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2-4 シンデレラの靴(2)
「あら、また来てるわ」
古文教諭の里見先生が、窓の外を見てそんなことを言い、俺の隣りの席に座った。
放課後の職員室は、あれこれと用事のある生徒が入り乱れてそれなりに騒がしい。そんな中、この50代の里見女史は、のんびりとお茶など啜っている。
「? なにがですか」
高級緑茶が似合いそうな備前焼の湯呑みを机に置いて、ゆっくりと先生が振り向く。
「うん? ああ、車よ、車」
「車?」
「生徒の迎えに来る車は多いけど、それにしても、保護者が乗ってるようには見えない車でねぇ」
どんな車だろうと思って、何気なく窓の外を見やる。校門の前の道路脇に、黒いキャデラックが一台止まっていた。都会的だがジープのようなごつめの車体には、見覚えがある。
<―――あれ、まさか>
三日前、屋敷の玄関で見たあの車じゃないか。
「…昨日も来てたんですか」
「来てたわよ。その前の日も来てたわねぇ。一体誰を待ってるんだか。目立ってしょうがないでしょうに」
まぁ暴走族みたいな車じゃないだけいいけどねぇ、と言って、里見女史は本を開く。もうこのことについて話をする気はないらしい。だが俺は。
<ちょっと待てよ>
麻生が来てる、ということはつまり、ひなに会いに来たということだ。
そして、ひなをあの車に乗せ、どこかへドライブがてら屋敷へと帰っていく。迎えだと言えばひなだって断る理由は見つからないだろう。それにいいかどうか聞く前に、既にもうここまで来てしまっているのだから。
<……落ち着け、俺>
ひなを泣かせた子供な自分を反省したばかりじゃないか。
<…落ち着くんだよ、おい>
こんな暗示を自分にかけなければいけない自分に、どこまで子供なのかとうんざりする。
翌日の土曜日、よくなったというのに中々ひなを帰そうとしない千造さんのお見舞いに行った。
ひなはと言うと、すっかりおじいちゃん子に元通りで、俺にする以上に千造さんの腕にべったりだ。
<帰ってくる気はないのか>
なんて、そんな姿を見て聞けるわけがない。
ひとしきりひなと千造さんの3人で話をした後、トイレと言って部屋を出、そのまま庭を歩いた。妙に疲れが溜まっているのはなぜだ。
煙草を吸う人間だったら、きっと今頃一箱はカラにしているに違いない。
一応ひなを連れ戻しに来たつもりだったが、荷物の用意をする気配もないひなを見て、少し淋しかった。もしかして本当に今日、帰るつもりはないのだろうかひなは。
あの男のそばに置いておくのは、もう限界なのだが。
「今日晩ご飯は食べて帰るのか?」
一番会いたくない人間が、屋敷の玄関から出てきて声をかけた。
「…いえ。そのつもりはありませんけど」
「そう。―――ひなの奴、料理の腕はなかなかだな。まだ修行中って言ってるけど、もう立派な主婦じゃないか」
こいつもひなの手料理を食べたのか。
<“奴”って言うな、お前の女じゃない>
神経を逆撫でるポイントが、この男には多すぎる。
「―――毎日、学校まで来てるそうですね」
その時、麻生の瞳に好戦的な光が閃いた。俺は敢えて、それに気付かない振りをした。
「こっちに帰ると暇でね。目立つから来るなって言われるけど、やめられないんだな」
ひなが言ってもやめないのなら、俺が言ったらどうだろうか。
それこそ、この男の思う壺のような気がして口に出せない。
だが共通の話題と言えばひなのことしかないのだ。俺が黙っていても、麻生は勝手に喋りだす。
「こないだはちょっと過激なものを目撃してしまったなぁ」
四日前の、俺がひなに会いに屋敷に行った時のことだ。
ガレージの前で俺に愛撫されるひなを門のそばから見つめていたのは、この男だった。
さすがに他人に本番を見られるのは不愉快なので泣く泣く寸前でやめたのだが、それでもこの男は途中で立ち去る様子もなく、俺たちが離れるまでしつこく見ていた。
それで確信した。
この男は、ひなを、『姪』として見ていない。
「…あれが過激ですか」
麻生の右頬が、ぴく、と引きつった。
「―――君、相当神経図太いね」
ここはとりあえず、褒め言葉として受け取っておくことにする。
「そうでしょうか」
軽く流した俺に、麻生がいまいましそうに奥歯を噛み締め、そしてゆっくりと深く吐息したのを見てから、麻生から目を逸らした。
「血が繋がってないんだよ。俺たち」
何のことかと思ったが、すぐに思い当たり、そして驚いて麻生を振り返る。
「俺、後妻の連れ子なの。だから姉貴とも血は繋がってないし、もちろんその娘のひなとも繋がってない」
ひなの祖母に関しては、既に他界しているせいかほとんど事情を知らなかった。再婚をしていた、ということは知っていたが、まさか。
嫌な予感は、嫌な確信へと変わる。
「…それで、あなたは一体、何がしたいと?」
麻生の瞳の奥が、獲物を狙う鷹のように光った。
「もちろん、かわいいシンデレラにガラスの靴を履かせたいんだよ」
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