12、臆病なシンデレラ

1/1

2087人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ

12、臆病なシンデレラ

「まさか俺のことを知っているなんて、いやぁ、俺って有名人? カッコいいから? でも惚れたらだめだよ。俺は瑠夏専属のアルファだから」  照れた顔をして頭をかいている恭弥のことを比奈川と俺はぼけっとした顔で見ていたが、比奈川がいち早く気がついて、恭弥の頭をグーで殴った。  ポコンとなかなかいい音がした。 「バカ! 恭弥のことじゃないって、恥ずかしいな! 倉橋くん、誤解してる。翔吾と僕は付き合ってないよ」 「あ? 翔吾のことだったのか!? そうか、あいつも龍崎だったな」  忘れてたわーと恭弥はヘラヘラと顔を赤くして笑った。 「う……嘘、だ…だって、二人は……、みんなだって言ってるし……」 「あー…そっか、そうだよね。僕達、積極的に否定しなかったから、誤解しちゃったのか……。まったく、これも恭弥のせいじゃん」 「へ? 恭弥さんのせいって……」 「倉橋くん、この男も龍崎なの。つまり、翔吾お兄さん、二番目のね」  もう枯れてしまったのか、掠れた声も出てこなかった。  俺のあまりの混乱した様子に顔を見合わせた比奈川と恭弥は、詳しい話をするからと言って場所を変えることになった。  祭りの賑わいの音を聞きながら、比奈川に連れられて、資材置き場の空き教室に場所を移した。  ここは舞台の小道具置き場だが、全て運び終わっているので、室内はがらんと広くて誰も来ないという静かな場所だった。  三人で椅子に座って落ち着いたら、まず比奈川が口を開いた。 「龍崎家と比奈川家は昔から縁のある家で、お互いの子供を結婚させるという代々の古い約束があったんだ。それで、小学生の時、オメガだと判明した僕は歳の近い翔吾と婚約することになった」 「えっ……」 「大丈夫、家同士の決め事だったから、僕達はすでに顔見知りだったけど、なんの感情もないよ。その頃は僕も従順だったから、そんなものかと思って親の言う通りに従っただけ。それで中学に入る前にちゃんと顔合わせしようって機会が設けられたんだけど、そこでね……翔吾と二人きりになった僕は発情しちゃったんだ」  オメガで成長の早い子供は、小学校の高学年くらいには最初の発情を迎える。  といってもまだ妊娠は不可能なので、本格的なものではなくて、アルファの匂いに反応して倒れてしまうようなものだったはずと記憶していた。 「龍崎家のアルファ性は濃いから、まだ幼いオメガとはいえ、発情のフェロモンを感じたら本能が目覚めてしまう。大人達は慌てて止めに入ったらしいんだけど、翔吾はヒート状態にはならなかった。その代わり、吐いて痙攣して……倒れてしまったんだ」 「そんな……なぜ……」  説明しようと口を開いた比奈川の背中を隣に座っている恭弥が叩いた。  ここは自分がと、比奈川に向かって目で合図した。 「感覚過敏って知ってるか? 濃いアルファ性の家系にはたまに出るんだが、そういう体質を持ってアイツは生まれたんだ。嗅覚、聴覚、触覚、味覚、そういった感覚が人より優れている。……優れている、というより強すぎて耐え切れないくらい本人はツライんだ」  俺は医師に聞いた、アルファの中には感覚に優れた子がいるという話を思い出した。  幼い頃に薬で抑えると聞いたが、翔吾は違ったのだろうかと頭に思い浮かんだ。 「まだ出始めなら薬で抑えることもできたんだ。でも、うちの両親はそれをしなかった。古い家系だから否定的で、薬がアルファとしての優れた部分を奪ってしまうと考えたんだ。だから、翔吾には我慢して生きるように命令した」 「ひ…ひどい、そんなの……」 「そういう親なんだよ。ろくに相手せずに仕事で海外ばかり行っているくせに、そういうところだけ押し付けて部下に命じて見張らせた。俺はそういう両親が嫌ですぐに家出して好きに生きていたから、翔吾が苦労しているなんて知らなかった。結局翔吾も中学で家を出て、両親の理想通り育ったのは長男だけだ。今では俺達のことなんて、会っても目も合わせてくれないよ」  胸が痛かった。  あのだだっ広い部屋に、ひとり暮らしている龍崎が姿が浮かんできた。ひとりの方がいいと言っていたが、もしかしたら寂しいなんて気持ちは通り過ぎてしまったのかもしれない。 「翔吾は僕のフェロモンを受け付けられなかった。今では多少自分で調整できるみたいだから吐いたりはしないけど、あの時は酷かった。それに僕だけじゃない、他のオメガのフェロモンでも同じようになって時々発作みたいなのが起きるようになった。でもある時、見つけたって……」 「え?」 「運命の番を見つけたって。その人の匂いなら大丈夫だったって言ってきたんだ」  その言葉を聞いて体に電流が流れたみたいに痺れてしまった。  龍崎は運命の番を見つけていた。  それは誰なのか、どういうことなのか、焦る気持ちが俺の心臓をガンガン叩いていた。 「その辺から症状も落ち着いたらしい。俺もその頃呼び戻されて、やっと色々な事情を知った。比奈川家との約束があったから、代わりにお前が婚約しろってさ。逃げ回ってたけど、瑠夏に会ったらもう……コロっと落ちちゃってさぁ。そこからは瑠夏の虜ってやつ」  恭弥がニヤニヤとしながら比奈川の髪の毛を撫でて、赤くなった比奈川はやめろと振り払っていたが、まんざらでもない嬉しそうな顔だった。  喧嘩しながらも仲がいい。  二人を見るとそんな言葉が思い浮かんできた。 「あ……ああっあの、龍崎の……運命の番って誰なんですか?」  二人の仲の良さはもう分かっている。  俺が知りたいのはそこだった。 「それがさぁ、アイツに聞いても匂いしか知らないって言うんだよ。姿を見る前に消えてしまったって……だから、いまだに探しているんじゃ……」 「そうですか……」  俺はがっくりと項垂れた。  しかし、匂いを探しているという言葉に既視感を覚えた。その言葉は確か…… 「そうそう、君が勘違いした翔吾と瑠夏が付き合ってるってやつ、噂を否定しなかったのは俺のせいなんだよ」 「はい?」 「俺さー、すごい心配症なワケよ。とにかく瑠夏に悪い虫がつかないか心配で心配で夜も眠れなくてさ。二人が付き合ってるなんて噂があるって聞いたから、翔吾に、今付き合ってるやつがいないなら、とりあえず学校では噂を否定しないでくれって頼んだんだ。アイツは嫌そうだったけど二つ返事で了解してくれたんだ。ほら、婚約の件、自分がダメにしたって思ってるみたいだし、優しいには優しいやつだからさ」  そんなことで弟を風避けに利用する兄もどうかと思ったが、比奈川の輝きを前にして心配せずにはいられない気持ちは理解できた。 「翔吾には嫌ならいいよって言ったんだけど、別にいいって……。翔吾って誰とでも上手くやるし、生徒会長だってこころよく引き受けて、やることはちゃんとやるし真面目なんだよね。でもさ、時々すごい冷たい目をしている時があって、ああ、きっと心の中では別のことを考えているんだろうなって……。長く友人だったつもりだけど、本当に友人なのかなって思うくらい、人を寄せ付けない透明な高い壁がある気がしてた。それが最近はびっくりするくらい変わっちゃって……」  変わったという言葉に目を見開いて身を乗り出したのは恭弥だった。  興味津々の恭弥の目線を無視して、比奈川は俺のことを見てきた。 「ある人の前では、別人みたいに嬉しそうな顔で笑っていてさ。あれ、これが翔吾の本当の顔だったんだって……。長年見てきた翔吾って、何だったんだろうと思うくらいの変化。やっぱ運命の力はすごいね」  胸の中が熱かったり冷たかったり、なんとも言えないモヤモヤとしたもので包まれた。  ある人というのは誰のことなのだろう。  俺の知らない誰かか……それとも。 「ねぇ、倉橋くん。翔吾の運命の番、まだ誰だか分からない?」  比奈川の視線から何を言いたいのか俺は感じ取ったが、そんなはずはないと首を振った。 「だってそれは……相手も同じように感じて……本能で分かるもので……」 「その相手はきっと怖くて受け入れられないんじゃないかな。恋をしたことがなくて、それが恋だと認めることが怖いのと同じで、自分が消えてしまうことを恐れている。大丈夫、恐れなくていいよ。一歩前に進めばまた新しい自分が待っているから」 「比奈川……」  見つめ合った俺と比奈川の顔を、恭弥がなんだなんだという顔で見比べていた。  俺が口を開いて息を吸い込んだ瞬間、校内アナウンスが流れて、劇の出演者は準備のため至急集まってくださいと連絡がきた。 「さっ、そろそろ出番みたいだね、行こうお義姉様」 「あ…ああ、うん。俺……」 「しっ、その先は本人に言ってあげて。ただし、劇が終わった後にね。アイツ、冷静そうに見えて相当焦ってるから、本番中に二人で消えたら大変だからやめてよ」  ポカンとした顔で完全に置いて行かれている恭弥を本当に置いたままにして、比奈川に手を引かれて二人で講堂に向かって走り出した。  ずいぶんと話し込んでいたからか、比奈川が消えたと大騒ぎになっていたようで、走ってきた俺達を見たらみんなこっちだ早くと手を振ってきた。 「ねえ、知ってる?」 「え? 何を?」 「この劇の舞台で、初めてキスをしたカップルは永遠に結ばれるってジンクスがあるんだって」  走っている最中に比奈川はよく分からないことを言い出した。俺は息を切らしながらだったので頭が追いついてこなかった。 「そんなの迷信だってバカにするようなやつでもさ、恋をすると急に信じちゃったりするよね。それに実はみんなが思っているよりロマンティックなやつだったりして」 「へ? なっ…なに……?」  理解を超えて頭が沸騰しそうになっている俺だったが、比奈川は謎の言葉だけ残して担当班の生徒達に遅いと怒鳴られながら連れて行かれてしまった。  俺の着替え担当の生徒達も走ってきて、早く早くと急かされて連れて行かれることになった。  おかげで比奈川の言っていたことを考える暇もなく最終準備に入った。  シンデレラの幕は、たくさんの観客が見つめる中、いよいよ開こうとしていた。  □□□
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2087人が本棚に入れています
本棚に追加