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4、空に浮かぶ星
「はいこれ、頼まれていたやつだよ」
俺の机の上にポンと置かれたのはカラフルで可愛らしいハート型のグミだった。
それを見ておおっと声を上げると、他のクラスメイト達もわぁっと集まってきた。
「それ、今話題の食べるとガリガリするグミじゃん!」
「すげー! 手に入らなくて行列だってテレビでやってたぞ」
「さすが会長!」
まさか本当に持ってきてくれるとは思っていなかったので、俺はポカンとして驚いてしまった。
こういうヤツは気まぐれで、そういう約束は口だけなんだろうなと思い込んでいた。
「いや…悪い、本当に持ってきてくれると思わなくて……大変だったんじゃないか?」
「そうそう、朝から並んで大変だった…、って言いたいけど、知り合いに頼んだらすぐ手に入ったんだ」
ちょっと意地悪な顔をしてニカっと笑った龍崎に朝からドキリとさせられてしまった。
いつも優等生みたいなヤツなのにこんな顔をするなんて反則だ。
みんなが欲しいというので配ったらあっという間にグミはなくなってしまった。
残ったひとつを口に入れたら、今まで食べたことのない食感に感動して嬉しくなった。
今日もまたお昼時にふらっと現れて、にこにこしながら俺を見てくる龍崎に、体がくすぐったくなってしまう。
「龍崎……お前さ、本当に俺の匂いが分かるのか?」
「うん。俺、鼻がいいからね。こうやって近くにいるとお腹が鳴っちゃうくらいよく分かるよ」
「…………」
本気なのか冗談なのか、今までまともに話したこともない関係なのでさっぱり分からない。
しかしどうやら、誰も感じられないと言われた俺のフェロモンはこの男には嗅ぎ分けられるらしい。
苦手な人だし、最初は厄介だと思った。
しかし、誰にも理解されないと思っていのに、分かってくれる人がいるということは、思いのほか嬉しくて胸が熱くなった。
「……あのさ、お前の弁当またそれだけなの?」
「ああ、うん。そうだよ」
龍崎はまたパッケージに包まれたおにぎりを一つ持ってきていた。
俺がこんなことを言うなんて自分でもどうかしていると思ったけれど、熱くなった胸がトクントクンと揺れて、口から溢れてしまった。
「……今日、い…いっぱいあるから、また食べる?」
ぱかっと弁当の蓋を開けて龍崎の前に差し出すと、龍崎の目は大きく開いてキラキラ輝いて見えた。
「食べたい!」
いつもの胡散臭い王子スマイルではなく、子供みたいに大きく口を開けて龍崎は笑った。
それを見て、この方がずっと人間らしくていいなと、俺はぼんやり思ってしまった。
今日は別に箸を持ってきていたので、餌付けスタイルではなく、普通に食べてもらった。
多少好き嫌いがあるらしいが、美味い美味いと言って、あっという間にペロリと食べてしまった。
「そんなに腹が空いてるなら、もっと持ってくればいいのに」
「ああ、俺ダメなんだ。人が作ったものって……。味とかどうでもよくて、ただ飲み込めるのが唯一こういうおにぎりぐらい」
俺の作った弁当を食べ終わった後で何を言ってるのかと耳を疑った。
「だって……これ……」
「ね、何でだろう。倉橋くんが作ったのは食べられた。すごく美味しかったし」
変な冗談でも言われているのだろうか。ここはそれにノッてフザけてみせるべきなのかもしれない。
考えながら龍崎の目を見たら、龍崎はにっこりと微笑んで俺の目を見てきた。
言葉が出てこない。
代わりに顔が熱くなって、持っていた自分の箸が落ちそうになった。
「おい、翔吾。実誠を揶揄うのはやめろって言っただろう」
後ろで見ていて見かねたのか、和幸が会話に入ってきた。それを聞いてやっぱり揶揄われたのだと恥ずかしくなった。
「えー、だってもう、すっかり仲良しだし。ね、倉橋くん」
「なっ…仲良しってわけじゃ……」
「ひどいー! 手作りごはんで俺の心をがっちり掴んだくせにー」
「ばっ…何言ってんだよ」
人聞きの悪いことを言わないで欲しい。周りで聞き耳を立てている生徒はいっぱいいる。
こんなこと、比奈川の耳にでも入ったら……
「あれ、翔吾。ここにいたんだ」
噂をすれば、というか頭の中で考えていた比奈川が目の前に現れて、驚いて声を上げそうになった。
ふわりと甘い花の香りを漂わせながら、教室に入ってきた比奈川は、ごく自然に龍崎に近づいて背中に触れた。
龍崎は比奈川の登場に、まぁねと答えて優しい笑顔になった。
寄り添っている二人はまるで絵の中から飛び出てきたようだ。
どこからどう見ても誰もが目を奪われるくらい完璧で美しいカップルに見えた。
「翔吾って、倉橋くんと仲良かった?」
「最近仲良くなったんだよ、ねー?」
「あ…あっ、う…うん」
なぜかとっても気まずくて、声が小さくなってしまった。
自分の恋人が他の男と仲良くしているなんて台詞を聞いたら、比奈川はいい気分がしないだろう。
恐る恐る比奈川を見たら、比奈川はそうなのと言って笑っていた。
それを見たら心臓はぎゅっと縮こまった。
二人に強い絆があるのか、俺が比奈川にとって気にするにも値しない存在なのかもしれない。
「翔吾も増田くんも集合だって、さっきウッチーから連絡がきたよ」
「あー、予算の確認かな。内山先生燃えてるからさ、お昼くらいゆっくりさせて欲しいよね」
どうやら昼休みに生徒会が集まるらしい。
困ったように呟いた龍崎と、和幸は無言で立ち上がった。
当然関係ない俺は一人残るので、ぼけっと教室を出て行く三人の後ろ姿を見ていたが、そこで龍崎がくるっと振り返った。
「倉橋くん、今日放課後練習だよ。また会おうね」
「へ? あ……ああ…うん」
まさか声をかけられると思っていなかったので、間の抜けた声が出てしまった。
そんな俺を見て龍崎はクスリと笑った後、手をひらひらさせながら教室を出て行った。
濃すぎる三人が出て行くと、俺の席にわっとクラスメイトが集まった。
何で会長とあんなに仲がいいのかと聞かれたが、俺だってよく分からないし、そもそも仲がいいのかも分からないと答えるしかなかった。
なぜこんなことになってしまったのか。
苦手なヤツに懐かれてしまった。
しかも学校で一番目立つヤツで、比奈川というこちらも学校一可愛いと言われる恋人がいる男。
「……勘弁してくれよ」
誰にも聞こえない小さな声で俺は情けなく呟いてから机に突っ伏した。
結局、劇の役は誰にも代わってもらえなかった。
あの二人と一緒なんて気まず過ぎると思いながら、参加しなくてはいけなくなってしまった。
「ここ、ちゃんと掃除ができていないじゃない。ほら、埃が付いているわよ」
「ごめんなさい。お義姉さま」
「ちょっとちょっとーー! いったん止めて!」
舞台監督がパンパンと手を叩いて俺の方をジロリと見てきた。目を潤ませて座り込んでいる比奈川ことシンデレラを見下ろしながら、この後洗濯物を投げつけるという俺にとって見せ場のシーンだ。
放課後に劇の練習が始まって、周りは順調に役をこなしているが、俺だけ上手くいかず、もう何度もここで変な空気になってしまう。
「えー…と、義姉役、倉橋くんだっけ? 棒読み過ぎるよ。ここはシンデレラが可哀想な目にあうところなんだから、もっとガツンといじめないと」
「は…はい。すみません」
「休憩にしよう。さっきの食事のシーンからやるぞ」
実生活で暴力とは無縁の俺が、歯を剥き出しにしてシンデレラを怒鳴り散らすなんて、演技といってもそう簡単にできるものではない。
明らかにどう考えても意地悪な義姉役など向いていないのだが、もう引き受けたからにはやるしかない。
小さくため息をついて頭をかいていたら、床に這いつくばっていた比奈川がひょいっと起きて立ち上がった。
「リラックスリラックス。もっと強めにきてもいいよ。遠慮しないで」
「比奈川……、なんか…悪いな、俺下手くそで……」
「上手くやろうとしなくていいよ。僕は棒読みでもいいと思うよ。倉橋くんらしさが出ていたらそれでいいって」
優しい……。
前から思っていたが、比奈川は誰にでも分け隔てなく優しい。
今も何回もやり直しさせられて面倒なはずなのに、ちっとも俺を責めて来ない。
しかも、ぽんぽんと頭を撫でて慰めてくれた。
比奈川はただ見た目が可愛いからモテるわけではない。
この果てしない優しさと包容力、あの容姿でこんなに性格がいいなんて、俺と違い過ぎて悲しくなってくる。
「それに……一生懸命に演じている倉橋くんって……何だか可愛くて……」
「へっ!? なっ…何を……」
「あっ、ヒナもそう思ったんだ。俺もだよ。一生懸命怖い顔を作ろうとして、こめかみがピクピクしている感じとか……たまらないよね」
「なっなっ……」
舞台袖で眺めていた龍崎が出てきて、比奈川のおかしな意見に賛同してきた。
この二人の仲がよろしいのはいつものことだが、こんなことまで二人で意気投合しなくてもいい。
「僕のは翔吾みたいな変態じみたのじゃないよ」
「変態とは厳しいなぁ、ヒナは。可愛いものを可愛いと思う気持ちは同じだろう」
「……ふ…二人とも、何訳の分からないこと言ってんだよ?」
俺を置いて二人で盛り上がっているので、どうかと思ったがいちおう声をかけてみると、二人の視線が俺に集中して、その迫力にひっと声を上げそうになった。
龍崎は自由人という感じだからまだいいが、みんなのアイドル比奈川に可愛いなんて言われたら、ファンから袋叩きに合ってしまう。
目で必死にやめてくれと訴えたが、今度は龍崎と比奈川が声を揃えて可愛いと言ってきた。
目眩がして倒れそうだった。
龍崎は毎日飽きもせず俺のクラスに来て、俺の作った弁当を食べて、放課後は一緒に劇の練習をする。しかも龍崎と比奈川に挟まれて仲良い三人組みたいな立ち位置になってしまった。
周りの生徒達も学校の王子と姫カップルの間に急に現れた、名もなき通行人Aみたいな男に困惑している様子だった。
まさか二人のマンネリ防止のための当て馬役として配置されたのかと疑ったが、今のところ俺と比奈川が話すのを見て、龍崎が嫉妬で熱く燃え上がるみたいな空気はない。
龍崎は王者の風格を漂わせながら始終穏やかに笑っているし、比奈川も変な男の登場に嫌がっている素振りはない。
この訳の分からない状況を、とにかく誰かに説明してもらいたかった。
そんな事もあって頭がふわふわとしている週末。
母達が車で出かけたのを見送った後、俺は予定通り病院に向かった。
「うーん、フェロモンが特に変化している様子はないね。……数値も変わらず。倉橋くんの話を聞くに、やはり原始的なアルファの持つ特異体質なのかもしれないな」
久々に受けた検査で、血液を取って色々と調べてもらったが、今までと同じで体質に変化はなかった。
「先生、特異体質ってなんですか?」
「嗅覚や味覚とか聴覚、感覚機能が優れているって言うのかな。そういう子がいるんだ。一般人では嗅ぎ分けられないような匂いを感じたりね。ただ、あまりに過敏に反応してしまうから、苦痛でもあるんだよ。多くが子供の時に薬で抑えてしまうと思うんだけど。薬を嫌う一族もいるみたいだから…余計なものが混ざるからってね」
医師の話を聞いて龍崎のことを思い出した。
家族の方針で幼い頃から一人暮らしで、他人の作った物が食べられない。
龍崎の話は断片的で、全てを理解するにはピースが全然足りなかった。
そこで俺は、ずっと頭の隅で考えていたことを切り出すことにした。
「……もしかして、その人だけが分かるって……運命の番ってことでしょうか?」
「倉橋くん……。遺伝子的に相性がいい可能性はあるけど、運命の番というのは、医師としてそうであるなんて断定できないからねぇ。せっかく友人になれたなら、そんなことに囚われずに、仲良くしてみた方がいいと思うよ」
俺は何を考えていたのだろうと、頭から水をかけられた思いだった。
もしかして、この世でたった一人だけ分かってくれた人なら、そうなのかもしれないと心のどこかで期待していた。
しかし、そうだったとして何になるのか。
俺は比奈川から龍崎を奪い取ろうとなんて考えていたのだろうか。
何をバカなことを考えていたのだろう。
なぜ……なぜ龍崎だったのだろう。
俺だけの運命の番に出会いたいと思って生きてきた。
もしかしたらそうかもしれないという相手に出会ったが、とうてい手の届かない人で、しかも完璧な恋人がいる男だった。
もう、ずいぶん前に味わった挫折感を、今になってもう一度噛みしめることになった。
会計が終わって病院を出ようとしていたら、下を向きながら歩いていた俺の耳に、あれっという声が聞こえてきた。
顔を上げると目の前に頭の中に思い浮かべていた人物が立っていた。
「倉橋くん、こんなところで会えるなんて…」
「え……り、龍崎?」
「嬉しいな。今ね、君のこと、考えていたんだ」
龍崎がふわりと微笑んだ。
俺と、同じ……
突き刺すような甘い微笑みに、俺は思わず胸に手を当てて心臓の痛みを堪えた。
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