1、見つからない運命

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1、見つからない運命

 この世には男女の性とは別に、三つの性が存在する。  人口の七割を占めると言われているのが、β(ベータ)性。  残りの二割はα(アルファ)性。  一割にも満たないと言われているのが、Ω(オメガ)性。  アルファとオメガは特有のフェロモンを発することで知られている。  アルファは男女ともに容姿や才能に優れ、社会的に高い地位の仕事に就くことが多い。  一方オメガは周期的に発情期がやってきて、その度に催淫フェロモンを撒き散らしてアルファをヒート(暴走状態)にしてしまうので、迷惑な存在として見られることが多かった。  しかしそれは昔の話で、今は科学の発展とともに効果の高い抑制剤が次々と開発され、安価で手に入れることができるようになった。  一部のアルファには根強く選民意識が残っているが、ほとんどの人々はオメガを手厚く保護し、大切にする意識に変わっている。  そんな時代に生まれたのが俺、倉橋実誠(くらはし さねみ)。  小学生の頃にバース検査を受けてオメガであることが判明した。  判定を受けた時は、ああやっぱりそうかくらいの気持ちだった。母親がオメガだったので特に抵抗なく、そんなものかと受け入れた。  その頃は色々あって、もし自分が将来誰かと結ばれるなら運命の番しかないと心に決めた。  運命の番とは、アルファとオメガにだけある関係性で、遺伝子的に惹かれ合うこの世で一人の相手だ。  会える確率はかなり低い、もはや都市伝説で、ドラマや映画なんかでドラマティックに描かれているが、日常で口にしようものなら笑われるくらいの話だ。  それでも俺は、オメガに生まれたからには、必ず運命の番と結ばれたいと願った。  いや、そうでないと……そうでないといけない。  ずっとそう考えて生きてきた。  が、現実は儚く厳しいものだった。 「あーだるい眠い。抑制剤の副作用かも」 「何言ってんだよ。副作用なしの軽いやつで効果抜群のくせに」 「カズくん……ちめたい……」 「アホ言ってないで、自分の担当終わらせろ」  友人の増田和幸(ますだ かずゆき)に軽い冗談をバッサリと切られて、ムクれた俺の前にドサっと書類の束が置かれた。  余裕があるならこれもやれと言われて、自分の担当分を増やされた俺は小さく悲鳴を上げて、机に顔を突っ伏した。 「倉橋また自分はオメガだとか言ってんのかよー。そのネタいい加減聞き飽きたわー」  俺の様子を見たクラスメイトがツッコんできて、どっと笑いが起きた。 「ネタじゃないー、本当なのに……」  俺の呟きはクラスメイトの笑い声にかき消された。  仕方ない、いくらオメガだと言っても、幼馴染の和幸以外誰もネタだと言って信じてくれないのだ。  国内でも有数の金持ちの子供や、学力に優れた生徒が集められたA高校。  男女共学だが、男子の方が生徒数は多い。  一般家庭だが、推薦枠で運良く入学できた俺は、順調に学生生活を過ごし今年三年生になった。  受験期ではあるが、大学へはそのまま内部進学がほとんどなので、クラスの雰囲気はゆるい。  生徒会の副会長である和幸に頼まれて、生徒に配布する資料作成のお手伝いを快く引き受けたが、あまりの大量具合に開始早々に気持ちが折れてしまった。  今は放課後であるが文化祭が近いので、まだ多くの生徒がクラスに残って作業していた。  俺のクラスでの立ち位置は、いわゆるいじられキャラだ。  ただ座っているだけでも、何してんだと絡まれることが多い。  俺がオメガだと言っても信じてもらえないのは、キャラのせいでもあるが、他にも色々とワケがある。  それは…… 「増田くんちょっといい?」  ふわりと花が咲くような甘い香りが漂ってきて、教室内の温度が一気に上がった。  誰もの視線を集めながらこちらに向かって歩いてきたのは隣のクラスの比奈川瑠夏(ひなかわ るか)、学校内でも有名なオメガの男子生徒だ。  和幸と同じ生徒会で会計をしていて、よくこのクラスにも顔を出す。  アルファは容姿が良いと言われているが、オメガもまた独特のイメージを持たれている。  それは女子でも男子でも、守ってあげたくなるくらい可愛いというものだ。  比奈川はそのイメージそのものだった。  男であるが、まるで妖精のように可愛らしい。  透き通るような色白の肌で髪の色も薄い茶色、全体的に色素が薄い。大きな瞳には長い睫毛、小ぶりな鼻と口は幼い印象もあるが、妖しい魅力もある。  何か塗っているんじゃないかと思うくらい、ピンク色で艶々とした唇に思わず目を奪われてしまい、俺はぼけっと見惚れてしまった。 「ちょっといいかな。会長に提出する前にチェックしてもらおうと思って……」 「ああいいよ、見せて」  分厚い眼鏡をかけた和幸は、平凡と呼ばれるベータであるが小学生時代から優秀だった。  生徒会は選ばれた者しか入れないと言われていているが、和幸は一年から副会長を務めている。  そして花のように愛らしい比奈川は同じく一年から会計を任されている。  物語の主役のような目の前の二人を見ながら、俺は思わずため息をつきそうになって慌てて飲みこんだ。  アルファに生まれたらよほどのことがない限り、勝ち組の人生が待っている。  ベータとオメガだって能力次第でアルファの多いこの学校でも重要な役目を任されたり、トップに立てる可能性があるのだ。  そうは思っているのだが、同じオメガとしてこうも違いを見せられると俺は小さくなるしかない。  俺がオメガだと信じてもらえない理由、それはまず見た目だろう。  地味な黒髪にこげ茶の瞳、肌の色も何もかも平凡な日本人だ。  黒目の大きさが小さくてキツい感じがして、可愛さとは真逆の印象しかない。  ふわふわとした可愛らしい比奈川と自分を比較して、HPをごっそり削られる思いになった。  比奈川から本当に甘い香りが漂ってきてスンスンと鼻を鳴らしていたら、和幸が持っていたペンをパチンと音を立てて机に置いた。 「比奈川、もしかして発情期近い? 体調悪いんじゃないか? ちょっと匂ってくる」 「ごめ…ちょっと薬が合わなくて…。保健室に行ってくる」 「謝らなくていいよ。実誠、お前付いて行ってやれ」 「へっ!? おっ…俺!?」 「お前以外に誰がいる?」  厄介なことを押し付けられたと思ったが、顔が赤くなり息も荒くなってきた比奈川を見たら仕方ないと立ち上がった。  うちのクラスは比較的ベータが多いクラスだが、比奈川の匂いはすぐに教室内に充満していて、こちらを、チラチラと見てくる視線が多くあった。  オメガのフェロモンにあてられて、アルファはヒートを起こす。ベータは理性は保つが匂いに関しては惹きつけられる。  ここでの適任は同じオメガの俺しかいないというのはよく分かっていた。  比奈川は俺より小さくて体も細い。  肩を貸しながら保健室まで歩いたが、そこまで苦ではなかった。 「ご…ごめんね、倉橋くん。…今朝、飲んできたのに…足りなかったみた…い」 「いいって。ほら、もっともたれていいから。大丈夫か? もう少しだから…」 「あ…ありが…とう、倉橋くん、匂いに耐性があるベータなんだね…助かったよ」 「ああ…うん」  比奈川を前にして俺は同じオメガだからとは言えなかった。  オメガとしても魅力に溢れていて、学年を越えてファンが多く、誰からも愛されている比奈川。  抑制剤が効かなくて、度々保健室に運ばれる姿を見るので大変そうだなとは思う。  オメガだからと差別される時代は終わった。  みんなで比奈川を助けようという雰囲気で、温かい目で見守っている。  アルファの多い特別クラスの連中からは、アイドルのように扱われているらしい。  そんな話を聞くと、オメガだと言っても信じてもらえない自分が恥ずかしく思えて仕方がなかった。  俺は中学の時に初めて発情した。  突然街中で発情して、救急車で運ばれた。  緊急抑制剤を打たれて、その後は薬によって発情期を管理している。  俺の発情はとにかく弱い。  三ヶ月に一度の本格的な発情期に入っても、軽い熱のような症状で終わってしまう。  普段飲んでいるのは処方される抑制剤の一番軽いもので、体調管理のため飲んでいるが、飲まなくてもいいくらい何もないのだ。  そして自分がオメガとして欠陥品だと思う最大の理由はフェロモンだ。  初めて街中で発情した時、フェロモンを撒き散らして周囲のアルファに襲われて大変なことに……とはならなかった。  医師曰く、俺のフェロモンは出ているらしいが、それは誰にも分からないものらしい。  フェロモンというのは人によって差があるが、それは好みの匂いであるかとかそういう違いらしい。  しかし俺のフェロモンは、病院で検査したところ、非常に弱くて一般的に人間が感じ取れるものではないと結果が出てしまった。  という事で街中で発情したが、誰もオメガの発情だと分かってもらえず、突然体調が悪くなった人として救急車で運ばれたのだ。  そんな無臭の俺でもアルファのフェロモンにあてられることはある。  アルファにも種類があって、古来から存在する原始的なアルファという種類のヤツらは、存在するだけで強烈なフェロモンを放つ。  ベータは恐れを感じるだけだが、オメガは発情期が近いとかで、うっかりすると発情を誘発されてしまう。  この学校にも何人かそういう濃いアルファ性のヤツがいて、誘発されそうになった時がある。  その時もガンガンフェロモンがでている気配がしたが、誰にも気づかれなかったし、すぐに抑制剤を飲んだらあっという間に収まった。  まったくもって弱くて虚しい俺のオメガ性。  別に比奈川のように、みんなからからチヤホヤされて愛されたいわけではない。  俺が欲しいのはたった一人。  この世に存在すると言われている運命の番だ。  フェロモンによって相手が運命だと分かると言われている。  そのフェロモンを感じてもらえないなら、もう運命の番とは出会えないと言われたも同然。  能天気で適当な性格の俺だが、さすがにずっと願ってきたことが現実として難しいと突きつけられると、希望をなくして色のない日々を送っていた。 「お前さ、運命の番なんてまだ言ってんのか? そんなのドラマの中の話だって。だいたい本当にいたとしても、ドラマの展開みたいにすでに他の番がいたらどうするんだ? まあ、アルファは複数番が持てるけど、常識的に考えてもう一人の相手と揉めることになって、最悪の結果にしかならないぞ」  昼食の弁当をかっこみながら、和幸がいつものように俺の頭に水をかけるようなことを言ってきた。 「……分かってるって。その場合は諦めるよ。ただ、誰かと結ばれるならどうしても運命の番じゃなきゃ嫌で……って、俺がそんな選べる立場じゃないんだけどさ」 「理想を持つのは誰でも自由だからいいよ。ただ、空に浮かんだ星を掴むようなものに、幸せを求めて欲しくないんだよ。一応、幼馴染の俺から言わせてもらうとさ」  高校生になってもいまだに夢見がちな俺のことを、和幸は時に叱りながら優しく説いてくれる。  そんな和幸は中学からの彼女と遠距離恋愛中で、将来を約束している。  大学に入ったら彼女がこっちに来て、同棲する予定だと話してくれた。 「カズはヒロコちゃんと出会った時、運命を感じた?」 「……俺達はベータ同士だから、運命の番の話はまったく分からん」 「そうか……」 「ただ、今になって思えば運命みたいだなって思う時はある。誰に決められたわけじゃない。自分達がそうだと思ったらそれでいいじゃないか。愛ってのはそういうモンだろう」  親身になって慰めてくれる和幸に、そうだなありがとうと言って俺は笑顔を見せた。  そうだ。  その通りだ。  和幸の言っていることは正しい。  遺伝子で決められたとか、本能的に惹かれるとかそういうものではない。  愛とは運命すら超えるもの、俺だってそうであって欲しいと思っている。  だけど、俺が欲しいのは確証なんだ。  恋愛経験ゼロの俺には、愛がなんだなんて何一つ分からない。  確実なものなんて、あってないようなものかもしれない。  だけど、確かなものが欲しい。  じゃないと、怖くてたまらないんだ……。  休み時間の騒がしい教室。  さっきまで文化祭でやる劇の配役を決めていた。  女子が少ないため、誰かしら女役をやらなくてはいけなくて、ウケるからという理由で俺が抜擢されてしまった。  まあ、大した役じゃないしどうでもいいと思ったが、少しヘコんだ。  学内のクラスは、優秀な生徒を集めた特別クラスと二つの一般クラスに分かれている。  文化祭の目玉になる三年の劇は、三クラス合同で行われる。外部から演出家が呼ばれるちょっと本格的なものだ。  演目はシンデレラ、誰もが知っているお話だ。  そして、俺の役はシンデレラをいじめる二人の義姉のうちの一人、ドリゼラ。  正直言って救いようのない悪役への大抜擢だ。  嫌だ嫌だと騒いだらその姿がウケたらしく、教室内は大爆笑。  笑ってくれたからって報われるわけじゃない。  本当は大道具とかの裏方が良かった。  もしくは町人A辺りの役になったら、背中で通行人役の渋さを演じてみせたのにと、切ない気持ちで廊下に立って窓の外を眺めていた。 「おい、見ろよアレ」  隣で同じように外を眺めていたヤツらが声を上げたので、つい俺も同じ方向を見てしまった。  そこには、遠目で見ても華やかで可憐な比奈川が、優雅に歩いていく姿があった。 「さすが比奈川さん、今日も可愛いなぁ…」 「なんだよお前、あの人は高嶺の花だろ。だいたいあの方のお相手なんだから……」  その男子生徒の口から出た名前を聞いて、俺はうへぇと力が抜けていく感じがして窓枠に掴まった。  その男は比奈川が走っていく先に立っていて、比奈川が声をかけたら颯爽と振り返って、少し話した後、二人で並んで歩き出した。  今の全てがドラマのワンシーンを見ているかのようだ。  隣で話しているヤツらも、圧倒的なビジュアルの違いに完敗して言葉をなくしていた。 「やっぱり龍崎様は同じ人間とは思えないな」  隣の男子生徒がこぼした言葉に心の中で俺もそう思うと呟いた。  龍崎翔吾(りゅうざき しょうご)、この学校の特別クラスの生徒で生徒会会長、入学以来、学力テスト学年一位の座を誰にも譲ったことがない。親は大企業の社長で大金持ち、本人も株で儲けてすでにミリオネア。様々な相手と華やかな付き合いをして、彼に抱かれたいがために毎晩列ができるなんて噂もあった。  しかしそんな噂も比奈川の登場によって砂のようになって消えた。  正式に付き合っていると公言はしていないが、二人は常に一緒に行動している。  生徒会長と会計という立場であるが、それ以上の関係だと言われてきた。  比奈川を好きなヤツらも相手が龍崎ならもう何も言えない。  非の打ち所がない二人は、王子様とお姫様と呼ばれていて、お似合いのカップルだ。  そして俺はこの龍崎という男が大の苦手だ。  直接話したことはないし、目すら合わせたこともないが、苦手なものは苦手なのだ。  それは彼がアルファだから。  それも原始的な濃いアルファ性を持っている。  以前、ヤツが無自覚に流れ出すフェロモンの濃さにあてられて俺は発情してしまった。  廊下の端と端というかなりの距離があったにもかかわらず、俺は発情してしまった。  慌てて教室に戻って予備で持っていた抑制剤を飲んでことなきを得た。  と言っても誰にも気付かれずに、あれ体調悪いの? くらいの声しかかけられなかったが、嫌なものは嫌だった。  普段は特別クラスと棟が違うので会うことはない。それでも偶然会ってまたあんなことになったら怖いので、とにかく避けて避けて過ごしてきた。  だから今回学年合同で行う劇は、俺からしたら嫌な予感しかない。  あの目立つ男が演者以外の何かするところが想像できないのだ。  まだ他のクラスの配役は決まっていないと聞いたが、同じ舞台に立つことになったらと、今からすでに嫌になってきた。  龍崎は遠目に見てもいかにもアルファという容姿をしている。  背がすらりと高くて手足が長くて、白磁のような肌に、何かスポーツをやっていそうな、服の上からでも想像できる逞しい体つき。  顔は彫刻のように整っていて、彫りの深い男らしい顔立ち、それでいて唇は薄く口角の上がった感じがやけに甘く見える。  ハーフではないらしいが、髪も目も薄茶色で、まさに日本人離れした容姿だ。  じっと見つめていたら心臓が早鐘を打ち始めてしまった。  きっと苦手や恐怖の感情からだろうと思っていたが、なんだか顔まで熱くなってきた。  ここからだとかなり距離があるのに、まさかまたフェロモンが風に乗って流れてきたのかと俺は慌てた。  体がほんのり熱くなってきたのを感じてこれはマズイなと口元に手を当てた。 「あの二人は本当お似合いだよね。きっと運命の番なんだよ」  ドクンっと心臓が飛び跳ねたように揺れた。  それは、俺がどんなに欲しても手に入らないもの……。  羨ましい  そう思って見つめていたら、背を向けていたはずの龍崎が突然バッと振り返った。 「!?」  何が起きたのか分からずに俺は慌てて目線をそらして柱の陰に隠れた。  心臓が痛いくらいに揺れていて眩暈がした。  俺だけ一人汗をかいていて、周囲は変わりなく平和な時間が流れていた。  目が合った気がした。  そんなバカなことはない、妄想もいいところだ。  俺は何をしているんだろう。  不快感と抗えない熱を持て余したまま、フラフラと教室に戻るしかなかった。  □□□
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