手紙 −紫苑

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すでにガムテープで塞がれていたが、段ボール箱の横には「茶道 道具」と殴り書きがある。 他にも「華道」「ボランティア」「押し花」などと書かれた箱があちらこちらに置いてある。 「運ぶくらいやってよね。詰め込んだら重たくなっちゃったのよ」 責めるような口調で、母が段ボールをばしんと叩く。 片付けをぞんざいに断って、本屋へとマンガを買いに逃げたのが気に入らなかったらしい。 僕はこれ以上の抵抗で「昼飯抜き」などの制裁が返ってくるのを恐れて、のろのろと段ボール箱に手を掛けた。 ずしりと手に重さが伝わってくる。 散らばったクロックスを足で探ってひっかけると、開けっ放しの玄関から倉庫へと運んだ。 「それ終わったら、梅園(うめぞの)さんで和菓子買ってきて。御使い物ですって三千円くらいのやつを三つ、お店の人に見繕ってもらって。お釣りはお小遣いにしていいから」 「なんだよそれ、めんどくせえなあ」 「ちょっと、昼ご飯作ってやんないわよ、早く行ってきて。三千円だからね」 頭がようやく覚醒してくる。 僕は仕方なしに、母の手から一万円札をひったくると、スニーカーを足で回転させて勢いよく突っ込んだ。 ✳︎✳︎✳︎ 「おい、どうして俺が、」 言い掛けたらすぐに遮られた。 「あんた、この前あったテストの結果、また出さなかったわね」 ああ、出たよ、おかんの説教。 心の中で毒づきながら、空いた方の手で頭を掻く。あ、髪なんもしてねえ、くそっ。 「たいちゃんのお母さんに聞いたの。あんた、母親の情報網なめんじゃないわよ」 これは情報を小出しにしてきて、さらに攻めてくるパターンだな。 げんなりしつつも、僕はなるべくHPを消費しないように守りを固めた。守りといっても、聞き流すだけだが。 父親は死別。実際のところ、母には頭が上がらない生活を送っているから反撃の手も鈍る。 「テストの点だって、だいたいはつかんでんのよ」 「くっそ、大志(たいし)め、あいつ調子に乗りやがって」 どら焼きの袋を足にぶつけては、がさがさといわせながら、母は足早に道を突進していく。 高二の俺がついていけねえって、どんだけだよ。 少しだけ、ペースを上げる。 「あーあ、受験とか。どうすんだろうねえ、うちのバカ息子は」 独り言の域に入った母の言葉を聞き流す。 聞き流しながら、重さで底が抜けないようにと二重に重ねられた紙袋を右手に持ち替える。 なにが入っているのか、この紙袋がとにかく重い。 母が持つ、どら焼きの紙袋とは、比べ物にならないほどの重さ。 ただ、母にそれを持たせるのも酷だなと思うのは、やはり父親がいなく、朝から晩まで働きづめの母を、どこかで慮(おもんばか)ってのことだろうと思う。 (俺はこう見えて優しい男なんだ……全然、モテねえけど) 自分で言って自分でツッコミながら、枯れ葉がはらはらと舞い落ちる、その道を急ぎ歩いた。 ✳︎✳︎✳︎ 呼び鈴を押す母親の指先をぼんやりと視界に入れながら、そう立派でもない玄関の扉が開かれるのを待つ。 茶道の先生の家だと聞いていたから、道中すごい門構えや大きな屋敷を想像しながら歩いて来たのだが。 第一印象は、普通の家だということ。 誰も出てくる気配がない。 紙袋を持ち替える。 その重さに負けて、不服の言葉を口にしようとした時、がらりとガラス戸が横に滑った。 扉に添えられた手が視界に入ってくる。 それは白く、すらっとして細く。 その手の白さ。 それを見た瞬間。 ずくずくと、僕の奥の奥から湧いてくる何かが、僕の心を侵食していった。 この世界の、ものではないような、まるで信じられない気持ち。 奪われたのだ。 視覚だけでなく。なにもかもを。 それから、次の瞬間に僕は確信した。 この白く滑らかな手を。このガラス戸にからみつかせている、ほっそりとして弱々しい指を。 永遠に愛することを。 それは、僕の初恋だった。 「うちの母が大変お世話になりまして」 母の挨拶の言葉が、ようやく耳へと入る。 「櫻井さんがお亡くなりになって、本当に寂しいです。ご家族の皆さまも、お寂しくなりますね」 声。細く響く。 一通りの挨拶を終え、手土産をつまらないものですけどと言って、母が紙袋を渡す。 それを受け取る、その白い手に、僕はもう一度、釘づけになった。 「本当に、こんな古いもの、使っていただけるんですか?」 その文脈から、ああ、俺が持ってるこの重たいやつ、抹茶茶碗だったのか……と思う。 事前に連絡してあったのであろう。
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