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第十一話:サディスト の アレクシア<後編>①
その言葉は、本当に突然だった。
「──アリシア・ヴァイオレット。余との婚約を破棄してくれ」
「は????」
唐突過ぎて、私はポカンと口を開けたままだ。食べようとしていたサンドウィッチの具がポロリと落ちる。
……今、アルフレッド、なんていった? 聞き間違いかしら?
当のアルフレッドは冷たく私を見下ろしている。こんなに冷たい顔をするアルフレッドは初めて見た。今の彼はどうにも冗談を言っている人間の顔ではない。
「聞こえなかったか? 余と婚約を破棄してくれと言ったんだ」
「こんやく、はき……?」
その言葉の意味が分からなかった。こんやくはき。婚約はき。婚約……破棄?
私は言葉が出てこず、「どうして、でしょうか」と小さく漏らした。
……いや、違う! ここは喜ぶべきでしょう私!? これは私が望んだ展開のはず! いや、でも……舞踏会があった翌日の今日。しかも朝一番にこんなことを言われてしまっては私だって腹が立つ。正当な理由がないと気が済まない!
「話によると、君は余との婚約を破棄したがっていたと聞いている。君の父君に何回か余との婚約破棄を打診していたそうだな」
ぐっ!! それを言われたら何も言えないわよ!! 事実だからねっ!
「今まで迷惑をかけたな。では、後に君の家に正式な書類を送るから、署名をして返してくれ。じゃあな」
「え、あ……アルフレッド殿下!」
私は立ち上がる。アルフレッドは振り向かなかった。今までアルフレッドが私の声を無視したことなんてなかったのに。
──『ん? どうした、アリシア』
そう言って、いつも優しく笑ってくれたはずなのに。それ、なのに……私は……。
周囲の混乱の中、私は視界が反転し、目の前が真っ暗になってしまった。
***
「はは、思わぬ……だったなぁ」
──ん? 誰……?
「……さんを泣かせたことは許せない……。でも、これで……は僕の……」
──この声は、グラン?
「ああ、可哀想な姉さん。あんなクズの為にショックで倒れるなんて。これから姉さんは僕だけを見ていたらいいんだ。あの時の姉さんの言葉通り、僕達は一生一緒だよ……」
──クズ? アルフレッドのこと? それにこの声……なんだか不気味。本当にグランなの?
私は真偽を確かめなければと勢いよく目を開けた。
目の前には目を真っ赤にした私を見つめるいつものグラン。
「姉さん!! よかった、目が覚めたんだね!」
「ぐら、ん?」
「今朝のこと覚えてる!? 姉さん、倒れたんだ! 今まで半日眠ってたんだよ」
「え、えぇ。朝のことは覚えているけど……。ねぇ、グラン。もしかして貴方、ずっとここに居てくれたの?」
「そうしたかったんだけれど、流石に授業は受けなさいってマルス先生に言われてね。たった今お見舞いに来れたところなんだ。それがどうかした?」
「なんでもないわ。心配かけてごめんね」
やっぱり。グランはあんなに不気味な雰囲気で怖いことを言ったりしないわよね。こんなに優しい子なんだもの! あれはきっと悪夢だったんだわ。よかった……。
私は胸を撫でおろす。と、同時に今朝の婚約破棄のことを思いだした。
まさか私がアルフレッドに婚約破棄をされて気を失うなんて! 周囲の生徒からしたら、相当私がアルフレッドを愛していたんだと勘違いしているだろう。
……別に、私だって婚約破棄を望んでいたんだから何も問題はないのに。昨晩は遅くまで娯楽小説を読んでいたから寝不足で倒れたに違いないのに! きっと、そう! だけど……
──『アリシア、好きだ。心の底から君が愛しい』
──『アリシア・ヴァイオレット。余との婚約を破棄してくれ』
「昨晩と言っていることが、真逆じゃない……。嘘つき……」
「ねえ、さん?」
グランが戸惑いながら私を呼ぶ。
ちょうどその時、マルスとイーサンもノックの後に部屋に入ってきた。冷静な二人が珍しく私の顔を見てギョッとしている。
──何故なら
「アリシアお嬢様、」
「……ッひく……せんせぇ……ッ!」
どういうわけか、私は──大粒の涙をボロボロ流していたから。
マルスが優しく私を抱きしめる。優しく頭を撫でてくれた。イーサンは石のように固まっているグランを連れて部屋を出てくれた。
静かになった部屋で聞こえるのは、私の嗚咽だけだ。
数分後。
「落ち着きましたか?」
「ばい……」
マルスが優しく私の頭を撫で続けてくれる。その優しい手が心地よかった。
いつもはスライム馬鹿なくせにこういう時はちゃんと“先生”なんだから、やっぱりマルスってずるいと思う。
「今朝の件、グランお坊ちゃんから聞いております。アリシアお嬢様は本当にアルフレッド殿下のことをお慕いしていらっしゃったのですね」
「ぞんなばず、ありまぜん……」
子供みたいな私の返事にマルスはクスッと笑った。
「ですが、昨晩の舞踏会でのダンス。あの時のお嬢様は今までで一番楽しそうに笑ってらっしゃいましたよ」
「ッ!!」
きゅっと唇を結ぶ。顔が熱くなった。
……もう、これは認めるしかないだろう。
私は誰よりも優しくて、それ故に臆病なアルフレッドに惹かれてしまっているのだ。
幼児退行行動にお熱なのはちょっと困るけれど……元はと言えば私が原因でもあるし……。
それに、ダンスの練習も光魔法の特訓も、誰よりも努力家な彼の姿を一番傍で見ていた。
ひっっじょうに認めたくはないけれど、私を好きだと言ってくれるアルフレッドの瑠璃色の目が好きだ。身体の内側から思わず漏れたような、裏表のない素直な言葉が好きだ。……全部、好きだ。
あれ? もしかして私って……自分が思っている以上に、アルフレッドのこと──?
「アンタ、まだ気づいていないの?」
「ちょっと待って。たった今、自分の気持ちを自覚したばっかりなんだからちょっと休ませて」
「そっちじゃないわよ」
熱がこもった私を冷ますかのようにサザンカのため息が落ちてきた。珍しくサザンカが人型の姿を現しており、キョトンとする。
「アンタ、今朝の泣き虫王子の正体に気づいていないわけ?」
「どういう意味?」
「この先は有料よ」
意味が分からない。一体どうしたっていうのよ……。
ひとまず私はお父様のコレクションである幼い私の似顔絵を引き換えに(お父様、ごめんなさい!)サザンカに詳しく教えてもらうことにした。
「今朝の泣き虫王子は偽物よ。似たような体形の人間が変身薬かなんかを飲んで、誰かが泣き虫王子に成り代わっているわ」
「どうしてそんなことが分かるのでしょうか、妖精王サザンカ」
ちなみにだけれど、マルスは私とサザンカの契約のことを知っている。学園入学後に色々とスムーズに協力してもらうように、マルスとイーサンにサザンカのことを事前に話していたのだ。
「魔力よ。泣き虫王子には得意な魔法がなかったはずでしょ。だから魔力のオーラが見えるはずがないんだけれど……今朝のあいつは違ったわ。土魔法のオーラが見えた」
私はマルスと顔を見合わせた。脳裏でアレクシアの憎たらしい顔が何故か浮かぶ。
妖精王のサザンカならば魔力を感知することくらい朝飯前だろう。実際、グランがジャックに髪を切られた時も、グランの魔力を感知してもらって道案内をしてもらったこともある。ならば確かに、アルフレッドに土魔法のオーラが見えるのは確かにおかしい。
でも、今朝のアルフレッドが偽物ならば、本物は一体どこに?
……嫌な予感がした。
***
その後、私は外で待機してくれたイーサンとグランを中に入れ、追加でH4の三馬鹿を呼び出した。
今朝のアルフレッドが偽物。犯人は十中八九アレクシアだろうけど、アレクシアのことをよく知るジャック、ルビア、フロストにまず意見を聞きたかった。
「……あり得るな。むしろアレクシアならそのうちやるとは思っていた」
「確かに。会長ならやりかねねーな。本物は殺されたりはしてないだろうが、監禁されて生き地獄じゃねーの」
「会長、アルフレッド殿下のことになると殺気放ったりするしねぇ。昨晩のダンスが相当許せなかったのかもね。自分だけの所有物のはずの殿下が自分に背を向けてアリシアにゾッコンなんだから」
三人はうんうんと頷きあっている。私は頭を抱えた。
ふと、ジャックと目が合う。
「それにしても、だ。アリシア、お前がまさかあの妖精王と契約していたとはな。そりゃあ、俺が一対一で敵わないわけだよ」
「どうして僕らに教えてくれたの? アリシアと妖精王が契約していること、学園には内緒にしてるんだよね?」
「先輩方を信頼しているからですよ」
これは私の素直な言葉だ。今のジャック、ルビア、フロストが私に害をなすようなことをするとは到底思えなかった。一緒にダンスの特訓をしていく中で、私は三人をそう認識し直したのだ。だから、教えた。私の切り札を。もう彼らは敵じゃない。
三人は私の言葉を聞いて、照れ臭そうに頬を緩める。……って、そうではなくて!!
「とにかくアルフレッド殿下が心配です。今この瞬間にも、アレクシア殿下に何をされているか……! 一刻も早く救出しないと!」
アルフレッドルートでは有料コンテンツであるアレクシアは登場しない。ただ会話の中で兄の存在を匂わせただけだった。アレクシアルートはそもそも攻略していないし……。だからアレクシアがアルフレッドを監禁する場所なんてとても思いつかない。
こんな時はチートに頼るしかない。
「サザンカ。アルフレッド殿下の場所、分かったりするかしら?」
「泣き虫自身の魔力を辿ることは無理ね。弱すぎる。でも、ソールの魔力なら可能よ」
なるほど。確かにアルフレッドに従属しているソールの居場所が分かれば! 彼らは一緒にいるだろうから必然的にアルフレッドの居場所も分かるかもしれない。
私は「報酬ははずむわ」とサザンカに案内をお願いした。第三王太子が危機なのだ。お父様だって自分の命よりも大切にしている「プリチー♡アリシアコレクション」がいくらか減っても怒らないでしょう。きっとね。
そうと決まればすぐに出発しなきゃ。もう監禁されて半日は経っているのだ。あのサディスト野郎がアルフレッドにどんなことをしているか……想像もしたくない。
私は立ち上がり、部屋を出ようとする。だけど。
「姉さん、一人で行くつもり?」
そんなグランの一言で足を止める。振り向けばその場にいた全員が身支度をしているではないか。
「姉さん一人で行かせるわけないだろう。実弟を監禁するような男の所にさ」
「そうだな。アレクシアの危なっかしさは俺達が一番よく知ってる。元生徒会メンバーとして、あいつの親友として、俺達も行こう」
「生徒の無断外出を許すわけにはいきません。しかし事情が事情です。教師である私とイーサン君も同行しますよ」
そんな心強い言葉に私は胸が熱くなる。ここは素直に皆の力を借りよう。
──それにしても。本当にアレクシアがアルフレッドを監禁しているとしたら……考えるだけで怒りがこみあげてくる。アルフレッドがようやく一歩を踏み出したというのに、それを邪魔したあいつはこの先もきっとアルフレッドの邪魔をしてくる可能性が十分ある。
……もう二度とこんなことをしないように矯正する方法はないだろうか。
「姉さん、僕は準備できたよ。絶対に姉さんを守るからね!」
そう言って、子犬のように私に近づいてくるグラン。そんなグランを見て──私はあることを思いついた。ニヤリと口角を上げる。
そうだ、一つあったわね。アレクシアのプライドをポッキリとへし折る方法が。
化け物には、化け物をぶつければいいのよ。私にもリスクはある方法だけれど、そこはグランを信じましょう。
「グラン。お願いがあるわ。聞いてくれる?」
「ッ! うん、もちろん! 姉さんのためならなんでもするよ!」
私はグランの耳に唇を近づける。そうして、あることをお願いするのだった……。
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