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第十一話:サディスト の アレクシア<後編>②
サザンカ曰く、ソールの気配はアルフレッドの屋敷から感じるという。確かにアルフレッドの屋敷は王城とは隔離されているから監禁には丁度いいかもしれない。
もう既に日は暮れている。しかし、アルフレッドの屋敷が明かりがついておらず、主が学園にいることを白々しくアピールしているようだった。当たり前だけれど、ノックをしても扉は開かない。私は焦りから舌打ちをする。「ちょっと貸して」とルビアが一歩前に出た。
バキャッッ!!
ルビアの自慢の恋人がムキッと盛り上がり、そこから生まれた握力でドアノブを破壊する。ルビアはわざとらしくペロッと舌を出した。
「てへっ! 力加減間違えちゃった!」
「てへっ、じゃねーよ! 下手すりゃ反逆罪じゃないかお前!?」
「アルフレッド殿下を救出するためなんだからきっと大丈夫だよ! ほらほら、時間が惜しいんだから!」
大胆なルビアの行動力はこういう時頼りになる。
私達はアルフレッドの屋敷の中に入る。屋敷の中はやけに静かだった。サザンカの言われるままに道を進んでいると──この屋敷で一番広いであろう客間にたどり着く。客間は特に変わった様子はないようだけれど……。
「本棚の後ろ。地下へ続く道があるわ」
サザンカの言葉を聞いて、ジャックとルビアが本棚を調べる。そうすると木が軋む音と共に二つの本棚が両端にスライドされ、間に地下へ続く階段が現れた。
きっとこの奥だわ! 私がさっそくそこへ足を踏み入れようとすると……
「姉さん、危ない!」
グランが私の腕を引く。開かれた隠し通路からゾロゾロと複数の影が出てきたのだ。蝋燭の明かりが不気味にその影の正体を照らしていく。怪しい黒フードを被った人物六名と、狼の魔物が三匹!?
って、アレクシアのやつ、魔物まで手なずけてるわけ!? 本格的にラスボスじゃない!! しかもまだ手下も魔物もゾロゾロ出て来てるし!!
「この先は誰にも通さないようにご主人様に言われている。絶対に通さない!!」
いかにも悪役らしい台詞にうんざりする。奥でアルフレッドがどんな酷い目にあわされているかこいつらは知っているのだろうか。……いや、むしろアレクシア信者であろう手下達ならアルフレッドのことを羨ましがっているかもしれない。
「アリシア、ここは俺達が食い止める。お前はグランと一緒にアルフレッド殿下を救いに行くんだ。真っ直ぐ走れ! 道は切り開こう」
イーサンが剣を引き抜きながら、そう言った。マルスもルビアもジャックもフロストも私を見て強く頷いてくれる。
「姉さん、行こう。僕が姉さんを守るから」
「え、えぇ……。皆さん、頼みます!」
グランに手を引かれるまま、私は本棚の奥へと走り出した。私達の進行を邪魔する人の壁は一瞬で氷漬けになり、動かなくなる。フロストの氷魔法だろう。
とびかかってきた魔物達も風の刃によって腹を切りつけられ、壁に叩きつけられていた。これはジャックの風魔法ね!
他にもルビアの筋肉が盛り上がり、イーサンの剣が走り、マルスの炎魔法が手下達を蹂躙していく。
本当に道が切り開かれた。氷人間の隙間を縫って、先へ進む。
数分も走っていると階段は終わり、教室一つ分の広間に到着した。獣臭い。それに読みかけの本が地面に散らばっていたことから、あの手下達と魔物はこの場所で待機していたかもしれない。広間の奥に扉が見えた。微かな隙間から、蝋燭の明かりが漏れている。
グランがピタリと足を止め、私に向かってしーっと人差し指を唇の前で立てた。私も頷く。
埃っぽい空間の中、くしゃみを我慢しつつ、足音を立てないように扉に近づいた。そっと隙間から扉を覗けば──私は、口を押さえる。
覗いた隠し部屋では鞭が見えない速度で振り回されていた。壁に半裸ではりつけられているのはアルフレッドだ。近くにはソールも鳥かごの中に閉じ込められており、ぐったりとしている。
なによ、アレ! 扉越しでも分かるくらい、アルフレッドの身体は傷だらけ……。それに、アルフレッドの血によって近くの壁や地面が水玉模様になってるじゃない……。どれだけ鞭で叩けばああなるの!?
……頭の中でぷちんと何かが切れた音が聞こえた。
「可愛くない、可愛くないよアル!! ほんっとーにッ! 今のお前はッ! 可愛くないッ!」
何度も何度も鞭が振り回され、アルフレッドの白肌をさらに傷つけていく。私は変色するくらいに拳を握り締め、怒りを抑える。
アレクシアはどうやらアルフレッドの調教に夢中で私達に気づいていないらしい。そこだけは幸いだった。
「小さいアルは本当に可愛かったのにッ! 今のお前はなんだ!? あの魔女のせいだなッ! あの魔女のせいで、アルがアルではなくなったんだ!! あの頭のおかしい馬鹿女のせいでッ!!」
馬鹿女。その言葉に今までぐったりと項垂れていたアルフレッドがピクリと反応する。
酷くやつれた顔を上げ、彼はアレクシアを鋭く睨んだ。それは、とても長時間虐げられている人間の顔ではなかった。あんなに怒った顔のアルフレッドは初めて見る。
「……なにを、いっているんだ、兄上……逆だぞ、逆……。先程から何度も言っているが、余を、余でなくさせたのは、兄上の方だ……」
「はぁ?」
「アリシアこそが、余に、自信をくれた……。ありのままの余を、誇りだって、言ってくれた……。アリシアは、余の希望だ……。彼女の悪口は、余が、許さない……!! 兄上……いや、クソ兄貴……ッ!!」
「~~~~ッッ!?!?」
……アルフレッドは馬鹿だ。そんなこと言わずに適当に従順なフリをしていればいいものを。
もう半日以上は鞭で虐げられて、体力も限界だろうに。従順なフリをしていれば、アレクシアも満足してそんな傷だらけにはなっていないだろうに。本当に馬鹿だと思う。
そんな私の思考とは裏腹に胸がきゅんと熱くなったのは気づかないフリをする。
一方、アレクシアがわなわなと身体を震わしている。怒りの許容量が越えたのか、我を忘れてしまっているのだろうか。このままでは怒りのあまりアルフレッドを殺しかねない。
もうこの暴走王子を許すことはできない。私の堪忍袋の緒は既に切れているのだ。
今後二度とアルフレッドにこんな蛮行をしないように徹底的に矯正する必要がある。容赦なく、徹底的に。
だけど、今の私では今のアレクシアのプライドを徹底的に潰すことなんてできない。人を屈服させるなんてサザンカの圧倒的な力をもっているだけでは不可能だ。技術がいる。
……だから、ここは彼女に任せようと思う。一国を傾倒させたという伝説の悪女に。
「グラン、今よ。お願い、私にミルキネの魂を憑依させて」
「え!? ほ、本当にやるの!? 姉さんにもリスクがあるんだよ!?」
「私はもうアレクシア殿下を許すことはできない。それに、グランの力なら危なくなったらすぐに憑依を解除できるでしょう? 私の自慢の弟だもの、信じてるわ」
「う……。その言い方はずるいよ、姉さん……」
グランはため息をこぼす。そして、ぶつぶつと呪文を呟き始めた。
私は深呼吸をしながら、それを待つ。
──ミルキネ・バイクネス。その名はHENTAI☆ロマンティックのメインストーリーには登場しない。
グランルートのHENTAIエンドでは、罵倒してくれないアリシアに愛想をつかしたグランがアリシアに自分を徹底的に罵倒してくれそうな、国一つ揺るがしたと言われる伝説のドS悪女の悪霊を憑りつかせるという最悪オブ最悪なオチであるが──その悪女こそがミルキネなのである。
化け物には化け物を。ドSには超ドSを。まだ学生でお坊ちゃんなアレクシアが傾国の悪女に勝てるとは到底思えなかった。だからこそ、私は彼女に賭けることにしたのだ。
事前に学校の図書館から借りてきたミルキネの自著本を触媒に、グランは呪文を唱え終えたようだ。私を見てコクリと頷いた。私は全身の力を抜き、目を瞑る。
そして──
「──ああ、久しぶりの現世……。呼吸の仕方も忘れていたわ……♡」
***
指先に優しい温もりを感じた。誰かが私の名前を呼んでいる。誰の声かは一瞬で分かった。
「──アリシア、そろそろ戻ってきてくれ」
「……、……」
目を開けると、瑠璃色の瞳がこちらを見下ろしていた。頭痛が酷い。頭を抱えながら起き上がると、身体がとても重く、また誰かの腕の中に落ちる。
……誰かなんて、分かり切っているけど。
「無理をするな。グラン曰く、憑依魔法というのは憑依された者の体力根こそぎ奪うらしい。もう少し、余の腕の中で休んでいろ。グランが置いていった治療薬を飲むといい」
「そんな、それは私よりも殿下が先に飲んでください……。それに殿下は傷だらけです。私はすぐに起き上がりますから……」
そうだ。確かアルフレッドはアレクシアに虐げられた傷が体中にあったはず。そんなアルフレッドにこのまま抱かれたままじゃ彼がきついだろう。そう思ったのだけど、私の身体はちっとも動いてくれなかった。
「心配するな。余は既に飲んでいる。それに今は余がこうしていたいんだ。アリシアが余に身体を預けるなんてなかなかないからな。君は強いから」
「うぅ……」
私はなんだか体の内側がムズムズして、アルフレッドから顔を背ける。
どうやらまだ私達はアレクシアの隠れ部屋にいるらしい。そういえば、アレクシア本人はどこにいるのだろう。私の身体に憑依したミルキネは無事にアレクシアを矯正してくれたのかしら……。
アルフレッドはそんな私の不安を察してくれたようだった。
「兄上ならあそこだ」
「あれって……」
ただでさえ薄暗い隠し部屋の隅に、陰気臭い何者かがボロ布を全身に巻き付けたまま体育座りをして震えていた。よく見るとあの金髪……確かにアレがアレクシアのようだ。
「ちなみに今、マルス先生達が城の者に状況を伝えてくれている。後は助けを待つだけだ。あの通り、兄上も大人しくなったからな」
「……ミルキネはアレクシア殿下を一体どんな目に?」
「ミルキネ? ……ああ、あの黒く髪の染まった君の姿のことか。まぁ、なんだ……あまり聞かない方がいい。あの兄上の後ろ姿を見ればわかるだろう?」
アルフレッドは眉を顰めてそう答えた。相当恐ろしかったのか、ブルッと体を震わせて。
……ふと、私は足元に何かを見つける。
「鞭?」
これは確か、アレクシアの鞭のはずだけど……。
ぱっとアレクシアを見ると私の言葉に反応したのか、こちらを見て真っ赤な顔になっている。
「お、お前ぇ!! まだ足りないというのか! この第二王太子である僕を鞭の扱いが下手だとか鞭を振ることしか能がないとか言って侮辱した上に一振りで僕の全身を暴き、身体中に鞭を巻き付かせてあんなポーズやこんな体勢にしながら辱めたというのに!! それに見てみろ!! この背中を──!!」
『僕は負け犬です。』
アレクシアの背中には綺麗な文字でそう書かれていた。よく見るとそれはペンで書いたものではなく、鞭によりできた傷でできたものだ。
こ、これは流石にやりすぎた!? 拷問じゃない! グランにはミルキネがやり過ぎる前に憑依を解除してってお願いしていたはずなのに!
私がそう真っ青になるほどに、アレクシアの傷跡は非常に痛々しかった。慌ててアルフレッドから治療薬を受け取り、アレクシアに飲ませようとする。
しかし何故かアレクシアはそれを拒否するように後ずさった。
「アレクシア殿下!? 傷を負わせた私が言うのもおかしいことだとは分かっていますが、傷を治さないと! ひとまず治療薬を!」
「触るなぁあっっ! あの御方が僕につけてくださった愛を消すんじゃないッ!!」
……は? どういうこと?
思わず私はポカンと口を開けたまま固まる。アレクシアはその後すぐにハッと我に返ったような表情をし、悔し気に、恨めし気に私を睨みつけた。顔が真っ赤なままだから、あまり攻撃力はないのだけど。心なしか息も荒いし。
「う、うぅ!! 魔女め! お、お前のせいで……鞭を見るだけで、僕の身体がっ、みるみる熱くなって……っ!! こ、これは僕の意思じゃないからな! 勘違いするなよ! 僕は、負け犬なんかじゃ……ッ!! へへ、負け犬……ミルキネ様の、犬……ハッ! 違う! これは僕じゃない!」
「…………」
私は何かを察した。
……うん、アルフレッドの言う通り、これ以上は何も聞かないでおこう。知らなくてよいことも、この世にはあるのだから。
私は手に持っていた治療薬を自分で飲み、アレクシアを無視して背を向ける。「今度は放置か!? 僕は放置される側なんだ! 何か言え!」と背後からピーチクパーチクうるさい声が聞こえるが、知ったことか。
するとアレクシアの標的がアルフレッドに変わる。
「アル! その魔女に騙されるな! その魔女と一緒にいるとお前の身が危険だ! 今だってヤツが僕にした仕打ちを散々見ただろう!! 僕はずっとお前の身を案じていたんだ。分かってくれ!! 頼むよ、アル……! もしや今日のことを、父上や城の従者達には言わないよね? アルは優しいから……」
涙目でそんな戯言をほざくアレクシアに私は青筋を浮き立たせる。それに気づいたアルフレッドが私の前に出た。
「……そうか。兄上は余を心配してくれていたのか」
「そ、そうだよアル! 分かってくれたか! やっぱりお前は僕の可愛いおと──」
その瞬間。アルフレッドは手のひらを黙ってかざした。
目にも止まらぬ速さの光の刃が噴出し、アレクシアの頬を掠って背後の壁に細く深い傷をつけた。少しでもアルフレッドの手元が狂っていたら、もしかしたらアレクシアの顔は真っ二つになっていたかもしれない。
そう想像してしまうくらいに、今のアルフレッドの目は氷のように冷たかった。
「余から兄上に言いたいことはたったの一つ。余計なお世話だ。このことは父上にも城の者達にも、もちろんアベル兄さんにも報告してもらう。もう余は貴方を兄だとは思わない。……正直、顔も見たくない」
「────!!!!」
アレクシアはそれを聞いた瞬間、気絶した。相当ショックを受けたのか、泡を噴いて顔が真っ青を通り越して死人のように真っ白だ。ピクピクと痙攣しているので、一応生きてはいるだろうけれど。
──あれ? もしかしてミルキネを利用するよりも、もっと簡単に矯正する方法があったんじゃ…? 余計なお世話をしたのは私の方かしら?
そんなことを考えていると、アルフレッドが私の背中に腕を回す。ぐっと私と彼の距離が縮まり、密着した。
アルフレッドの鼓動の振動がこちらに伝わってしまうくらい、近い。
「いくら兄上といえども、余の大切なアリシアを侮辱するなんて許せないからな。これくらいは仕返ししてもいいだろう?」
その時、アルフレッドの唇が私の唇に重なった。
私は放心する。小さなリップ音がやけに大きく聞こえた。アルフレッドの唇は長時間拘束されていたからか、少し乾燥していたのが印象に残る。
「ん……助けに来てくれてありがとう、アリシア」
「……。……!? ……え、い、いいい今……でで殿下!?!?」
「すまない。嬉しくて我慢できなかった。駄目だったか?」
くぅん、と子犬のように濡れた瞳で私を見つめるアルフレッド。私はうっと唇を結ぶ。
……まぁ、婚約者だし。逆に何も進展がなかったら周りから変な目で見られそうだし?
そんな意味のない言い訳を心の中で呟きつつ、私は熱い顔を隠すためにアルフレッドの胸の中に顔をうずめた。
「……ッ、駄目じゃないかも、しれないですけれど、やっぱり駄目ですぅ……」
「ふふ。それじゃあどっちか分からないじゃないか」
「だ、だって……!!」
「アリシアが余に翻弄されるなんて珍しいな。顔も真っ赤だ。……愛しくて仕方がないよ」
そ、そんな、乙女ゲームみたいな台詞をよくもスラスラと……!! しかも、さらに強く抱きしめられ──って、アレ??
そこで私は違和感に気づく。いつの間にか私達の周りに黒い霧が立ち込めていたのだ。
こ、これは……まさか──!!
「──だからッ、姉さんと殿下を、二人きりにしたくないと言ったんですよ、僕は……ッッ!! それなのに、先輩達が強引に僕を連れて行くから……!!」
振り返ると、そこにはどす黒い霧を纏ったグランが魔王のような顔でこちらにズンズン歩いてきているではないか。かなりのご立腹のようだ。
私を抱きしめるアルフレッドの腕がブルブル震えている。……今までの勇敢なアルフレッドはミルキネと一緒に空の上まで帰ってしまったのだろうか。
そんな姉である私でも後ずさってしまう程の怖い顔をしているグランの後ろからルビア、ジャック、フロストの三馬鹿が私へ必死に「フォローしろ」とジェスチャーを飛ばしてくる。
──ああもう! ふざけんじゃないわよ! こっちは病み上がりならぬ憑き上がりだってのに!!
そう悪態をつきながら、私は頭の中で目の前の弟をどう宥めてやろうか、頭を回すのだった。
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