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3、幸せの階段
学校の王子様は今日もキラキラと眩しく輝いていた。
薄茶色の瞳は甘く細められて、その目が見つめる先は可愛らしいお姫様が………
じゃなくて。
その瞳には、困惑の表情をした地味な男が映っていた。
そう、その地味な男は俺だ。
「……なんだよ、なんでお前がここで昼メシ食ってんだよ!」
「えー…、だってほら。仲良くなりたくて、君と」
学校の王子様の口からありえない言葉が飛び出してきて、他に誰かいるんじゃないかと俺はキョロキョロと周りを見回した。
「だから君だって、倉橋くん」
勝手に俺の前の席に座って、ぐっと距離を詰めて来た龍崎にビビった俺は後ろにガタンっと椅子を引いた。
「翔吾、あんまり実誠を揶揄うなって言っただろう」
俺の後ろの席から和幸が助け舟を出してくれた。
ため息をつきながらやめろと言ってくれるが、向こうも友人だからだろう、出て行けとまでは言ってくれない。
「いいだろう。前回強引にしちゃったから、今度は健全な方法でお友達になろうとしているんだ。だいたい、和幸がもっと早く倉橋くんを紹介してくれればよかったのにねー」
「ねーって何だよ……。俺に同意を求められても困るから」
休み明け、先週突然訪ねてきて変な雰囲気になったからもう来ないだろうと思っていたのに、お昼の時間になったら龍崎が爽やかな笑顔を浮かべて手を振りながら教室に入ってきた。
お昼の教室間の移動は禁止されてないが、あの龍崎が一般クラスにお昼を食べに来るなんてみんな目が点になって驚いていた。
しかも龍崎が会いにきたのは同じ生徒会の和幸ではなくて俺だ。
誰もが耳を大きくしてこちらの会話に注目しているのが分かって、居心地が悪くて仕方がなかった。
「あー…いい匂い。近くで嗅いでもいい?」
「は? だめだよ。普通は他人の匂いを嗅いだりしない」
「ひどいー、俺なりのお友達とのスキンシップなのに」
「……それなら…誰にでもやるのかそれ?」
「ううん、倉橋くん、限定」
のんきに言い返してくる龍崎に言葉が出てこなくなった。
強めに言って突き放そうとしても、龍崎は嬉しそうにそれを受け止めてくる。
おかしい…、こんな王子様みたいな姿をして、完全に頭のおかしいやつだ。
まさか、誰もに好かれる完璧な生徒会長がこんなヤツだと思わなかった。
「それにしても、倉橋くんのお弁当、すごいね。お母さん、料理上手なんだね」
「お母さんじゃなくて作ってるのは俺。うち両親共働きで忙しいし、弟もまだ小さいから、自分でできることは自分でやってるんだよ」
「へぇ……偉いなぁ」
弁当を自分で作っていると言うとたいていそう返される。初めは面倒だったが、慣れてしまえばてきぱきと作れるようになった。
時々は夕飯まで担当することもある。夕飯の残りをお弁当に利用したり、手を抜くことは意外と簡単だ。
龍崎の方を見たら、コンビニで買ったおにぎりだけがぽつんと机の上に置かれていた。
育ち盛りの男子にしてはあまりに寂しい光景に、ヤツが金持ちの息子だってことを忘れてつい俺は口を出してしまった。
「……それで足りるの? 俺のおかず食べる?」
龍崎の作り物みたいな目が大きく開かれた。その反応はやけに人間らしくて、こんな顔もするんだとつい見入ってしまった。
「いいの?」
「翔吾、大丈夫なのか?」
目を輝かせたように見えた龍崎だったが、そこで和幸が口を挟んできた。
何かアレルギーのようなものでもあるのだろうかと思ったが、龍崎は大丈夫と言って俺の弁当を覗いてきた。
「じゃあこのタコさんウィンナー」
おかずを選んだ龍崎は当然のようにあーんと口を開けてきた。
「お前……図々しいやつだな……」
確かにおにぎりしかない龍崎は箸を持っていないなと気が付いて、仕方なく俺は龍崎の口にタコさんウィンナーを取って放り込んだ。
龍崎は無言でもぐもぐと食べてごくりと音を鳴らして飲み込んだ。
「………美味い」
龍崎が笑った。
ふわりと花が咲いたみたいな、全身から喜びが溢れているみたいな笑顔だった。
完璧な造形美を誇る男があまりに子供みたいな笑顔を見せたので、俺の心臓は鷲掴みされたみたいにぎゅっとなった。
ちょうどその時、俺の後ろでカタンと音がしたので振り返ると、和幸が箸を落としたらしく手を伸ばして拾っていた。
「……もっと欲しい、これも…これも食べたい」
「お前な……まあ、たくさん作ってきたからいいけど……」
かなり図々しいことが判明した龍崎だが、美味そうに食べてくれるので、俺は雛鳥に餌をやるみたいにほとんどのおかずを食べさせた。
龍崎はあれも美味いこれも美味いと言って目を輝かせていた。
「倉橋くん、ありがとう。今度倉橋くんが好きなもの持ってくるよ」
食べ終わった龍崎に両手を掴まれて感謝されたので、それならばと最近流行りの店の手に入らないと言われるスイーツを注文しておいた。
本気で持ってきてくれるとは思わないが、図々しいヤツにはこれくらい言ってもいいだろう。
ちょうど昼休みが終わるので龍崎は任せておいてと言いながら、爽やかに手を振って教室を出て行った。
「……おい、和幸。アイツ。お前が言ってたのとだいぶ違うんだけど」
「いや……何というか……。いきなりあんなに打ち解けた姿を見たのは俺も初めでだよ。よほど好かれたんだな、実誠」
「匂いが気に入ったとか何とか言ってたけど…、本当かな…」
「分からないな。今度受診する際に聞いてみろよ」
科学が進んでもバース性についてはまだまだ解明されていないことが多い。
特に俺の症例は珍しいとかで、定期的に通って診察を受けていた。
と言っても、毎回順調ですねとか変わりありませんというもので行っても行かなくても、最近は意味がないなと思い足が遠のいていた。
今週末に久々に行ってみることにした。
「ただいまー、あー疲れた」
「お帰りなさい。あっ、ユウくん寝ちゃったの?」
「そう、お迎え行った時は元気だったのに、車で寝ちゃった」
夕食を作っていると母が帰ってきた音がして、俺はパタパタと小走りで玄関に向かった。
母の胸には俺の弟になった優斗が抱かれていて、俺は母から優斗を受け取って抱き上げた。
ついこの前まで小さかったのに、五歳になったら急に背も伸びて重くなった。
この重みが成長したなと思えて嬉しくなる。
「少ししたら起きるかな。とりあえず寝室に寝かせておくね」
「よろしくー、あっ明宏さんは今日急に接待が入って遅くなるって」
「分かった。夕飯できてるから、先に食べておいて」
洗面所に向かった母の後ろ姿に声をかけながら、俺は優斗を抱いて二階の寝室に向かった。
優斗は俺と本当の兄弟ではない。
三年前、母が再婚した時に、旦那になる明宏さんと一緒に四人で暮らすことになった。
母は一人目の夫、つまり俺の父親とは俺が小学生の時に離婚している。
それから女手ひとつで母は俺を育ててくれた。
母から家族になって欲しい人がいるから会ってくれないかと言われた時、俺は素直に分かったと言った。
明宏さんは優しい人だし、当時二歳だった優斗はすぐに俺に懐いてくれて、ステップファミリーとして順調に新しい生活を送ってきた。
優斗が今日着ているのは、俺が誕生日に贈った服だ。優斗が好きなヒーローモノのTシャツを選んだ。それを喜んで着てくれている姿を見ると微笑ましい気持ちになる。
優斗をベッドに寝かせて布団をかけた。
スースーという気持ち良さそうな寝息の音が聞こえると安心する。
手を伸ばして柔らかな髪を撫でた。
今の家族は絵に描いたような理想の家族だ。
優しい両親に可愛い弟。
何も問題はない、幸せな家族。
それなのに。
幸せだと思うほど、背中にはいつも重い石が乗っているみたいに苦しくなる。
この幸せが永遠ではない気がしてしまう。
あんなに幸せそうにしている母が、いつかまた涙を浮かべて苦しむようなことにならないか、それが不安でたまらないのだ。
俺の父親はベータだった。
そして明宏さんもまたベータである。
それがなんだ、関係ないじゃないかと思うけれど、あの日の母の言葉が頭から離れない……。
「……弱っちい兄ちゃんでごめんな」
いつまで経っても怯えてばかりの自分に心底嫌気がさしてきて、ズボンが皺になるくらい強く握り込んだ。
優斗の幸せそうな寝息の音だけをずっと聞いていたかった。
「ごめん、今週末は久々に病院に行こうと思ってて……」
「そう、残念ね」
キッチンに戻って母と夕食を囲んでいると、週末は明宏さんの実家に行くついでに泊まりがけで温泉にでも行こうと誘われた。
向こうのご両親は突然孫になった俺にも良くしてくれるが、この歳になってみんなで温泉はちょっと気まずいものがあった。
ちょうど病院に行こうと思っていたので、それを口実に断ることにした。
「大丈夫? 遠慮してない?」
「全然、みんなで楽しんできてよ」
俺は母を安心させるように笑顔になった。
これでいい、みんな幸せなのだからこれで。
「病院って薬の相談? 発情期もちゃんと来てるの? あなた、何も言わないから……」
「……いちおう思春期の男子だからね。薬はよく効く体質だし、発情期も軽いから全然大丈夫。ただの定期診察だよ」
「そう……、それならいいけど。戸締りはちゃんとして、夜は出歩いたらダメよ」
「はいはい、分かってるって」
ここ三年、母も明宏さんも必死に気を使ってくれた。何とか親子の形になろうと、お互い頑張ったと思う。
優斗はまだ小さいから色々な経験をしてもらいたいし、俺に気兼ねせずに、どんどん出かけて欲しかった。
家に一人きりというのが寂しくないと言ったら嘘になるが、週末くらいゆっくりできていいかもしれないと考えていた。
そこでふと龍崎のことが頭に浮かんできた。
家の方針で小さい頃から一人暮らし、確か和幸はそう言っていたと思う。
なぜか一人ぼっちの広い家で、コンビニで買ったおにぎりを食べている龍崎の姿を想像してしまい、胸がキュンと苦しくなった。
そこまで考えて慌てて頭を振った。
龍崎は金持ちの息子で誰もが心惹かれるアルファだ。崇拝する信者みたいなやつらさえいる。
きっと、家でパーティー三昧とかして楽しい週末を過ごすんだろう。
そう思いながら変な想像を打ち消した。
餌付けしてしまったから情が移ったような気がして気分が悪かった。
しかし次の日の朝、俺は頭がおかしいのが移ってしまったらしく、気がついたら二人分くらいの量のおかずを作っていた。
何をバカなことをしているのかと思いながら、もったいないのでそれを全部弁当に詰め込んで家を出たのだった。
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