2-4 シンデレラの靴(1)

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2-4 シンデレラの靴(1)

 電話口で声を聞いた限り、俺が思っているようなことを考え、俺が思っているようなことを想像し、俺が思っているようなことを感じてくれていたはずだ。  なのになぜだ? 「ほんとにどこ行っちゃったのかしら。何も言ってなかったからもうすぐ帰ってくると思うんだけど…」  ひなは大人になるにつれて、ますます母親に似てきている、と志緒さんを見てはつくづく思う。  背格好から声の高さ、果ては仕草に至るまで、まるで双子のように瓜二つだ。もちろん俺の目にはひなしか映らないから、志緒さんと並んだところで間違えたりなどはしないけれど。ただ、母親が40歳を過ぎてもこれだけ若くて綺麗だと、ひなの数十年後も楽しみというものだ。  いや今は志緒さんがどうとか何十年も先の未来などどうでもよくて。 「晃平くん、明日も仕事でしょう。大丈夫なの?」 「ええ、もう30分待って帰ってこなかったら帰りますよ。どこかで渋滞に捕まってるのかもしれませんね」  むしろこのまま会わずに帰った方がお互いのためかもしれない。  俺がこの屋敷に着いて、志緒さんと千造さんにひなの不在の理由を聞かされてから、はや1時間40分。  待つことには別段何の文句もない。ただ胃を重くするほど気に入らない理由が一つ。  顔を見れば、―――あの男の車から降りてくるひなを見れば、何か一言は余計なことを言ってしまいそうだ。  <…帰るか>  ふと想像しただけで、顔が歪んでいくのがわかった。  言ってしまいそうではなく、確実に何か言う。  ズボンのポケットから車のキーを取り出し、玄関のそばで一緒に待ってくれていた志緒さんに向き直る。 「すみません、やっぱり今日はもう帰ります。用事があったわけでもないですし」 「え? そう? ごめんね、ひなにはよく言い聞かせておくから。…と、あら」  志緒さんの視線の先が、俺からその背後へとずれた。  何だと思うよりも先に、耳に車のエンジン音が届く。後ろを振り向くと、ヘッドライトの白い光が、喧嘩でも売っているのかと思うほど強烈に俺の網膜を刺激した。  思わず目を細めて固まっていると、その車から人が降りてきた。 「こ、晃平っ!」  切羽詰って叫んだのは、ひな。  光の残像がようやく消えて、再び薄闇に目が慣れると、いつの間にか目の前にひなが立っていた。 「…おかえり」  笑顔が、作れなかった。 「た、…ただいま。…ごめん、ね。晃平」  俺の顔から笑みが消えると相当不気味、といつだったか友人に言われたことがある。そんなことを思い出して、努めて笑顔を作ろうとしてみる。  俺の袖に触れようとした手が、所在無げに口元へと持っていかれた。 「いや、いいよ。絶対ってわけでもなかったし。学校でも顔は合わせるしな」  面と向かうと、意外にもひなを責めるような言葉は出てこなかった。 「どうしたの、ご飯でも食べて帰ってたの?」  志緒さんが、ぼんやりしている俺の横からひなに問う。 「あ、…うん。―――ゆうくん、もうすぐアメリカ帰っちゃうんでしょ? 今しかないって言ってたから」  そういえば、あの麻生佑介というひなの叔父は、アメリカでカメラマンをしているという。なるほどどうりで日本のサラリーマン然とした雰囲気ではないわけだ。  ガレージに車を停め終わった麻生が、キーを片手にゆっくりと歩いてくる。その足取りが、苛立ちを誘う。 「よう、こんばんは。ちょっと奥さんを借りてたよ」  なにが『奥さん』だ。  <バカにしてんのか?>  明らかに友好的な笑顔ではない。瞳の奥は笑っていない。大抵の人間は騙せる巧みな微笑を口元で作りながら、大きな黒目で俺を値踏みしている。 「…妻がお世話になりまして」  志緒さんがそばにいることも忘れて、棒立ちするひなの肩を抱き締める。抱き寄せられて重心が傾いたひなが、短く悲鳴を上げる。たぶん、頭上で行われている冷戦に、ひなは全く気付いていない。 「高校の先生やってるんだって? お堅い公務員か。生徒に手を出したらイケナイんじゃないか?」  そういうお前も血が濃く繋がっている姪相手に、何を企んでいるのだ。 「そうですね。―――でも麻生さんも好きでしょう、イケナイ事」  目でわずかに合図を送ると、それを察した麻生が不敵な微笑を浮かべた。 「まぁな。こうやって制服の女子高生と二人で晩御飯ってだけでドキドキするもんなぁ」  叔父の言うセリフか。  そう思ったが、口には出さずに苦笑してみせる。敢えて何も返さなかった。 「ほらほら佑介、あんたはもうひなから離れなさい。あんたもいい年してふらふらしてんじゃないわよ」  志緒さんがそんなことを言いながら、麻生の背中を押して屋敷へと入って行ってしまった。  突然二人きりにされて、待っていたかのような沈黙がすかさず落ちてくる。 「…車の中行こうか」  苛立ちとその他諸々の複雑な感情を一度リセットしたくて、場所を変えようと思った。  ガレージのそばに停めていた車に歩き出すと、突然後ろからひなが抱き着いてきた。 「っと、」 「―――ごめん、晃平…っわざとじゃないの、どうしても断りきれなくて…」  まだ麻生の話か、と思わず空を仰いだ。 「うん。もういいよ、わかったから。だからその話はもうやめよう」  がっしりと腰に回されたひなの腕を、軽く叩いてほどこうとしたが、 「じゃあなんでそんなに…」  ひなの声が、涙で濁っていた。今にも泣き出しそうに震えている。  驚いて振り向き、ひなの瞳を覗き込む。瞬きをした拍子に、ぽろ、と最初の一粒が零れた。 「―――俺が何? そんなに、何?」 「……なんでそんなに」  怒ってるの? と、声にもならいほど小さな声で言った。  <怒ってる、だって?>  至って自然に振舞えているはずなのに。  どうやら自分が思っている以上に、俺はひなに対して隠すべき感情が隠せていないようだ。ということは、俺が思っている以上に俺は、冷たい声で、素っ気ない態度を取り、笑顔だと思い込んだ笑顔ではないものを浮かべていたのだろうか。  <うっわ…俺って…>  ぐら、と目の前が回った。  もちろん、自己嫌悪と後悔で、だ。  目の前でひなは、怯えたような、困り果てたような顔で、下を向いている。 「…。ごめん。俺が悪かった」  何を本気で心配していたのだ。相手はただの叔父じゃないか。ちょっと年が若くて視線が気に食わないからって、そしてひなをかわいがっているからって、ひなを困らせるほど嫉妬しなくてもいいのだ。  ふらりと帰ってきただけの叔父に、過敏に反応しすぎだ。 「…本当に、ごめん。俺が子供だったよ」  俺のシャツを掴んだままのひなの手を握り、涙の伝った頬にキスをする。 「もう、ゆう…叔父さんの車には乗らないから。だから」 「いや、もういいよ。俺の心が狭かっただけだから。ただの俺の、我侭だから」 「―――でも」 「うん。じゃあ、ここでキスして?」  ぴく、とひなの手が反応した。 「俺を待たせた1時間40分ぶんのキスを、今ここで」  麻生の車の中で、ひながどれだけ俺のことを心配していたかは、ひなの泣き顔を見てわかった。  普通、ただの叔父とのドライブでここまで不機嫌になったら、ひなの方が怒ったっていいところだ。でも怒るどころかこうして泣いてしまうのは、ひな自身が俺にこんなにも申し訳なく思っていたからだ。ひなに対して怒る理由は、どこにもない。  ただ、あるはずだった「ひなとの1時間40分」を思って、腹が立つ。 「―――あともう10分ほどで帰るけど」  その間に、それだけの濃さを持ったキスをしてくれ。  俺のセリフに、ひなの泣き顔がみるみるうちに怒ったような顔へと変わっていく。 「…あ、…あの、ねぇ…!」 「してくれないの?」  こう言えばひながどんな反応をするかなんて、とっくの昔に知っている。  車のボンネットに座るように寄りかかった俺の両脚を割って、ひなの腰が近付く。少し複雑そうな表情のまま、肩に手を載せた。顔の高さは、丁度。  ひなの、キスをする寸前、目を閉じる顔が好きだ。  そんなことを思いながら、待ち望んでいた柔らかさを思う存分味わう。 「…ん、…っ」  一旦触れてしまったら、こちらが自制が効かなくなった。当然、触れるだけのキスに終わるはずがない。待ちぼうけをくらったことも手伝って、そのままボンネットに押し倒しそうになるほど深く口付ける。 「ちょ、…晃平…っ」  知らないうちに、手がひなの制服の中へと侵入していた。  まずい、と思いながら、手を服から華奢な顎へと移動させる。―――ふいに、人の気配を感じた。  すぐそばではない。  ちょうど門のそば、照明灯が照らす範囲に入らないあたりに、黒い人影。  <…ふぅん>  まさか、こんな場面を好んで盗み見るようには見えなかったが。 「…―――ひな」  ほとんど俺に翻弄されっぱなしだったひなが、ぼんやりしながら俺を見る。いつの間にか体は俺にしなだれかかり、今にもコテンと寝転がってしまいそうだ。 「…ん…? なあに」 「まだ痕残ってる?」 「…え? …何の?」  答えるより先に、スカートをめくる。暗闇に、ひなの白い脚が浮かび上がる。 「え、えっ!? ちょっと、―――晃平っ?」  ボンネットに座らせ、右脚を上げて足を開かせる。 「ここにつけた痕、まだ残ってる?」  スカートから見えるか見えないか、わからないくらいの、太ももの内側。 「~~知らないよ、暗くて見えるわけないし…! って、こう、…っ」  制止の声も手も無視して、キスで口を塞ぎながら、ひなの内股に手を滑らせる。他の場所より一際皮膚の薄いそこは、夜気に触れていたせいか少しひんやりとし、だが先程のキスで灯り始めた熱を、その内側に秘めているようだった。  指先が奥の弱い所に触れただけで、ひなの脚がびくびくと痙攣する。  晃平、と、俺の前でだけする甘く掠れた声で囁かれると、自分の名前が何か砂糖菓子の名前みたいに聞こえる。  いつでも素直に俺を受け入れてくれるひなに、目が眩むほどのいとおしさを感じる。と、同時に、今自分を動かしている衝動のうちに、ひなへの想いとは別のものが混ざっている事に嫌悪する。  ―――独占している今を、見せつけたい。  そこにいるのが誰だろうと、たった今ひなを愛し、独占しているのは、この世で俺一人だと。  <…まるでバカな王子様だ>  我侭しか言わない、甘やかされることに慣れた、いつまでも尻の青い王子。  白馬に乗って颯爽と姫を迎えに来るような、そんな男らしい王子ではない。   <…だけど>  遠慮するくらいなら、まだ高校生のひなに初めから結婚など申し込んでいない。
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