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 社務所の窓を悲鳴が叩いた。社務所は神社本殿の脇にある平屋の建物である。  声がした境内裏へ行ってみると、  郵便配達の男がドブにはまっていた。 「何やってんだ、お前」 「いやあ、渡ろうとしたら、途中で板が割れちゃって」  ドブ川に渡してあった一枚板が折れて水に浸かっていた。 「腐ってるじゃねえかその板。よく足を乗せる気になったな」 「近道をしようとしたのですよ、これ、お届けです」  郵便配達は一通の封書を差し出すと、濡れたズボンのままベソをかいて去って行った。  封書の中身は、京阪文化財センターというところからの調査研究の協力依頼である。神社が管理している古墳を調べたいという。  ノブヤは顔をしかめた。御免こうむる、へたに協力して文化財などに登録されてしまったら、こっちの管理についてなんだかんだとうるさく言ってくるに決まっている。とんだ迷惑である。  電話してはっきり断ってやろう。  神社の前に女が立っていた。スーツを着た色白の、賢そうな女だ。  いやな予感がした。 「京阪文化財センターの平田翔子と申します。調査のご協力をお願いした手紙は届いていますでしょうか」 「いま、配達されたよ」  こっちが断る前に先手を打たれた。来てほしくない客は、たいてい勝手にやってくるものだ。 「残念だがお断りする。きみたちのところは県立の地方の研究機関だろ。ここの古墳は文化庁の所管だから、おれの一存で見せるわけにいかないのだ」  じっさいはそんなこともないのだが、建前論で言い込めようとした。  手を振って社務所に入ろうとした。  しかし、女はノブヤの後を追って食い下がった。 「おっしゃるとおりですわ。文化庁の許可を取らなくてはならないでしょう。でもそれだと、何年先になるかわかりません。わたし、古代の死者の埋葬がどういうものだったのか、とても興味があるのです」  大げさな身振りで言い立てた。そして、研究者としての好奇心をどうしても抑えられないと訴えた。 「一目でいいのです。もし、中を見せていただけたら、個人的にお礼をさせていただいても」  女は白い歯をみせて笑った。  ノブヤはつくづくと女を見た。  二十代の後半くらいだろう、額の広い、整った顔の美人である。大きな瞳が熱意にうるんでいる。 「そんなに見たいかい。貴人の遺骨を納めてあるというだけの、ただの石窟だよ」 「ええ、どうしても」  バイクに乗せていけば、むじな山の古墳まで二十五分である。  女のしつこさに負けたわけではなかった。ただ、ここまで古墳を見たがるこの女に、もし深い理由があるなら、無下に追い返すのはかわいそうな気がしたのだ。  神社が管理しているこの古墳は、六世紀の古墳時代後期、欽明天皇の頃に造られた四角い方墳である。金網を巡らせてあり、一般の立ち入りは禁止だ。  ノブヤは鍵束から鍵を選んで金網の南京錠を開けた。  上は雑草で覆われているが、古墳の天井は大きな一枚岩である。重しは死者が地上へ蘇るのを封じるためであるから、岩の大きさからして、ここに葬られた者はよほど恐れられていたようだ。 「大王家に仕えていた占い師だという研究がありますよね」 「よく調べてあるな。在野の歴史家の説では、物部氏の祭祀を司っていた一族の者だということだが、本当のところはわからない」  横に付いた二重の鉄の扉を開けると、這って進めるくらいの大きさ通路が口を開けた。  途中まで行って、ノブヤは懐中電灯を点けた。 「向こうに見える四角いのが埋葬者の石棺だ」 「上に何か乗っていますね、副葬品?」 「埴輪と皿鉢などの土器、それから鏡だ」 「盗掘されたことがないというのは、本当だったのですね!」 「過去に盗掘が試みられた形跡はあるのだが、ふしぎに中の物は持ち去られていない」 「もういいだろう、帰るぞ」  ノブヤは前進を止めた。だが、女は従わなかった。 「味見だけさせて、食べさせないのはひどいじゃありませんか」  後ろをついてきた女は、ノブヤのの横をすり抜けて前へ出た。    石棺に近づくと、壁に蛇が巻き付いた亀が描かれているのが見えてきた。四神の玄武だ。  高松塚古墳にあるものと同じである。これは埋葬者の地位が高かった証拠である。  ならば、そこにある兵士を象った埴輪も鏡も、きっと学問上の価値がある物にちがいない。  女が身震いしたのがわかった。  が、そこから先は行き止まりだった。石棺との間の床石に、幅一メートルくらいの深い割れ目が走っているのだ。 「底がわからないくらい深いから気を付けろ」 「大きな地震があって地面が割れたのかしら」 「さあな」 「この古墳から物が持ち出されず、副葬品がそのまま残っている理由は、どうやらその地割れのせいらしいのだが、詳しくはわからない」  突然、ノブヤは頭に強い衝撃を受けて気を失った。白目を剥いて地面に倒れ伏した。 「案内してくれてありがとう」  女が笑って、手ににぎっていた石を落とした。  石棺の副葬品へ向き直った女の顔つきは、それまでとまるでちがっていた。研究職らしいきまじめな表情をしていたのが、舌なめずりする獣のように変わった。  目の前に千四百年前の、手付かずの考古学資料がある。持ち帰れば大手柄である。センターは実績を上げ、県からの予算を削られなくて済む。センター長は大喜びしてくれるだろう。  女はのびているノブヤへちらりと目をやった。 「学問上の宝物を、無知な田舎者が隠しておいていいはずはないのよ。わたしがちゃんと調べてあげるから」  女は地面の割れ目に、近くにあった板を架け渡し、ハイヒールの足を置いた。  そのとき、地面の割れ目からどっと濃い闇が噴き上がった。闇は渦巻いて熱し、溶けた金属のように女を襲った。石棺の副葬品へのばそうとしていた手がたちまち熱気にはじかれた。  叫び声が上がり、尻もちをついた女から苦悶のうめき声がほとばしった。  這って逃げる女を闇は追い、背中と髪を焦がした。  ノブヤが気絶から目を覚ましたとき、女の姿はもうなかった。  古墳のなかを調べたがとくべつ異常はない。石棺も埴輪や鏡などの副葬品もそのままだ。  殴られた頭を押さえながら古墳を出ると、バイクが無くなっていた。  怒ったノブヤは、社務所に戻ると女の勤め先である京阪文化財センターに抗議の電話をかけた。  調査協力を依頼しておいて、バイクを盗んでいくなど失礼にもほどがある。しっかり釈明させなければならない。  が、逆にノブヤは猛烈な非難を受けた。当センターの研究員が火傷と精神的なショックで入院してしまった。どう責任を取るつもりか。そして、そちらで一体何があったのか、詳細な説明を求める。というのだ。  一方的な糾弾だが、女がけがをしたことは確かなようだし面倒なことになった。悪くすると過失傷害罪とかで訴えられかねない。  ノブヤはてきとうに、 『当古墳内において地中のメタンガスを塞いであった板が、貴センターの研究員の不注意によって外され、噴き出したガスに懐中電灯の火花が引火したのだ』  と、もっともらしいでたらめの報告書を作り、ファックスで送った。  それでも文句を言ってくるようなら、そもそも管轄外の調査を要請してきたことの非を責めるつもりである。  だいたい、詳細に説明しろと言われても無理である。あのとき女が何をしてどうなったかなんて、気絶させられていたからわかるはずがないのだ。  が、それでも。  ノブヤは古墳のなかから拾ってきて社務所の隅に立てかけてあった、半分黒焦げの木の板へ目をやった。  どうやら、あの女が何かの目的で、渡ってはいけない橋を、地割れの向こうへ掛けたらしいことはわかっていた。   おわり
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