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2、君だけが知る
文化祭で行われる劇の配役が決定した。
演目はシンデレラだが誰もが知っている話ではつまらないので、オリジナルの脚本が加えられるらしい。
衣装や小物、舞台装置にいたるまで驚くような予算が発表された。
かなりの力の入れように、女役を押し付けられて面倒だと思っていた俺はひたすら引いていた。
そして肝心の主役のシンデレラは、比奈川に決定した。
満場一致、女子生徒達も後押しするという誰もが納得の配役だった。
本人は真っ赤になりながら、みんながそう言ってくれるならと言って引き受けていた。
そりゃあの甘ったるい顔ならドレスを完璧に着こなしてくれるだろう。
同じ女役なのに、ネタだとかウケるとか言われてねじ込まれた俺とは大違いだ。
そして王子様役にはやはりあの男、龍崎が抜擢された。これに関しては、本人の反応は知らないが、どうせ当然だろうみたいな顔をして引き受けたに違いない。
お似合いカップルの仲良しごっこを脇役として演出するなんて、ダルすぎてまったくやる気が起きなかった。
「なぁ、会長ってどんなヤツ?」
机の上に広げた弁当をつまみながら後ろの席の和幸に話しかけた。
すでに食べ終わって本を読んでいた和幸は片眉を持ち上げる仕草をした。
和幸が驚いた時にする反応だ。
「なんだよ実誠。お前、翔吾のこと嫌って逃げているくせに」
「きっ…嫌っているわけじゃ…。アイツのアルファ臭すごいだろう。向こうは虫ケラくらいにしか思わないだろうけど、こっちは苦手なんだ」
「……虫ケラなんてそんな風に思うタイプじゃないよ。確かにベータの俺でも感じる威圧感は時々あるけど、優しくて誰とでも上手くやるヤツだし」
「うへぇ…そういうのが、なんか胡散臭いっていうか……」
「まぁ、ずっと副会長として補佐はしてきたけど、確かに何考えているのか読めないところがあるにはあるな。実誠が怖がるのも理解できなくはない」
俺から話すのもあれだけどと言いながら、和幸はぽつりぽつりと龍崎のことを教えてくれた。
「親が会社やってるのは知ってるだろう。家族全員アルファの家系で、上に兄が二人いる。その中でも一番優秀で将来を期待されているらしい。家の方針で幼い頃から一人で暮らしている。黙っていても人が集まってきて、いつも輪の中心にいるようなヤツだよ。……ただ本人はそういうのあまり好きではないみたいだ。学校では兄達も会長をやったから、言われるまま仕方なく引き受けたらしい」
「ふーん」
それを聞いてますます苦手だと思ってしまった。先日校庭を歩く姿を見かけてから気になってしまい和幸に話を聞いたが、大して興味を引かれるような話はなかった。
やはり苦手だから気になるのだろうと自分を納得させた。
「それより、午後は合同授業で顔合わせだろう。一緒の空間にいて大丈夫なのか?」
「…たくさん人がいれば気が紛れるから。それにどうせ軽く発情しても誰にも迷惑かけないし、薬もポケットに入れてる」
それなら良かったと言った和幸は、しれっと音響担当になっていた。
向こうはどうせ俺なんて眼中にないんだし、端の方にいて大人しくしておこうと思いながら、お喋りをやめて弁当の残りを食べ始めた。
「台本は全員もらったかー? これはまだ原案だから最後まで載ってないし変更の可能性もある。頭に入れておいてくれ」
劇の出演者達は舞台のある講堂に集められてた。
担当の先生から演出家と脚本担当が紹介されて、まず初回ということで主要な登場人物役の自己紹介があった。
主役の二人、龍崎と比奈川は前に出て、完璧な自己紹介をしていた。
俺はちょい役なので、名前を読み上げられて手を上げた。自己紹介はスルーされたのでホッとした。
全体のスケジュールの説明などがあって、それぞれ準備するものなどを聞いた後、先生達は個別に打ち合わせがあるらしく忙しそうに出て行った。
残された生徒達は、衣装や本番が楽しみだなんて言って笑いながら、グループで固まって盛り上がっていた。
俺は仲のいいヤツもいないし、今日はこれで終了だとみんなの口から出るのを、舞台袖に隠れながら待っていた。
王子様役の龍崎の周りには、わらわらと人が集まって、ひときわ楽しそうな声が上がっていた。
「……あれ? なんか……匂いがする」
輪の中心にいる龍崎の低い声がやけに大きく聞こえきた。
なぜだかよく分からないが、龍崎の声は腹に響いてくる。
劣等感のかたまりみたいな胸でいるからだろうと下を向きながら苦笑した。
「えー、それって、比奈川くんのでしょう?」
「マジで仲良いんだから、こんな時に匂うとかラブラブじゃん」
龍崎のとりまきみたいな周りの連中が、冷やかすようにキャーキャーと盛り上がった。チラリと横目で見ると、比奈川は困ったような顔をしていた。
「いや…ヒナのじゃない。別のオメガの匂いだ」
心臓がドキッと飛び跳ねた。
俺の知る限り、ここにいるオメガは比奈川と俺しかいない。
他の学年にはいるが、三年では比奈川が唯一のオメガだと言われている。
龍崎はとりまきの連中のアルファに視線を送ったが、そいつらも首を振って不思議そうな顔になっていた。
どういうことだ?
もしかして俺の匂い?
なぜ…龍崎が気がつくんだ?
コツコツと靴音が聞こえてきた。
誰かがこちらに近づいてくる気配がする。
まさか……
嘘だろう……
近づいて来た相手が誰だか見なくてもハッキリ分かってしまうのは、ヤツの垂れ流すフェロモンが鼻について離れないからだ。
「ねえ、君…。A組の…確か倉橋くんだよね?」
バッと顔を上げると思ったよりも近い位置に龍崎の整った顔があった。
どくどくと鳴っていた心臓がもっと激しく揺さぶられて視界が歪んだ。
「ちょっといいかな…聞きたいんだけど……」
ガタンと音を鳴らして転がるように体を後ろに引いて、俺は龍崎との距離をとった。
まるで追い詰められた小動物のようだと自分で思いながら、警戒して毛を逆立てている気分だった。
「ああ、ごめん。いきなりびっくりさせちゃったかな?」
「あ…あ…あの、おれ、家の用事があって……先に帰ります!!」
「え? あっ……」
どうせもう顔合わせは終わったし馴れ合いタイムってやつだろう。ポカンとした顔の龍崎の横をすり抜けて走って講堂から飛び出した。
ひたすら息を切らしながら走って、教室に戻って来たところで崩れ落ちるように座り込んだ。
他の生徒はいない。
がらんとした教室でひとり、爆発しそうになる胸を抱えて小さくなった。
さっきのは何だったんだ……。
俺の名前は…紹介の時に覚えたのか…。
何を聞こうとしていた?
まさか本当に…
そこまで考えてヤツが原始的と呼ばれるアルファの一族であることに気がついた。
一般的な人間に感じ取れない俺の突然変異みたいな微弱なフェロモンを、ヤツなら感じ取れるのかもしれない。
「……そんな、嘘だろう。なんでアイツなんだ……」
誰も反応してくれないからと自暴自棄になっていた。
やっと反応してくれる人が出て来たのに、それが苦手なヤツだったなんて……。
いや、まだ分からない。
事情を話して直接本人に聞けばいいことだけど、やっぱり近寄り難い。
近くに来られたら恐怖でゾクゾクとして震えてしまった。
こんな状態でまともに会話なんてできるはずがない。
それに……。
講堂から走って出るとき、こっちを驚いたような表情で見ている比奈川と目が合った。
アイツらと関わり合いになって良いことなんてない。
やっぱり誰かに役を代わってもらえないか、明日探すことにしようと、ため息をつきながら力なく立ち上がった。
「わりぃ、俺、木の役に命かけてるんだわ」
「……絶対嘘だろ! お…おいっ! ちょっと!」
必死に頼み込んだのにスルッと逃げられてしまった。
クラスメイト全員に声をかけたが、誰も代わってくれなくて、廊下でひとりガックリと項垂れた。
頼みの綱の和幸は、すでに曲のリストを辞書みたいに集めて選曲を始めていて、その熱量に、どうした? と聞かれたが今更代わってくれとは聞けなかった。
「どうしたの?」
深く項垂れている俺の頭に声がかけられた。隣のクラスのやつかと思って適当に返事をした。
「いや…、劇の役だれも交代してくれなくて…」
「へぇ…やりたくなくなったの? どうして?」
「だってそれは、あの男が……」
俺は何も考えず自然に答えたが、鼻に入ってきた匂いに気がついてバッと顔を上げた。
「あの男? 誰かに何かされたの?」
「おっ……お前、な、なんで…ここに!?」
目の前にはここにいるはずのない龍崎が立っていた。特別クラスの人間がこちらに来ることなどほとんどない。
比奈川に会いにきたのかもしれないが、こんなところで遭遇するとは思わなかった。
「うー……ん、やっぱり……似てるなぁ」
「な…なんだよ。お前…何の用があって…。って! おい!」
俺の腕をあっという間に掴んだ龍崎は、スンスンと鼻を鳴らして俺の頭の匂いを嗅いできた。
「なんで匂い嗅いでんだよっ、近いって!」
「え? ああ、ごめんね。あんまりいい匂いがしたから」
手首を掴む龍崎の力が緩んだので慌てて振り払って距離をとった。
考え込んでいて、まさかこんな近くまで来ているとは知らなかった。
「なんで俺に絡むんだよ。話したこともないだろう?」
「うーん、実はね。ある人を探しているんだ。少し前の話なんだけど、俺の近くで発情しちゃったオメガの子いて……」
「へっ……へえ…」
「本人の姿は見えなかったから、誰かはよく分からないんだ。……ずっと探していたんだ」
龍崎の話の内容から、それがあの廊下の端で龍崎を見かけて俺が発情してしまった時の話かもしれないと、頭の中では思い当たっていた。
「お…俺にそんな話されても……。だいたい、なんで探してんだよ…」
「忘れられないんだ。その匂いが……」
ゾクゾクと背中が痺れて俺は声を上げそうになった。
わざとなのか、龍崎がアルファの濃いフェロモンを放ってきて慌てて口と鼻を押さえた。
こんなの、ベータだってまともにくらったら失神しそうな濃さだ。
龍崎の薄茶色の瞳はまるで作り物みたいで、その中に完全に捕らわれてしまった。
濃厚なフェロモンに誘われて、俺の体も急速に熱を上げ始めた。
「ああ…やっぱり……、倉橋くんがそうだったんだ」
「おい! 翔吾、何やってんだ!」
一般クラスの廊下に龍崎が現れたので、すでにちょっとした騒ぎになっていたが、それに気がついたのか和幸が慌てて走ってきた。
「お前、こんなところで……! 実誠、大丈夫か!? こいつ、人見知りなんだ。怖がらせないでくれ」
崩壊寸前で和幸が間に入ってくれたので、龍崎からのフェロモンは止まった。
俺はやっと深く息が吸えるようになり、はぁはぁとむせるように呼吸をした。
発情期はまだ先なので誘発されることはなく、何とか助かったようだ。
「ああ…俺としたことが…。ごめんね、ずっと探していたから、……つい、嬉しくて」
「なんの話だ? とりあえずそろそろ授業が始まる。翔吾、お前は自分のクラスに帰れ」
和幸が背中を支えてくれて、そのまま教室の中へ連れて行ってくれた。
龍崎から突き刺さるような視線を感じたがそちらに顔を向けることなどできなかった。
俺が龍崎を苦手としているのは、体を這い回るような未知の感覚が恐ろしいからだ。
もともと薄い発情しか経験のない俺は、他のオメガが体験するような激しい性衝動を感じることなどなかった。
それが無理矢理目覚めさせられるような感覚がして恐ろしいのだ。
きっとあの濃いアルファ性の一族はみんなそんな感じなのだろう。
できればこの先もお近づきになりたくない相手だ。
やはり俺が前に発情した時の匂いを感じ取っていたようだ。
きっと姿が見えなかったから気になったとかで、なんでも知っておかなければ気が済まない性格なのだろう。
誰だったのか判明したのだから気が済んで、もう絡んでこないだろうと考えた。
それにしても龍崎の匂いがいつまでも鼻に残って消えない。
あの作り物みたいな顔を思い出したら、背筋が伸びてゾクリと震えた。
匂いも感覚もしばらく忘れられそうになかった。
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