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しばらくしてから両手に大き目の紙コップを持ったひなが、向こうから歩いてきた。
笑顔を作ろうとして、俺は顔を固まらせた。
<おい………>
胸のうちで低く呟きながらポーカーフェイスを作る。
ひなの両脇に、色落ちジーンズを腰履きした大学生らしき男が二人いる。二人とも馴れ馴れしそうにひなに話しかけ、しきりに何かに誘っている。
ばかか、と思う。ひなが紙コップを二つ持っている時点で気付けばいいものを。
ひなは俺のそばには近付いてこようとしなかった。絡まれているのを見られたくなかったか。俺が気付いていることも、気付いていないようだ。
<…さて。どうしたもんか>
ここで出しゃばればナンパ男たちはすぐ引き下がるだろう。だけど、その後ひなが俺に気を遣って気まずくなるのも目に見えている。
<…そんなこと言ってる場合か>
ごちゃごちゃと考えてしまった自分に突っ込みを入れると、シートから立ち上がりかける。と。
「ただのお兄ちゃんでしょ? 恋人には見えないって。年上すぎじゃん」
<………。ああ。なるほど>
不意に届いた男の言葉に、ひながここへ戻って来れない理由が大体わかった。
<ふーん。そう>
心の中で呟いてから、俺はシートに座りなおした。あえて、助けるのはやめた。
「―――お待たせ、晃平」
しばらく経ってから、ひなの声とともに顔の横に紙コップが差し出された。
「…ありがと」
振り向いてコップを受け取りながら、ひなの顔を見上げる。案の定どこか疲れている。
氷の溶けかかったアイスティーを飲みながら、俺はひなの背後をちらりと見やる。これも案の定、様子を伺っている先ほどの二人組が目に入った。
<…まだ疑ってるのかよ、あの二人>
ひなのそばにいる自分に優越感を覚え、少し…余裕をなくす。
「…ひな」
「…うん? な、に?」
俺の声がいつもより低かったのに気付いて、ひながぎくりとこちらを見た。そんなひなにはお構いなしで、手から紙コップを取り上げ、シートの上に置く。意味がわからない、という顔をしたひなに近付くと、その唇を自分のそれで塞いだ。
「! んっ、―――!」
咄嗟に手を突っ張ったひなの両手を握り返して重心を軽くかけると、簡単にひなはシートに倒れこんでしまう。
一瞬離れてしまった唇を追って、またキスをする。
爽やかなキスではない。
ベッドの中でするような、思いっきり濡れた音のする濃厚なキスを。
「…っ、ん、…ふ、っ」
抵抗していたひなの両手両足から、段々力が抜けてくる。途中で俺の意図に気付いたのかもしれない。顔を赤くして目をぎゅっとつぶる。俺のシャツの袖を握る手が震えていた。
辺りには家族連れが何組ものんびりと弁当を広げている。すぐそばの小道を通りすがる人々もいる。
それが何だというんだろう。見たい奴は見ればいい。
<…何が子供が欲しいだ>
自分がこんなに子供では、どうやって立派な父親になるというのだ。
息もつけぬほど荒々しいキスに、ひなが鼻に抜ける声を漏らしたのに我に返った。
<…やべぇ>
ちょっとナンパ男に見せ付けてやろうと思っただけなのに、下半身が反応してしまった。
咄嗟に唇を離すと、糸が伝った。それに気付いたひなが慌てて唇を拭う。
「…。………」
何か言おうとして唇を開くのだが、ひなはそのまま押し黙ってしまう。俯いたまま。
「…今“大バカ”って思ったでしょ」
そう聞くと、ひなは思いっきり俺の腕を平手打ちした。顔を覗き込むと、目元を真っ赤に染めて俺を睨みつけていた。
「…もういい、ばか」
涙声になって悪態つくひなが、ぞくりとするほどかわいい。
「ごめんな」
謝ると、ひなは首を横に振った。周囲の視線が気になるのか、一向に顔を上げようとしない。もしくは許せなくて俺の顔を見たくないのか。
「もういいから、…家に帰りたい」
「…うん。ごめん」
だから違う、とひなが呟く。どういうことかわからなくて首をかしげると、さっきより拗ねた声で言った。
「…なんとかしてよ」
媚びるような響きに気付いて、俺は眩暈を覚えた。
―――“火照った体を、なんとかしてよ”。
<ああ。もう。…ガキでもいいかな、この際>
「…ごめん、ひな」
全く余裕のなくなった俺は、ただ謝るので精一杯。
お母さんウィンナー! という元気のいい声が背後で聞こえて後ろを向くと、隣の木の下で弁当を広げていた家族のうち父親と母親らしき二人が、ぽかんとしてこちらを見ていた。
<…やっぱりしくったな…>
余裕がない時に企む策略ほど無謀なものはない。
それから家に帰って、俺がひなに散々罵倒されたのは言うまでもない。
だけどその直後、抱きついてきたひなの体が驚くほど濡れていたのは、ここだけの秘密。
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