新入社員の名刺

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富永が、会社の応接室のドアを開けると、二人のスーツ姿の男がソファーから立ち上がった。 一人は、取引先の営業課長の谷川。 そして、その隣にいたのは、初めて見る若い男だった。 「ああ、谷川さん。今日は何か ?」 富永は、二人の前に歩み寄り声を掛けた。 「はい。新人が入ったんで顔見せに」 「そうですか。わざわざ、どうも」 「来月から、こちらを担当する事になった野口です」 谷川は、隣の若い男を紹介した。 「初めまして、野口です」 そう言って、野口は、名刺入れからある物を取り出し、富永に差し出した。 「えっ !? 何、これ」 富永は戸惑っていた。 それは、野口が差し出した物が・・・千円札だったからだ。 「名刺です」 野口は、あっさりと答えた。 「名刺 !!?」 訳の分からない富永は、救いを求めるように谷川を見た。 「こいつの名前、野口英世っていうんですよ」 谷川が、解説してくれた。 「野口英世 !?」 「ええ。偶然、同姓同名だったんで、千円札を名刺代わりに使おうって事になって・・・」 「偶然て・・・どう考えても、野口英世から取ってるでしょ、名前」 「運命を感じますよね」 野口が、感慨深げに言った。 「必然だって」 「名刺作る手間も省けますしね」 と谷川。 「その分、めちゃめちゃお金かかるじゃないですか・・・費用は会社持ちなんですか ?」 「いえ、自腹です」 「自腹 !?・・・大丈夫なの ?」 富永は、野口に聞いた。 「まあ、大変と言えば大変ですけど・・・若い時の苦労は金を払ってでもしろって言いますし」 「無意味な苦労だと思うけど・・・」 「名前も、すぐに覚えてもらえますし」 「千円札渡さなくても覚えてもらえると思うけど・・・特徴的な名前だから」 「名刺なんで、ワイロ代わりに堂々と渡せますし」 「結局、捕まるだろうけどね・・・」 「あと、一番便利なのは、万が一お金がなくなった時でも、名刺さえあれば買い物が出来るっていう所ですよね」 「それが、本来の使い方だからね・・・」 「とにかく、いい所だらけなんですよね」 「まあ、君がそれでいいんなら、別にいいけど・・・」 数ヵ月後。 谷川が、見知らぬ顔の若い男を連れて、富永の会社にやって来た。 「ああ、谷川さん。今日は何か ?」 「はい。新人が入ったんで顔見せに」 「またですか ?」 「はい」 「この間の野口君は ?」 「自己破産して辞めました」 「でしょうね・・・」 「何が原因だったんですかね ?」 「名刺ですよ」 「ギャンブルにでも、はまってたんでしょうかね」 「いや、だから名刺ですって」 「まあ、それはともかく、今度、野口の変わりにこちらを担当する事になった・・・」 「福沢諭吉です」 と言って、若い男は一万円札を差し出した。
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