14、優しい手の温もり

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14、優しい手の温もり

 文化祭の目玉だった三年の劇は、過去最高と言われるくらいの盛り上がりのまま幕を閉じた。  生徒達は口々にあれは伝説だと言い合ったらしい。  俺はまったく気が付かなかったが、台本の変更が俺に伝わらないように、細心の注意が払われていたらしい。  どうりで最後の方になったら、後はひとりで熟成させてくれと言われて練習に呼ばれなかった。  名目としては、ドリゼラの自然な演技を引き出すため、ということでみんな動いてくれていたようだ。  そして、龍崎こと王子がドリゼラに熱烈な愛の告白をするシーン。  こちらに関しては空白となっていて、本番までどうなるか分かりませんという話になっていた。  蓋を開けたら、まさか龍崎が俺に本気の告白をするというものだったのだが、理解できたのはほんのわずかなやつらだけで、後は観客含め、劇の関係者もああいう演技なんだと思っていたそうだ。  龍崎が俺にキスをしたことで、これは本気のやつなのではと関係者はみんな言葉を失ったらしい。  しかし、結果的に上手いこと劇の内容とマッチして、観客も盛り上がってくれたし、何よりその後の感動的なラストでみんな大泣きしたので、上手いこと丸く収まってくれた。 「言ったでしょう、アイツすごい焦ってるって。考えていることがあるから、監督に頼んで台本を変えてもらうって言い始めてさ。何がしたいのか詰め寄ったら、告白したいって……この人誰だっけって、本気で思っちゃった」 「比奈川がそう思うくらいだからな。龍崎が何しようとしているのか分からなくて、俺なんて頭が真っ白で半分気を失ってたよ」  舞台上に置かれた休憩スペースに座って、制服に戻った俺と比奈川は、今までのことをあれこれ話していた。  周りは片付けでバタバタしているが、段取りが決まっているので演者は手伝わなくていいと言われていて、邪魔にならないように小さくなっていた。  龍崎と和幸は、文化祭の閉会式的なイベントがあるので、一言挨拶をするのだと着替える間もなく忙しそうに出て行ってしまった。 「ちょっと前にね、増田くんから倉橋くんがオメガだって聞いてビックリしたよ。早く言ってくれれば、もっと前から仲良くなれたのに」 「いや、だって。俺と比奈川じゃ同じオメガでも違いすぎるし……。見た目はもちろんだけど……体質とかも……」 「僕はてっきり嫌われてるのかと思ってた。いつも目を合わせてくれないからさ」 「き、嫌ってなんか……」 「じゃ、これからもっと仲良くしてくれる?」 「う…うん、それはもちろん……」  正直、可愛すぎる比奈川と同じ空気を吸うだけで緊張してしまうところもあるが、仲良くしたいと言われて素直に嬉しかった。 「ありがとう! 倉橋くん、弟みたいで可愛くてたまらなかったんだよね。嬉しーー!」 「お、弟……うわっっ」  比奈川は俺の首にタックルしてくるみたいに飛びついてきた。  見た目以上に力のあるタイプらしい。  重すぎる衝撃に押し倒されて、やっぱり仲良くはやめようかなとチラッと頭によぎった。 「あーーーー! なんでそこ抱き合ってんだ! 買い出しに行かされて、帰ってきたら浮気とかやめてくれって!」  デカい声で情けない顔をして叫んでいるのは恭弥だった。飲み物や菓子が山になった箱をドカンと床に置いて、すぐにこちらに飛んで来た。 「あ、買ってきてくれたのね、ご苦労様。領収書はちゃんともらってきてくれた?」 「え!? ああ、うん、これ」 「……ここ、名前間違ってるし。これじゃ通らないよ。訂正印、もらってきて」  さすが生徒会会計の鬼と言われているだけある。  恭弥を買い出しに行かせて、しっかり領収書をチェックして足りないと言ってビシッと突き返していた。  尻に敷かれてそうだとは思ったが、敵にしたら一番怖いのはこの人かもしれない。  恭弥は肩を落としながら、とぼとぼとお店に戻って行った。 「お、すげー菓子、大量じゃん!」 「喉渇いたー!」 「打ち上げ始めようぜー!」  当然残された箱に群がった生徒達は待ってましたと机を出してきて、早速打ち上げの準備が始められた。 「……恭弥さん、せっかく買ってきてくれたのに、待たなくていいの?」 「いいの、いいの。アイツ、そーゆーの、気にするやつじゃないから」  二人の関係性を理解するには、俺にはまだ頭が足りないようだ。  みんながわらわら集まってきた頃、龍崎と和幸も戻ってきてお疲れ様会が始まった。  恭弥はカーテンコールに百本のバラの花を用意していて、それを比奈川に渡した。  二人のラブラブな様子に、比奈川の恋人は龍崎だと思い込んでいた生徒達は揃って大口を開けて驚いていた。  これで龍崎が俺に告白したのはやはり本気だったのかと一気に話が広がった。  俺としても、あの場では受け入れるとしたわけだが、龍崎の口から聞きたいことはいっぱいあったので、早く二人きりなりたかった。  しかし、ジュースで乾杯から始まって、演者から裏方まで全員集まっての大騒ぎ、いつも通り人気者の龍崎と比奈川の周りには、わっと人が集まって結局俺は押し出された。 「なかなか良かったよ。お前の演技。特に驚いてる感じとか自然で」 「それ……本気で言ってんのか、カズ」  こちらもいつも通りというか、和幸と二人で壁を背にしてしっぽり飲み食いを始めた。 「実はさ、俺。翔吾の運命の番は実誠じゃないかってずっと思っていたんだ」 「は? ええ!?」 「前にさ、翔吾が校内で探していた匂いと近いものを感じたらしくてさ、オメガの生徒を知らないかって聞かれたんだよ。その時俺は、知らないって答えた」 「えっ……なっ、なんで?」 「だって、二人が運命ならさ、俺が教えたらつまらないだろ。自分達の力で出会わないと運命とは呼べないってね」  いつもポーカーフェイスをきめこんでいる男が、珍しく悪戯っ子みたいな顔で笑った。  どうやらここにもロマンチストがいたらしい。俺もつられてそうだなと笑った。 「まっ、実誠を取られるのが嫌だってのもあった」 「は? ヒロコちゃんに夢中の男が何言ってんだよ」 「それはそうだけど、実誠のことも大切に思ってるんだぜ。親友だろ、俺達」 「和幸……」  和幸の口から親友なんて言葉を初めて聞いた。  小学校から何となく隣にいてくれたやつで、ダメダメな俺の世話係みたいな存在だった。  俺がオメガだっていうのも、信じていてくれたのは和幸だけだった。  男同士の友情なんて照れくさいけど、胸が熱くなってちょっと涙まで出てきてしまった。 「いー話、お兄さん、ちょっと感動しちゃったじゃん」 「うわっ! 恭弥さん!」  いつからいたのか、俺の隣でボロボロ泣いているのは龍崎の兄の恭弥だった。  青春でいいなぁと言いながら一人で缶ビールを開けていた。 「ちょっ、恭弥さん。ここ、学校ですよ」 「かたいこと言うなよ。これは大人の特権ってやつだ。そして俺は卒業生だし、大目に見てもらえる」  この人は本当に龍崎の兄なのか、自由人過ぎてどう反応していいか分からない。  俺も和幸も唖然としてしまった。やはり上手いこと手綱を操れるのは比奈川だけのようだ。 「んで、君が翔吾の運命の番だってのはマジな話なの?」  ヘラヘラしていたと思えば、急にキリッとした表情になって恭弥は顔を近づけてきた。  この人は龍崎の兄だったと思い直して、スッと息を吸い込んで姿勢を正した。 「はい、そうだと思います。……というか、そうだったらいいなぁ……と」 「うーん、翔吾の方はもう確信してる感じだが、君は反応が薄いなぁ」 「どういうこと……ですか?」 「ああ、俺、会社やってんのよ。バース性登録制のマッチングアプリで、バースマッチってやつ知らない?」  俺と和幸が顔を見合わせて首を振ると、ああ、二十歳以上からだったわと恭弥は舌を出して頭をかいた。  恭弥の話によると、バースマッチでは会員が遺伝子情報を登録して、コンピューターが相性のいい相手を選び出し、双方にマッチ完了の連絡をするというものらしい。  一時期海外を飛び回っていた時に思いついたものらしく、日本に戻ってきてからすぐ会社を立ち上げたそうだ。  今では年商ウン億円と聞いて、和幸と二人で大きな声を上げて驚いてしまった。 「というわけで、出会いの機会を作ってるとさ、ごくたまにあるわけよ。運命の番同士をマッチングしちゃうことが。その二人が会った時は、オメガの子は発情しちゃうし、アルファもヒートを起こして……まぁ、大変なことになるわけだけど、君の方はいたって冷静というか……」 「俺は発情が薄いオメガだから、ですかね。ああ、でも一度、龍崎が垂れ流していたフェロモンにあてられて、発情しかけたことは……」 「他は? 他のアルファはどうだ?」  他のアルファと聞いて俺は首を傾げた。  よく考えたら他のアルファの匂いを嗅いでも特に体調が変わったことなどない。  というか、他のアルファの匂いなんてまともに感じたことがないことに気がついた。 「あれ? し…知らないです。他のアルファの……匂いとか……」  濃いアルファの人間は、確かにこの学校に他にもいたはずだ。  だけど、いつも感じていたのは……龍崎の匂いだった気がする。 「……ちょっといいかな、倉橋くん」  何か思いついたのか、恭弥は俺の両肩に手を置いて真剣な目をして俺を見つめてきた。 「どうだ? 倉橋くん」 「え? 何が……ですか?」 「結構本格的なの出してるんだけどな……、そうか、君は……」  恭弥が何か言いかけた瞬間、龍崎と比奈川がいるはずの人集りの方からザワザワと声が上がって、波が引くようにサッと人が離れていった。  その中心から禍々しいオーラを放って、龍崎がこちらを見ながら立っていた。  事態に気づいた恭弥は俺の肩から手を離した。  離れていてもこっちまでビリビリと肌に刺さるものを感じた。  あれは確かアルファがめちゃめちゃ怒った時の…… 「おいおい……、すげー威嚇だな。ありゃ倒れるやついるぞ」  恭弥が言った通り、龍崎はこちらに向かって歩いてきたが、その度に逃げ遅れた生徒が体が痺れたようになってバタバタと倒れていった。 「……恭弥、何してんの? 勝手に人のものに触らないでくれないかな?」 「おーおー、弟よ。とりあえず落ち着こうぜ。周りには人がたくさんいるだろ」 「人? 関係ないね。それより、よくも俺の実誠に……」  仲が良いとも悪いとも言えない兄弟だと聞いていたのに、まさに一触即発の雰囲気に俺は震えた。ベータの和幸ですら、威嚇の効果で動けなくなってしまったらしく、壁に張り付いたまま青い顔をしていた。 「他のものはなんでもくれてやるよ。だけど実誠だけはだめだ。もし手を出そうなんて思っているなら……」 「龍崎、なんでそんなに怒ってるんだよ」  今にも殴りかかりそうな気配に焦った俺は、とにかくなぜ急に怒り出したのか、兄弟間の逆鱗なんて分からないが話し合いをさせようと考えた。 「………え?……実誠?」 「俺の肩に手を置いたからか? 肩くらい和幸だって別に触れることはあるだろう? それくらいで……」  恭弥に向かっていた龍崎は信じられないという顔で俺を見てきた。  怒りのフェロモンが出っ放しなので肌がチクチク痛いのだが、龍崎は恭弥が掴んだ両肩と同じところを掴んで俺に向かってきた。 「それくらいって……。目の前で受けて気づかなかったのか!? 恭弥は実誠にフェロモンをあてたんだぞ! とびきり強力なやつだ! オメガがくらったらすぐに発情してしまうくらいの……」 「え、ほ…本当に? 全然気がつかな……。ほら、俺発情してない……」  ギリギリと強い力で俺の肩を掴んでいた龍崎だったが、確かに全く反応していない俺を見て、勢いが削がれたように怒りのフェロモンがスッと引いていった。 「はいはい、急に悪かったね。ちょっとした実験だったわけよ。俺のフェロモンには全くの無反応だった。これで証明されたってことだ。倉橋くんの運命の番は翔吾だ。というか、それしか考えられない。だって、君が感じるのは翔吾のフェロモンだけ、なんだろう?」  ポカンとして見つめ合う俺と龍崎の横に立った恭弥が、年長者の意見というより教師のように指を立てて俺に問いかけてきた。 「そう……です」  アルファの匂い。  苦手だと避けて逃げ回っていたが、思えばそれは龍崎の匂いだけだった。  苦手、そう思っていたのは怖くて仕方がなかったからだ。  まるで自分が自分ではなくなるような感覚。  それが怖くて必死にブレーキをかけて、自分の中の暴れ狂う欲望を抑えつけていた。 「本来のオメガとしての発情の力、君は翻弄されながらも無意識に抑え込んだんじゃないかな。オメガの防衛本能ってやつだ。それを体が覚えてしまった。さあ、思い出してごらん、翔吾に初めて会った時のことを……」  恭弥に言われて思い浮かんだのは、一年の時、廊下の向こうで龍崎のフェロモンが流れてきた時のこと。しかし映像として頭の中に流れてきたのは、街の雑踏だった。  たくさん人が行き交う中、一人うずくまっている少年。  街の端で隠れるようにしながら、膝を抱えて苦しそうに唸っていた。  俺の足は一直線にそこへ向かって行った。  なぜかそこが光り輝いて見えて、行かなくてはいけないと思ってしまったから。  少年に声をかけたが顔を上げてはくれない。  それどころか肩に置いた手を振り払われてしまった。  それでも俺は側から離れなかった。  大丈夫、大丈夫と言って背中をさすり続けた。  やがてうずくまっていた少年から強張った力が抜けて、だいぶ落ち着いたように見えた。  その少年がわずかに顔を上げた瞬間、俺は……… 「う……嘘だろう……、も……もしかして、あの店先で座っていた少年……。俺が初めて発情した時……あれは……あそこにいたのは……」 「言っただろう、ずっと探していたって。やっと思い出してくれたんだね」  心臓がぐわんと裏返ったかのように激しく揺れた。  あの時の感情が体の中を駆け巡り、あの日押し留めた熱が、それ今だと一気に膨れ上がった。  □□□
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