ方を教えてくれたのは、近くにいるのに遠くにいる飛翔くん。
仕事だと分かっていながらも、肩を落としている姿を見る事でさえ辛く胸が苦しい……
「伊織の彼氏なの!?」
その言葉のトーンだけで一瞬で冷ややかな空間になり、あたしの体からは一気にさっきまでの熱が冷めた。
今この人がどんな目をしているのかが分かってしまうのが嫌だ。
「誰が?」
大貫さんの鋭い目を対抗するかのように見つめたあたしの顔にもきっと笑顔は消えていたであろう。
「あの若い二人の背が高い方」
周りの事など気にせずに、指をさし、大きな声で言う大貫さんを睨みながら、あたしは苛立ちからか目の前にあったグラスを口に運びビールを流しこんだ。
分かっている…
隣に座っている視線が痛いほど突き刺さっているのは……
“彼氏”とは呼べるのかは分からない。
形にこだわるつもりもない。
だけど、それを否定してしまうことは飛翔くんとあたしを否定してしまうかのようで心が痛む。
前のあたしなら、こんな状況など簡単に交わしていたはずなのに、言葉が出てこない自分に戸惑いながらも飛翔くんに視線を向けた。
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