夢を彷徨って −アネモネ

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そして、僕は今日という日を選んで、瑠璃の夢に入ることを決めた。 夕日の光に包まれながら、横たわって眠りに就いている瑠璃の横顔を見ていると、なぜあんなにも画を描くことに固執するのであろうかと、不思議に思えてくる。 もちろん、思い切ってその理由を尋ねてみた。 けれど、瑠璃は。 薄っすらと笑うだけで、僕の問いかけには口を噤んでしまったのだ。 (これは夢の中で探っていくしかありませんね……) 今回は様子を見るだけの試みではあったが、しかしその固執する理由がどこにあるのかを少しでも探ることができれば、などと考えていた。 たったあれだけの夢の内容で、あんなにも歓喜し、けれどそれとは真逆に憔悴し、疲労し、縋るようにして僕に頼らざるを得ない理由は何だろうか。 僕は瑠璃を起こさないようにと細心の注意を払いながら、そっとその手に触れた。 この沢山の画に囲まれた、ちょっとした美術館のような、静謐な部屋で。 夕暮れがすっかり終わり夜のとばりが下り始める外の様子と同じ様な感覚で、僕は瑠璃の夢へと深く誘われる。 そして気がつくと、僕は青いソファに座り、ぼんやりと天井を眺めていた。 刻、刻、刻、刻…… 何かの音とも言葉ともとれるような妙な音が響いている。僕はその規則正しいが、奇妙でもある音を唐突に、頭の中で数え始める。 いち、にい、さん、しい…… すると途端に音が止む。 「おっとっと、これはもう始まっていますね」 夢の始まりを悟った僕は、すぐに瑠璃が話していた窓のそばに近づき、カーテンを翻してその中へと身を隠した。 窓は腰より上の高さだが、カーテンは足元まで伸びている長いものだ。 「少し狭いですが、なんとかなるでしょう」 カーテンの中で身を縮こませる。 窓とカーテンの大きさに矛盾がある点。 これは僕がよく使う手法で、身を隠す場所をあらかじめ作っておくやり方だ。 話を聞くと、どうやら身を隠す場所はカーテン以外にはないという判断で、瑠璃が眠りに入るきわに、カーテンを足下までの長さのものにしておいてください、と耳元で囁いた結果だ。 この方法で、二つほどなら夢の中に必要なアイテムを置いたり、夢の中のディテールを変化させたりすることができる。 けれど、やはりそれも夢自体を作り変えてしまわないよう、改ざんが最低限で収まるように慎重に検討し、実行するのだ。 カーテンからちらりと覗いてみる。 ソファには先ほどまで僕が座っていたのと同じようにして、そこにはすでに瑠璃が座っていた。 夢の中の瑠璃は現実の瑠璃よりも儚く、しかしそれは見ようによっては、魂のない人形のような瑠璃であった。 部屋にもまるで存在感というものがない。 そんなジオラマ化された部屋の真ん中で、ぽつんと座っている瑠璃の様子を見て、僕は異様な感覚を覚えたのだ。 違う。 これは瑠璃の夢じゃない。 誰かによって、夢がすり替えられている。 (これはいったい……どういうことだ) 今までに起こり得なかったケースを前にして、僕は激しく動揺した。 危険と判断すれば、すぐに夢から出て、瑠璃を目覚めさせなければならない。 そう考えを巡らせているうちに、瑠璃はその魂が宿ってはいない抜け殻のような身体を動かし始めた。 ソファを離れ、僕が隠れているカーテンに近づいてくる。 想定内ではある。すり替えられた夢であるということ以外は。 瑠璃はゆっくりとした動作で、カーテンを開けていく。 僕のすぐ近くに瑠璃の横顔を認める。 窓に手を掛けた時、瑠璃の唇が何かを囁いた。 耳に届いた言葉に、ぞっと背筋が凍った。 ———どうか 私を 連れていって、 僕の耳にその言葉が届いたと同時に、ガラスにヒビが入る音が鳴り始めた。 ビキビキビキッと、耳をつんざくような嫌な音をそこら中にばらまき散らして、僕の顔のすぐそこにあるガラスにも亀裂が入っていく。 (うわっっ) 僕は思わず耳を手の平で押さえつけた。 身体中に悪寒が走り回るような、そんな不快な音。それなのに瑠璃は、まるで平気な顔をしている。 (やっぱり、これは……この夢は、) 何者かが見せている夢と判断して間違いない。 そして次の瞬間。 ガラスは割れ、そこかしこへと飛び散った。 しかし、今度は無音の爆発だった。 そう、砕かれたガラスは、すでに虹色の美しい蝶に、姿を変えていたのだ。 それは、息を呑む美しさ。僕は一瞬で、言葉を失った。 蝶はきらきらと光る鱗粉を散らしながら、虹色の羽を目一杯に広げ、羽ばたいている。 散りじりになって飛び、あるいは舞い、あるいは螺旋を描くようにして上昇していく。
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