1-3 あやかし

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1-3 あやかし

 答案用紙まで遊びの道具にしてしまう天宮先生に、あたしはしみじみしてしまう。  この人はやっぱり策略家なんだなぁ―――と。  76点。  と、そっけなく書かれた横に、“今日6時、○○駅”と書いてある。  <…びっくりした>  戻ってきても嬉しくない答案を見つつ、心臓がバクバクいうのを必死で抑える。 「平均点は68点。前回よりちょっと落ちてるぞ」  教壇では、答案を全て返し終わった天宮先生が今回のテストについてコメントをしている。間延びした反応を返す生徒を、ほぼ素通りしながら解答解説を始めた。  <…メールにすりゃいいのに>  わざわざ答案なんて煩わしいものを介するのは、あたしがそれを見た時に驚く反応が見たいからだ。  そしてその不意打ちがあたしを喜ばすことも、先生は知ってて。  <…なんにもないのかと思った>  力を入れていないとすぐ緩む口を、答案で隠す。下を向いて解説を続ける先生を見つめた。  今日は6月20日。  あたしの誕生日だ。  目の前に出された薄ピンクの紙袋を見て、あたしは目をぱちくりさせた。 「バースデープレゼント」  正面に座る晃平が、にっこり笑ってそう言った。  青山の大通りから外れた、小さなレストラン。人の良さそうなシェフと、物静かなウェイターが二人。店内は落ち着いていて、居心地がいい。 「―――えっ? …って、用意してくれてたの!?」  お礼を言うより先に、そっちの言葉が口をついて出た。 「実はしてました。驚かせた方が面白いかなと思って」  どーぞ、と差し出されて、あたしはそれを受け取る。A4よりちょっと大き目の袋。 「ありがとう…すごい、嬉しい」  最近、学校がテストなどで忙しそうだったから、当然あたしの誕生日は家で、なのかと思っていた。どこかへ食べに行くにしても、週末とか。だから平日のこんな忙しい日に夕方から空けてくれた事に感動していたのに、それだけでなくプレゼントも実は買ってくれていたという。一緒に住んでいて、全然気付かなかった。  <う…やば>  涙が出そうだ。  晃平の瞳は、いつにもまして優しい。  その瞳を見つめ返すのが困難になって、あたしは顔を逸らした。 「な、中見ていい?」 「いいよ。たぶん、気に入ってもらえるとは思ってるけど」  プレゼントは、アイスピンクのワンピースだった。生地がシフォンで、さらさらとして着心地のよさそうな。  しかも、いつも美波達と“ここはワンピースがかわいいよね~”と言っていたブランドの服だ。 「ありがと…すっごい嬉しい」  さっきより、口調を強めて言う。お礼の言葉がこれしか思いつかない自分がもどかしかった。  そして、ここが店じゃなかったら抱きついているところだ。 「ん。気に入ってくれてよかった。今度はそれでデートしような」  うん、と大きく頷かせたあたしを見て、晃平は満足そうににこにこ笑った。  <…ああ、あたしって…>  モノで釣られるつもりはないのだが、やっぱり思う。幸せだなぁって。  晃平はオトナで、スマートだ。あたしが喜ぶコツを完璧に心得ている。ましてやこんな自分の誕生日に、こんな素敵なプレゼントなんてもらってしまったら、ますますあたしは晃平にメロメロになるわけであって。 「…ねぇ、そろそろ帰ろっか」  残りの少なくなった水を飲む晃平に、ぽそりと呟く。 「え? もう?」  デザートも食べて終わった後だったが、席を立つにはまだ少し早い頃。 「………ん」  こつん、と、つま先で晃平の靴をノックした。それに気付いた晃平は、少し驚いた顔をしたがすぐにいつもの微笑を浮かべた。あたしの言いたいことに気付いたようだ。 「…じゃあ、帰りましょうか、奥様?」  <あー…ダメ>  今すぐくっつきたい。くっついて抱きしめられたい。抱きしめたい。  <車までもつかな>  そんなことを考えながら、席を立った時だ。 「―――晃平?」  晃平のことを名前で呼び捨てするのが女だった場合、平常心を保てた経験がない。  <…。ヤな予感>  振り向いて奥の席を見ると、20代半ばくらいの女の人がこちらを向いて立っていた。 「………萩原」  イスに座ったままだった晃平が、棒読みで名前を呼んだ。 「やっだ、晃平じゃないの! 何してるのこんなところで?」  萩原、と呼ばれたその女の人は、あたしと晃平を見比べながらこちらの席へと歩いてきた。そばに立たれると、ふわりと香水のいい匂いがした。髪をくるくると巻いた、とても綺麗な女の人。 「何って、見ての通り」 「えぇ? まさか女子高生とデートですって? あんたいくつなのよぉ」  萩原さんは、晃平のテンションの低さも気にせずに明るく笑って返している。二人のやり取りを見ていて、すぐに気付いた。この勘は、この勘だけは外れたことがない。  <…元カノさんだ> 「あ、もしかして前言ってたひなちゃんかしら? こんばんは、萩原です。晃平とは大学が一緒でね」 「…あたしのこと知って?」 「ちょっとだけね。大学時代、年の離れた幼馴染みがいるんだって聞いてたから」  相変わらず犯罪チックね、と付け足されて、あたしは息を半瞬止めた。  <…予感、的中>  あたしだって晃平達と年が離れていようが、女だ。 「…。ひな、会計しておくから。先にトイレいって来い」  晃平は、あたしと萩原さんを一緒にいさせたくなかったらしい。  なんだか釈然としないまま、あたしは頷いた。  結局逃げるようにトイレに向かった自分が、情けない。  <あそこでガツーンって、言えたらな>  鏡に映る自分を見つめ、はぁ、とため息を吐く。  だけど、自分がまだ高校生だということを全身で主張する制服。萩原さんの黒いタイトスーツと並ぶと、もう何も言えなくなっていた。 「晃平いつ結婚したの?」  トイレに人が入ってきたかと思うと、なんと萩原さんだった。 「え…―――と」  <うわ、うわ、絶対なんか言われる!> 「実は会うの大学卒業して以来でね。ひなちゃんは、それまでもずっと仲よかったんでしょう?」  隣に立って、ポーチからリップとグロスを取り出す萩原さん。 「あ、…はい」 「びっくりだわ。まだ25でしょ? 絶対まだまだ遊んでると思ってたのに。そんなにいい女だったのかしら。学生時代遊んでた女達よりいい女って、いったいどんな美女なのかしらねぇ?」 「…………」  あたしはもう、ははは、と笑うしかない。  挙動不審に見えたか、萩原さんがこちらを見た。 「―――まさか、あなたじゃないわよね?」  その瞳は、冗談半分、本気半分。いや、非難も多少混じっている。あたしが萩原さんより晃平と仲がいいことに、八つ当たりされているような。 「あ、…はは。まさかぁ」  あたしだ、と言ってもよかった。萩原さんにとって“まさか”でも、そういう可能性のうちの一人として数えられるところにはいるのだから。だけど、言えなかった。 「そうよね、冗談よ。…まさかねぇ、10近くも違う女子高生を本気で相手にするはずないものねぇ」  こう言われるのが、わかっていたから。 「二人に気付いたとき一瞬、えっ、って勘違いして引いたものね。どれだけロリコンなのって」  でもデートじゃなかったのね、と萩原さん。  <…言わなくて、よかったんだよね?>  もし相手はあたしだなんて言えば、晃平は萩原さんに、もしかしたら学生時代の知り合いにまで、今萩原さんが言ったようなことを思われるかもしれなかった。今は冗談で言ってるけど、今度は本気で。  <そんなのつらいよね…?>  あたしがここで黙っていれば、晃平は嫌な気分にならなくて済む。  大丈夫、この人とはこれっきりだ。今だけの嘘なら、ちゃんと吐き通せる。  <…ほんとに、今だけだけど>  出来るならもう今すぐにでもあたしの視界から消えてほしい。  テーブルに戻ると、晃平はすでに会計を済ませて車のキーを持っていた。 「お待たせ」 「…おまえら、話してたのか?」  あたしの隣に、当然のように並んでいる萩原さんを見て、晃平が言う。 「ええ、ちょっとだけね。―――ねぇ晃平、ひなちゃんかわいいのねぇ。あたしもう少しお話したいから、一緒に帰ってもいいかしら?」  ぎょっとして萩原さんを見た。 「は? おまえ、何言って」 「あら、いいじゃない。どうせもう帰るだけなんでしょう? 高校生はおうちで勉強しなくちゃね」 「だったら話なんてする暇はないだろうが」 「だからー、車であたしも送って行ってってば」  あたしは萩原さんを凝視してしまった。あたしと話がしたいなんて見え透いた嘘だ。晃平ともっと一緒にいたいだけなのだと思う。 「いいわよね、ひなちゃん? あたしもっとひなちゃんから見た晃平のお話聞きたいな」  にっこりと笑いかけられて。それがあまりにも拒否できない圧力みたいな笑顔だったから、あたしも気がつけば拒否できずにいた。 「…ひな」  晃平が心配そうに呼びかけてきて、我に返った。 「あ、うん。あたしは…いいよ」  そして心にも思ってないことが、口から飛び出た。 「…おまえ、本当によかったのか?」  車のボンネットに腰掛けながら、タバコに火をつける晃平。  駐車場は店の地下にあって、人気は全くない。もともと小さい店だから、駐車場自体も小さかった。 「よかったのかって…、だって断る理由がわからないんだもん」  萩原さんは、一緒に来ていた同僚に話しつけてくるから、と店にまだ残っている。5分待ってと言われたが、出てくる気配はまだない。 「…。遅い。このまま帰ったろか」  あたしよりも晃平がイライラしている。  <…うん。もう帰ろうよ。帰って早くくっつきたいよ。…今すぐにだって触れたいのに…> 「…ごめんな。なんでこう、いつもひなを困らせてるんだろうな、俺」  明らかに口数の少ないあたしを心配して、晃平が顔をかしげてきた。 「ううん。それは、もうしょうがないよ。…それだけ晃平がいい男ってことなんでしょ」 「…。お前のいい男の定義、どうにか変えてやらないとな」  別れた女に追いかけられる男がいい男だなんて。  <…わかってるよ。晃平はいい男だけど、悪い男でもあるんだよね>  晃平のスーツの上着に触れかけて、手を引っ込める。  萩原さんが戻ってきたとき、くっついているところを見られたくない。また息苦しくなる視線を受けたくない。  でも萩原さんに見せ付けてやりたい気もする。晃平はあたしのもの、あたしだけのものなんだと。  あたしの様子がおかしいことに晃平が気付いた。 「―――お前、萩原になんか言われただろ?」 「…え? …ううん、別になにも?」 「嘘つけ。あいつがどれだけプライド高いか、それなりに知ってるつもりだよ。お前がショック受けそうなことを、平気で言う女だぞ」 「…よく知ってるね。萩原さんのこと。さすが元カレさんだね」 「話逸らすなって。何言われた?」 「何も言われてないってば。晃平気にしすぎ…―――っ?!」  一瞬目の前が暗くなったかと思うと、次の瞬間後ろのボンネットに体を押し付けられていた。  すぐ上に、晃平の顔がある。照明も少ない上に逆光で、顔がよく見えない。 「ちょっと、晃平!? なにし」  更に驚いたのは、晃平の手がスカートの下から入ってきたことだ。 「―――!? ちょっと晃、平…っ」  あっという間に下着の中に指を入れられ、抵抗する手の力も半減してしまう。腕をそれ以上体の奥に来させないように突っ張るので精一杯だ。 「言うまでやめない」  首筋に噛み付かれて、引きつった声が出る。  二人の体重にボンネットが、ぼこ、と小さく軋んだ。  <ちょっと…っ、ここがどこだかわかってんのこの男は―――!> 「あ、あぁ…っ! や、うそ、~~~晃平っ…!」  もう片方の手が、乱暴に胸を鷲掴んだ。制服の上からだったのでそれほど刺激もないけど、余りにも乱暴なので驚いて抵抗の力もあまり入らない。こんな晃平見たことない。 「ん、んん―――…っ、ふぁ、あ」  噛み付くようなキスに、眩暈がする。  指が、とうとう体の中に入ってきた。乾いた指が、あたしのそこをなぞって滑るのがわかった。いとも簡単に受け入れてしまう自分のそこが、抵抗など知らぬとばかりに、晃平の長い指を思う存分くわえ込む。心の中では抗っていても、体は晃平の感触に、愛撫に素直に反応する。強引にかき回されるほど、体は濡れて手に負えなくなって。 「…―――言えって…っ」  もうやめるつもりもないくせに。 「あぁ―――…っ! あ、あ、ん、…っ!」  一気に貫かれて、堪えきれずに喘いだ。喘ぐというより叫ぶに近い。きつい眩暈に、前後不覚になる。  晃平の腰が、深くあたしの体に沈んでは、引いていく。繰り返し。  わかっているのか。ここがどこか。  ボンネットだよ? レストランの駐車場だよ?   四六時中どこでもあたしはこの人に独占されているのだという束縛感に、目がくらむ。  甘くて危険で、依存せずにはいられない彼の独占欲。 「…―――自分はただの幼馴染みだって」  嵐のような波が去って、息を整えながら晃平が呟いた。  静まり返る駐車場に、二人の荒い吐息だけが聞こえている。 「…俺の結婚相手じゃないって。…嘘吐いたんだろ? 俺が萩原に変な目で見られるかもしれないって」 「…………」  晃平が体の奥から抜き去られる感触に、ぶる、と震えた。 「…なんで?」 「…………」 「なんでそんなに優しいんだよ…」 「…晃平」 「俺なら。世界中に向かって大声だって宣言してしまいたいのに。本当は、ひなの隣の席に座ってる生徒にだって正面きって言ってやりたい。どういう顔されても」  自分たちが普通の夫婦じゃないことは、お互いよくわかっているけれど。  それでも叫ばずにはいられない。この人は自分のものなのだと。  誰に、どんな目で見られてもいいから。  でも晃平が変な目で見られるのはいやだ。  <…矛盾、だらけ>  傷付けたくないけど、結局あたしは晃平を傷つけてしまった。 「…ごめんね。ごめんね…」  抜け殻のような瞳をした晃平を、両手で抱きしめる。 「…もういいよ。萩原には俺の妻はひなだって、言うから。いいよな?」  晃平の声が優しくて、愛しい。  周りの目なんかどうでもいい。晃平だけが悲しまないでくれたら、それでいいんだ。 「…だいすき…」  頷く代わりに、そう呟く。あたしの声を聞きとめて、晃平が小さく笑った。 「よしよし。―――ったくおまえは変なところで底抜けに健気なんだからな」  <健気なんじゃない…>  自分の抱える独占欲と、現実にある勇気とが、比例していないだけ。  臆病なくせに、独占欲だけ強くて。  ただ、どうしたらいいかわからないだけ。  萩原さんはそれから5分ほどしてやってきた。  車の中で晃平がしたカミングアウトに、萩原さんはそれほど驚かなかった。  それがどうしてなのか、その時あたしは気付けなかった…。
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