6、食べられたい

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6、食べられたい

 今見えているのはどう考えてもおかしな光景だ。  俺の足元には学校の王子様と呼ばれる男が座っている。  しかも俺を熱っぽい目で見つめながら、頬は赤くなり、興奮しているのかわずかに息を漏らす音まで聞こえてきた。  冷たくて広い部屋の中で、そこだけが濃厚で熱い空気に包まれていた。 「な…何を……なんでそんなところに座って…? ゆ…指ってなんだよ!?」 「……じゃあ靴下を脱いで足を見せてくれる?」 「は…はあ!? んっ…なのできるわけ…!!」  おかしな妄想が膨らんで、ガラスの靴でも履かせるつもりかと思ってしまった。  何をどうしたらいいか分からなくて混乱した俺は、とりあえず右手の人差し指をスッと龍崎の顔の前に持っていった。  指を見せて今のこの状況が終わるならその方が早いと思ったのだ。  しかし、俺の考えは甘かった……。  俺の指に鼻を寄せた龍崎はクンクンと匂いを嗅いでうっとりとした顔で笑った。 「ああ…これだ」  龍崎は俺の指に今度は頬を寄せて撫でるように顔を動かしてきた。  明らかにおかしい光景に頭はパンクしそうでクラクラしてきた。  俺の指にじゃれていた龍崎だったが、次の瞬間舌を出してペロリと舐めてきた。 「………え!? ちょっ…!!」  驚いて引っ込めようとしていた俺の腕を龍崎はガシッと掴んだ。  そのまま指をぱっくりと口の中に入れてしまった。 「うううう…嘘だろ…! やめっ…きたないから…」 「……ぶ、指だけ……他には何もしないから」 「ううっ……」  だからいいってものじゃないのだが、俺の腕を掴む龍崎の力は強くて動かせない。  しかも龍崎は切ない目で俺を見てくるので、なんとも言えない気持ちになって力が抜けてしまった。  抵抗がなくなったことを了承とみたのか、龍崎は舌を出してべろりと大胆に俺の指を舐めてきた。 「くっ………っっ…ぁ…」  ざわざらとした舌の感触がくすぐったい。  指の付け根をぐりぐりと舐められたら、思わず変な声が出そうになって、片方の手で自分の口を塞いだ。 「こ……こんなこと……な…んで…」  俺の問いかけに龍崎は答えない。  夢中になって俺の指をしゃぶって舐めて爪の間までぐりぐりと舌を入れてきた。 「ふっ………んんっ………」  龍崎が俺の足元にひざまづいて夢中で指を舐めている。  そのありえない光景を見ているだけで体が熱くなり、くすぐったくてゾクゾクする感覚が指先から全身に回ってぶるりと震えた。  そして、ふと視界に入ったものに驚いて俺はあっと声を出してしまった。 「り…りゅ…龍崎、そ…そこ……」 「…んっ……ああ、勃ってるよ」 「う…嘘…………」  龍崎のズボンのそこは押し上げられて、形が分かるくらい盛り上がっていた。まさか違うだろうと信じたくなくて問いかけたが、当然のように返されてしまい、俺の方が恥ずかしくなって顔が熱くなった。 「こんなに美味そうな匂いを嗅いで、興奮しないわけないじゃないか。でも今日は指だけでいい、それだけでじゅうぶん……」 「うぅ……りゅ…ざ……っっ」  またパクりと指を咥えられて、口内に捕らわれて舌と唇を使ってめちゃくちゃにされた。  アルファ特有の発達した犬歯は尖っていて、それが時々指にあたってわずかに痛みを感じる。  噛まれる  そう思うだけで俺の本能が奥底、体の内側から膨れ上がって爆発しそうになる。  噛んで  もっと、もっと噛んで  指一本だ。  指一本を舐められているだけで、身体中を犯されているような感覚がする。  捕食されたいという欲求で、頭は真っ赤に染まり、はぁはぁと息が荒くなって止まらない。  俺は何をしているのだろうと、頭の隅ではぼんやりと考えていた。 「くくっっ………っっ!」  龍崎が詰めた声を上げて下半身をぶるっと揺らした。  アルファの濃いフェロモンに混じって雄の匂いが漂ってきて、龍崎が服の中で達したのだと分かった。 「はぁ……ハァハァ……倉橋…くん」  龍崎は口の端を上げて笑った後、口の端から垂れていた唾液をべろりと舐めた。  目の前にいる男は誰なのだろう。  こいつは本当に、あの龍崎なのだろうか……。  ここから俺の記憶は曖昧だ。  椅子を倒して転がりながら部屋を出た。  背中で龍崎の声を聞いた気がするが足は止まらなかった。  靴をまともに履いたかどうかの記憶もない。気が動転してとにかく逃げることしか頭になかった。  あの場所にいたら食べられてしまう。  龍崎という怪物に頭からバリバリと。  落ち着いて息が吸えたのは自宅に戻ってからだ。  そこでやっと龍崎の家にバッグを丸ごと忘れたことに気がついた。  かろうじてポケットに鍵を入れていたので家の中に入ることができたが、スマホや財布といったものを全て置いてきてしまった。 「ああ…ばか、何やってんだよ……俺は」  今日起こったことが衝撃的過ぎて何も考えられない。  玄関にうずくまって、頭を抱えて大きなため息をついた。  まさかあの龍崎が俺にあんなことを……。  しかもアイツは意図的なのか、いつも垂れ流しているくせにアルファのフェロモンをいっさい出さなかった。  唯一達した時に一時的に放出されただけで、それ以外は抑えていたようだった。  おかげで催淫効果もなく、俺は発情しなかった。  ということは…、指を舐められて俺が感じていた感覚はフェロモンのせいではない……。  龍崎に指を舐められて俺は……。  思い出すだけで体が熱くなっておかしくなりそうだった。  顔に手を当てたまま、辺りが暗くなるまで玄関から動くことができなかった。 「はぁ………、全然眠れなかった」  日曜日、本当は一日家で惰眠を貪ろうとしていたのに、俺は学校に来ることになってしまった。  今日は劇の練習日だが、参加したい人だけというユルいもので、仲良しグループのやつらが勝手に企画して使用許可を取っていたものだった。  主役の比奈川と龍崎は参加すると言っていたので、俺としては休みたかったのに、あのおかげで来るしかなかった。  何しろバッグの中に大事なものはみんな入っていて、特にスマホがないと誰とも連絡が取れないので不便だった。今週は祝日もあるのでもう待てなかった。  龍崎が俺が来ると予想して持ってきてくれている事を願うが、もしなかったらまた龍崎の家に行かなくてはいけない。  鬱々としながら、下を向いて歩いていた。  というか、どう顔を合わせていいか分からない。  あんな事をされて、何度も思い出してしまい眠れないし、おまけに夜は体が熱くなってソコが反応してしまった。  一人で慰める時も龍崎の顔を思い出すという、もう自分自身おかしくなってしまったとしか思えない状態に陥っていた。 「倉橋くん、おはよう」  ポンと背中を叩かれて、思わずビクッとして掠れた声を上げてしまった。甘い香りが鼻について、誰に声をかけられたのかすぐに分かった。 「ひ……比奈川」  背中を冷たい汗が流れていく。  もし、昨日のことを比奈川が知ったら……。  絶対に傷つけてしまう。 「今日来たんだね。来ないって言ってなかった?」 「あ…ええと、気が…変わったというか……」 「ふふっ、やっぱり倉橋くんは面白いね」  目を細めて比奈川が笑った。  花を背負って歩いているんじゃないかという可愛さに胸がきゅっとなった。  しかし次の瞬間、比奈川の首筋についた赤い痕に気が付いて、そこを食い入るように見てしまった。 「ん? あっ………もしかして、付いてる?」 「え? えええっと、その…いや……あの」 「んもうっ、アイツ……ダメだって言ったのにっ」  比奈川は顔を赤くしながら、シャツのボタンをとめた。少し覗いていた首元には他にもチラホラ赤いものが見えてしまった。  間違いない。  あれはキスマークだ。  誰かに付けられたなら、アイツというのは恋人しかいない。  つまり龍崎が付けたものということだ。  体が一気に冷えて、胸がツキンと痛んだ。 「ひなか……」 「倉橋くん!」  比奈川の後ろから聞こえてきた声に、心臓がドキンと飛び跳ねた。  校門から入ってきた長身の男は、昨日とは違い爽やかな王子の顔をして、片手に俺のバッグを持って走ってきた。  そして今思い出したが、俺のバッグは優斗から貰った、ネズミのキャラクターの絵が描かれたバッグだった。  病院に行くだけだからと、何も考えず持ってきてしまったのだ。  それを龍崎が高らかと掲げながら走ってきた。  どう見ても龍崎が持つには浮きすぎている。 「翔吾、おはよう。あれ、どうしたの? そんな可愛いバッグ持って……」 「おはよう、ヒナ。ああ、これね。これは倉橋くんのバッグなんだ。きの……」 「まちがっ…間違えて! 龍崎が間違えて持って帰っちゃったんだよな!!」  龍崎が爽やかに昨日の話をしそうになったので、慌てた俺は持って帰ってしまったという話にしようとした。  俺の勢いに龍崎は驚いたのか目を大きくして固まって、言いかけた言葉が止まってしまった。 「え……こんな大きなバッグを? 間違えて……? ……翔吾、頭どうかした?」  それはそうだろう。  そんなの明らかにおかしい行動だ。  しかしそれで押し通すしかない。  じゃないと休日俺が龍崎の家に行ったことが分かったら、比奈川はきっとショックを……。 「ヒナっちーーー! こっちこっち! 衣装の仮縫い始まるよー!」 「あ…あ、うん! 今行く!」  天の助けか、ここで衣装担当の生徒が比奈川を探していたらしく、校舎の中から顔を出して手を振ってきた。  比奈川は不思議そうな顔をしながら、先に行くねと言ってパタパタと走って行ってしまった。 「倉橋くん……。今の…なに?」  比奈川が走って行ったのでボケっと眺めていたら、龍崎の言葉でハッとして現実に引き戻されてた。 「いっ…だって、俺が龍崎の家に行ったなんて言ったら…ヤバいだろう」 「なんで? 別にいいけど……。友達の家にだって普通に遊びに行くことあるよね?」  確かにそうだ。  たまたま会って、友人として家に遊びに行ったと言えば、問題なかったのかもしれない。  今更それに気がついて、やってしまったと青くなった。 「もしかして昨日のこと、意識してるの?」 「だっ……それは!?」 「いいよ。倉橋くんが、秘密にしたいなら、みんなには話さないでおくよ。でも……」  つかつかと近づいてきた龍崎は俺にバッグを手渡してきた。  俺はそれを普通に受け取ったが、その時に手を掴まれて引き寄せられた。 「また、倉橋くんの匂いを嗅がしてね。次は指だけじゃ足りないけど」  俺の耳元で龍崎がクスリと笑いながらそう言った。  心臓が飛び跳ねるようにして揺れて、バクバクとうるさく騒いだ。  そこでちょうど他に登校してきた生徒がいて、声をかけられた龍崎は先に行くからと言って行ってしまった。  一人残された俺は、バッグを変な位置で掴んだままその場から動けなかった。  比奈川のことはいいのか。  聞かなければいけないのに、その言葉が喉の奥まで来て止まってしまった。  昨日みたいなのはただの遊びだから。  そう返されてしまうのが怖かった。  なぜ?  だって熱いんだ……。  龍崎に舐められた指が、あの時からずっと。  あの唇が比奈川に赤い痕を残したのだと知って、胸が苦しくなった。  探していたと言ってくれたのに……  俺は抱えたことのない感情に支配されて、身動きが取れなくなってしまった。  □□□
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