1-2 宝探し

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1-2 宝探し

 金曜日の夕暮れ。  あたしはおじいちゃんの屋敷へ向かう途中、道端に沿うように生えている小さな草を見つけた。  今日はおじいちゃんの屋敷に久しぶりに泊まることになっている。別に泊まることに理由はないのだが、お母さんから聞く限り、まだ17歳の孫を他所の男に取られて寂しい思いをしているという。  あたしだっておじいちゃん子だったし、寂しいと言えば寂しい。だからこうしてたまに屋敷に泊まっていったりすることにしているのだ。  このあたりは市街地と比べて緑が多い。道も狭い。なのに立ち並ぶ家は大きい。  その一角に、裏に山を所有する屋敷が建っている。そこがあたしのおじいちゃんの屋敷だった。 「おお、よう来たな。ひな。今日は制服のままか」  おじいちゃんは縁側であめ色のイスに座って、一人で将棋をしていた。  あたしを見て、にこにこと目尻にしわを寄せる。おじいちゃんの笑顔を見ると、あたしはいつも胸が暖かくなる。あたしはお母さんにもお父さんにも感じない、絶対的な信頼感をおじいちゃんに対して持っている。なんでもおじいちゃんには話してしまうのだ。 「うん。学校からそのまま寄ってきた。おじいちゃん一人で暇そうだね」  卓の向かいのイスに座ると、おじいちゃんが手を伸ばしてあたしの頭を撫でた。 「そうじゃの。老人なんてこんなものよ。晃平は相変わらず忙しくしてるのかい」 「忙しそうだよ。まだ新米教師だしね、アレでも。おじいちゃん将棋の相手してほしかったんなら残念だね」  晃平はあたしが小学校に上がると同時に隣に引っ越してきた。  屋敷でいたずらばっかりしていたあたしの世話役として、おじいちゃんが晃平にあたしの遊び相手になってくれと頼んだのが、晃平との出会いだった。以来、晃平の人当たりのいい性格を気に入って、もしかしたら実の孫よりも気に入っているのかもしれないと思うほど、晃平をかわいがってきた。 「なに。今日はひなが相手してくれるんだろう」 「あたし将棋できないもーん」  舌をだしながら、卓にさっき摘んできた1本のシロツメクサを置いた。おじいちゃんが、少しびっくりしたように目を見開いたが、すぐ柔和な表情を浮かべる。 「なつかしいものを摘んできたな。こんな時期に生えているもんなのか。なんでまた」  小さな緑の三つ葉は、摘んでからちょっとしか経っていないのに、もうふにゃふにゃになっていた。 「昔これよく探しに行ってたよな、と思って」  もちろん、あたしが思ったことはそれだけじゃない。  この花は、あたしにとって一番思い出の深い花。  ―――おとなりさんの、ひなちゃん?  あれは中学校に入ったばかりの頃だっただろうか。  あたしが12歳で、晃平が20歳。  大好きな晃平おにいちゃんが、あたしだけのものではないのだと知ったあの日。  ―――そう。今年13歳で、今中1。  あたしをその見知らぬ女に紹介した晃平の言葉は、冷たい血液となって体中をじんわりと冷やした。  ―――かわいいのねぇ。学校楽しい?  あのあたしを子供扱いしただけでなくどこか小ばかにしたような口調も、幼くて鈍感だったあたしの心に、自覚するほどの痛みを伴ってトゲが刺さった。  晃平が恋人を家まで連れてきたのは、それが初めてだった。その恋人が一人目じゃないことも、そのとき知った。家では優しくて頼りがいがあって、信頼できるお兄ちゃんなのに、恋人の女を連れているときの晃平は、認めたくない余りか別人のように見えて仕方なかった。  ―――…たのしいよ。  ようやく答えたあたしに、その当時の恋人は、それは優越感に浸りきった微笑で答えた。  いやだ。いやだ。  心の中で、壊れたオーディオのように繰り返しその3文字を唱える。  決して口には出せないその、3文字。  …いやだ。  どうその言葉を現せばいいのかわからなくて、あたしは逃げを選んだ。黙り込み、気付かれないように屋敷から出た。行く場所もなくて、どこに行く気にもなれなくて、なんとなく裏庭に面している山に登った。  地面には土が隠れるほどぎっしりとシロツメクサがその三つ葉を広げていて、でもあたしはおかまいなしにその上をふんずけて歩いた。  そっか。そうなんだ。…当たり前だよね。  何に対して納得しようとしているのか、それすらもわからないまま。  頂上近くの大きな桜の木の根元に座り込んで、頭の中が真っ白になるまでじっとそうしていた。それがあたしが晃平を男として意識した最初だった。  いつ家に戻ったらいいのかわからなくて、帰ってもまだあの女がいるかもしれない、と思ったらどうしてもそこから下りる気になれなかった。桜の木の下からは、屋敷の瓦がよく見える。  どれくらい時間が経ったのか。自分では、ほんの30分か1時間の感覚だった。だけど、晃平が慌ててあたしを探しにきたときは、それ以上そこにいたのだと気付いた。実際、2時間はいたらしい。  ―――なにやってんだよ、こんなとこで。  恋人がいるのに、探しに来てくれた晃平が、心の底から愛しいと思った。  どうしてあたしだけのものじゃないんだろう。どうしてそれが、当たり前のことなんだろう。  背伸びしたって全然敵わない綺麗な女のひと。  まるで真っ赤なバラと、シロツメクサ。引き立て役にもなれない、コドモ。  ―――四つ葉のクローバー。探してたの。  見え透いた嘘をついた。  本当のことなど言えるわけがなかった。言いたくもなかった。だけど上手く嘘を吐くという事が、子供のあたしには出来なかったのだ。  ―――なんだよ、それ。散々探させといて…。  安心してその場に膝を折りかける晃平に、あたしは返した。  ―――別に、探してほしいなんて言ってないもん。  晃平の非難めいた瞳が、容赦なくあたしを射抜く。  ―――…なんだよ、それ。  そうしてさっきと同じ事を、言った。  晃平は何も言わず、呆れてそのまま山を下りていった。  なんの躊躇も余韻もなく遠ざかる背中を見ながら、もう二度と晃平と会いたくないと思った。  だけど、晃平はしばらくするとまた戻ってきた。  ―――ほら。クローバー。  手に、四つ葉のクローバーを持っていた。  あたしは、思わず反応するのも忘れて、しばしぽかんとした。  ―――探すの苦労したんだぞ。あの辺全部クローバーだからどれだけ難しいか、わかってんのか。  晃平は、あたしが山を登った時、気分まかせに踏み散らしたクローバーの群れから、たった一つの四つ葉を探してきてくれたのだった。  ―――コウにいちゃん…。  ―――…なかったらどうしようか、って。…本気で心配したんだぞ。  晃平の言葉は、四つ葉に対して言ったものか、それとも。  その先の思考を奪うような視線に、あたしは言葉を失った。  見たことのない、瞳の色。  ―――…帰ろう。  差し出された手を、握り返す。びっくりするほど大きな手に、また心が震えた。  大きな手が大事そうに包むクローバーが、小さい頃宝物箱に入れていたおもちゃのように見えた。  一番大事な宝物。  クローバーも、それを包む手も、あたしの手を握る手も。  あたしだけのものじゃなくてもいいから、あたしがもしまたいなくなったら探しに来て欲しい。  たくさんの三つ葉のなかから四つ葉を見つけるように。  晃平の目に、あたし一人が他とは違うものに映ってほしい。  ―――…ごめんね。  俯いたまま言うと、晃平は小さく笑った。  ―――ごめんねじゃなくて、ありがとう、だろ。  <…どうしてあたしだけのものじゃなくてもいいなんて、思ったんだろう>  一人将棋に再び夢中になったおじいちゃんの真正面で、シロツメクサを見つめながら思う。  白くて小さくて、だけど足元でさりげなく咲いて枯れるには、少しだけ物足りない花。  12歳の自分は、もうどこにもいない。  自分の存在に気付いてくれるだけでいい、なんて思っている自分は。  それだけじゃ足りない。自分の存在しか見て欲しくない。自分だけを見ていて欲しい。大人になるということは、欲張りになるということだとあたしは思う。そして代わりに、余裕をだんだん失っていく。  ―――一緒に暮らそうか。  晃平は、もしかしたら失敗したかもしれない。あの頃の少女はもうあたしの中にはいない。  底なしの願望は文字通り終わりを知らなくて、こうしている間にも気持ちは晃平を束縛する。  <…絶対、誰にも渡さない>  ぼんやりしている時でさえこんなことを思う欲深い女があたしの中にいることを、晃平は知っているだろうか。  ハートの形をした三つ葉を、あの日晃平がそうしたように、掌で包んだ。
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