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11、お祭りのはじまり
文化祭当日。
よく晴れた空の下、前日から設営が始まり、当日は朝早くから生徒達が走り回っていた。
毎年、開始時間の十時になると、校門前には列ができる。
生徒の他にも地域の人達が多く参加しているので、町のお祭りとしても有名でもあった。
商店街の飲食店がズラリと出店して小さな屋台があちこちに並んでいる。
近くの幼稚園や保育園まで参加してイベントをやるので、広い校内はあっという間にたくさんの人でいっぱいになった。
もちろん文化祭の目玉は三年生の演劇で、祭のフィナーレを飾る。毎年立ち見が出るほどの人気で地元誌にも特集が組まれるほどだ。
俺の母親と明宏さんに優斗も、朝から観に行くからと言ってハリきっていた。
「どいてどいてーー! まだそっちセット終わってないから! これみんなで運んでーー!」
「おい! 大道具! ここ壊れてるぞ!」
「音響ー! 音割れてる、全然聞こえない!」
どんなに準備しても本番というのは色々と綻びが出るもので、みんなで一斉に取り掛かっているが、次々と問題が出てきててんやわんやの大騒ぎになっていた。
「はぁ…はぁ…、和幸、これどこ置けばいい?」
特に今まで問題なくやってきた音響が上手くいかず、和幸は顔はいつもの冷静な顔だが困った様子で調整に走っていた。
俺は演者なので裏方のことは何も分からず、とりあえず和幸の手伝いをしていた。
音響室までの長い階段を上ったり下りたりして、必要なものを運んだ。
「ああ、そっちに置いといて。あー、なかなか上手くいかないなぁ。データ、ちゃんと入れたはずなのに」
「あと、手伝うことはある?」
「こっちはもう大丈夫。大変そうな方に行ってやって」
和幸はパソコンの前にかじりついて頭を抱えているので、俺が手を出したりしたら全部消してしまいそうでこれ以上は声をかけられなかった。
それならばと、舞台の近くで他の係に声をかけたが、そちらもだいぶ落ち着いたようで、大丈夫だと言われてしまった。
まだ着替えも始まらないので制服だが、講堂内は蒸し暑くてすっかり汗だくになってしまい、少し外の空気が吸いたくてなって講堂を出た。
龍崎も比奈川も直前まで生徒会の用事で模擬店の見回りに行っていて忙しそうだ。
手持ち無沙汰になった俺は、フラフラと歩きながら校内を見て回るとこにした。
校内はたくさんの人が歩いていたが、次はあそこに行こうと話しながらみんな楽しそうに歩いていた。
どこかで配っているのか、風船を持った子供達が、わぁぁと叫んで笑いながら俺の前を横切って行った。
その姿を微笑ましい目で見ながら、いつかの自分と重ねていた。
父親の記憶はあまりない。
平日は帰りが遅く、土日もゴルフだなんだといつも出かけていて、父と息子で遊んだ思い出なんてほとんどなかった。
一度だけ、遊園地に連れて行ってもらったことがある。
俺は父親と一緒に出かけることを、前日から楽しみにしていた。
父は面倒くさそうにしていたけど、一緒にいられるだけで楽しかった。
遊園地に着くと、すれ違った子供達がみんな風船を持っていることに気がついた。
細い紐で繋がっていてふわふわ空に浮いている風船なんて見たのは初めてで、子供心をくすぐられて思わず目を奪われた。
俺は隣にいた父親の腕を引っ張って、あれが欲しいとねだった。
しかし父は電話中で俺のことを静かにしろと言って叱ってきた。
それが仕事の電話だったのかはよく分からない。
父は俺の手を振り払って、用事ができたから先に帰ると言って行ってしまった。
母と残された俺は、寂しくて悔しくてたまらなかった。
どうして欲しいなんて言ってしまったのか、そのせいでパパが帰ってしまったのだと泣いた。
母に風船を買ってあげるからと言われたが、首を横に振った。
父と一緒にあの風船を持って歩きたかったのだ。
思えばあの時、母はずっと気を遣っていたし、父の態度は褒められたものじゃなかった。
きっと一度くらいはと、母に言われて一緒に出かけることになったのだろう。
父は自分が一番で子供にはあまり興味がない人だった。
休日は自分の趣味で、子供になんて何一つ合わせたくない。俺の写真を撮ってくれたことすらなかったかもしれない。
家庭人とはほど遠い。
そんな人だから母が一人で悩んで、少しずつ壊れていく姿を横で見てきた。
決断を先延ばしにしていたのは、そんな人でも少しは愛情があったからか、それとも俺から父親を奪うと考えたのか。
母は、二人が離婚した理由をハッキリとは教えてくれなかった。
それでもなんとなく想像できるぐらい、俺は大きくなっていたから、黙って母に手を引かれるまま家を出た。
運命の番じゃなかったから。
母が父と別れる少し前、俺は真夜中にトイレに行きたくなって部屋を出た。
真っ暗になった台所には、父の帰りを待つ母の姿があった。
母は泣いていた。
あの人は運命の番じゃなかったから、だからダメだった。
母はそう言いながら泣いていた。
その時のことが子供心に焼き付いてしまった。
今思えば心が弱くなった母が、思わずこぼしてしまった愚痴みたいなものだったのだろう。
だけどそれ以来俺はずっとその言葉に囚われている。
母が次に選んだ明宏さんがベータだと知っても、どんなに優しい人でも、俺の気持ちはずっと変わらない。
運命の番じゃなきゃ、そうじゃなきゃ……
幸せになれないんだと。
「君、君、聞いてる?」
立ち尽くしてぼけっとしていたら、肩をツンツンと叩かれていた。
誰かに呼ばれていたのだと気がついて、慌てて振り返った俺は驚きで息を吸い込んだ。
「突然悪いね、ちょっと場所が分からなくて教えて欲しいんだけど……って、大丈夫?」
俺が目をひん剥いて大口を開けて固まっているので、話しかけてきた相手は不思議に思ったのだろう。
あっと気がついたように掛けていたグラサンを外した。
「怖がらせちゃったかな、一応ここの卒業生で怪しい人間じゃないから」
そう言ってウィンクしながらニカっと笑ったのは、先日、比奈川と車の中でイチャついていた男だった。
今日は長髪を下ろしているが、派手なシャツにレザージャケットとパンツ、トゲトゲした靴が目立ちまくりのイカつい格好だった。
グラサンを外した顔はやはり整っていて、ふと誰かの面影を感じるような気がした。
向こうからしたら初めましてなので、こちらも同じ顔をしないといけない。
俺は緊張しながらキリッとした顔を作って背筋を伸ばした。
「卒業生の方でしたか、すみません驚いてしまって……、どの場所を案内したらいいですか?」
「ああ、驚かせて悪かった。演劇のチケットを買いたいんだけど、受付はこの辺だったよな?」
「あ……劇のですか、今年は校門の受付で販売しているんです。ただ、この時間だともう……」
「かぁーー! 遅くなっちまったか! そうだな、毎年すごい人気だったな」
絶望した顔になって頭に手を当てて、大げさに天を仰いだリアクションをしてくる男がおかしくて笑いそうになるのを堪えた。
「あの、もしかしたら父兄の方ですか? それなら、父兄用の席が確保されてますけど……」
「……父兄! その手があったか!!」
ぽんっと手を叩いて喜びを表した男に、まさか偽って入るつもりかと訝しんだ目を向けたら、男は頭をかきながら笑った。
「いちおう父兄で間違い無いんだ。目当てはそっちじゃなかったというか……。とりあえず席まで案内してくれる?」
「は……はあ」
父兄で間違いないというのはどういうことか。
そもそも比奈川との関係は……。
色んな妄想がぐるぐる頭で回って、悶々としながら男を連れて講堂に入り、父兄用の席へ案内した。
「まだ幕が上がるまでだいぶありますけど、座って待っていても大丈夫です。飲食は禁止なのでそこだけ気をつけてください」
「喫煙スペースは?」
「……ここ、学校ですよ。外で吸ってください」
「はっはっは。悪いな。ついね、クセで」
冗談なのかよく分からないが、話した感じは気さくで悪い人ではなさそうだった。
何より彼は自分と同じ立場なのかもしれない。
前に考えていたバカなことがまた頭に浮かんできて、ついその目で見てしまった。
「そういえば、君は三年生?」
「ええ、一般クラスですが」
「そうかぁ……比奈川瑠夏って知ってる?」
男の口から出てきた名前に心臓がドキリとした。
なぜ俺に比奈川の話を振ってきたのだろうと、緊張して冷や汗が出てきた。
「それは……可愛くて有名人ですから」
「そうかぁ。やっぱりモテるんだろうな」
ああ、この人は……比奈川が本気で好きなんだ。
目を細めて遠くを見る横顔には、比奈川のことを思う男の気持ちが溢れていた。
好きな人を思い出すだけで幸せな気持ちになる。
そんな思いが俺にも伝わってきた。
「……モテモテですよ。ファンクラブもありますし、毎日のように告白されていたり、比奈川目当てで他校から来たやつがたまに校門の前で待っていたり……」
つい悪戯心が出て、調子に乗ってペラペラと喋ったら、男は明らかにヘコんで、心配ですという目になってしまった。
愛されるっていいなと思いながらクスクスと笑うと揶揄われたと分かったのだろう、男の顔は赤くなった。イカつい見た目でずいぶんと可愛らしい人だ。
「冗談です。一年の最初はそんな雰囲気がありましたけど、今はもう、落ち着いています」
「なんだよー、高校生に揶揄われるとかないわぁー。君面白いね、瑠夏とは友達?」
「えっ……」
友達かと言われたら、なんと言っていいか答えに詰まってしまった。
龍崎のことで傷つけている立場だと思っていたし、全員の関係がよく分からなくてハイそうですとはとても言えなかった。
「俺は……その……」
「げ!? 恭弥!! なんで来てんの!!」
どう答えようか迷っていたら、講堂の入り口から大きな声がした。
振り向くと嫌そうな顔をして手を震わせながらこちらを指差している比奈川の姿があった。
すぐにズンズンと物凄い速さでこちらに走ってきた。どうやら比奈川は足の速さにも恵まれているようだ。
「来ないでって言ったのに! 恥ずかしくて演技できなくなっちゃうって!」
「いやさぁ、迷ったんだけど、どうしても瑠夏の晴れ姿が見たかったんだ。そんなに嫌だったら登場だけ見たら、それで帰るから」
いつも誰にでも穏やかに接する比奈川が、別人のように表情豊かに怒ったり困ったりしている。
明らかに親密な関係に見える二人を思わず見比べてしまった。
「あの……比奈川、この人は……」
驚き過ぎて思わずぽろっと口から出てしまった。
比奈川はやっと俺の存在に気がついたみたいに、ハッとした顔で俺を見てきた。
「校内で彼に声をかけて、ここまで案内してもらったんだ。なかなか面白い子だ。相手をしてもらって楽しかった」
ガハハハと恭弥は豪快に笑って俺の背中を叩いてきた。その様子を見て比奈川は頭に手を当てて、ふぅとため息をついた。
「倉橋くんありがとう。変なのが来ちゃってごめんね。この人、僕の……パートナーってやつ。まだ番じゃないけど……」
「え………」
一瞬何を言っているのか理解できなかった。
いや、比奈川の言っていることで、今まで見てきたバラバラの光景が線で繋がったような気がしたけれど、やはり胸に落ちてこなくてつかえてしまった。
確かにどう見たって二人は恋人同士に見える。
だが、肝心なことを忘れていると俺はなんとか掠れた声を上げた。
「だっ……だって、龍崎は? 龍崎が恋人なんだろう?」
何を言っているのだと今度は比奈川が目を開いて驚く顔になる番だった。
ふっと訪れた沈黙、そこで恭弥がゴホンと咳払いをして前に出てきた。
「そうそう、だから言ってるじゃん。恋人だって」
胸ポケットに入れていたグラサンをさっとかけた恭弥は、かっこ良くポーズをきめるみたいに、比奈川の肩に腕を乗せて白い歯を見せてニッと笑った。
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