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9、温もりに気づいて
「昨日のドラマ見た? ヤバかったアレ」
「なになに? 見てない。どんなの?」
「私見たよー。ネトラレ願望のあるカップルの話でしょう。付き合ってるけど、お互い別の相手を見つけて体の関係を持つ…ドロドロだよね」
女子達から聞こえてきた話を聞いて、俺は椅子から転げ落ちそうになった。
というか落ちた。
「大丈夫か、実誠。椅子に座りながら転ぶって器用なことするなよ」
「……だ…大丈夫。ちょっと……衝撃が強くて……」
今朝堂々と遅刻した俺は先生にこっぴどく怒られたが、その間もうわの空だった。
なにがどうなってどうしたのか、サッパリ分からない。
完全に出口のない迷路でもがいていたが、さっきの女子達の会話が俺の疑問にピタリとハマったような気がした。
二人にそんな願望があって、俺とあの派手なお兄さんが選ばれた……
「そっ……そんなワケあるかーー!」
「……おい、マジで保健室行け。叫ぶとか、独り言やばいぞ」
和幸に本気で心配された俺は大人しく保健室のお世話になることにした。
どうしたって寝不足で頭が回らない。
頭痛がすると言ってしばらく寝かせてもらうことになった。
あまりに疲れていたのか、久々に見た夢でいっそう憂鬱な気持ちになった。
「おい、これ見ろよ。誰が書いたんだ?」
「うわっっ、運命の番に出会えますように、だってさ。女子だろう、こんなの書くの」
「えー、でもさ。この字雑だし、男じゃね」
小学校の時、七夕の短冊にみんなで願いを書いた。
その当時俺は、短冊に願いを書くと魔法使いが叶えてくれると本気で思っていて、迷わずその願いを書いた。
なんの影響だったかは忘れた。
多分アニメとか漫画に似たような話があったのかもしれない。
わざわざ人の願い事を見るやつなんていないと思っていたのに、一人の男子が俺の書いた短冊を見て騒ぎ出したら、その仲間も一緒になって騒いで誰が書いたのか見つけようとしてきた。
あんなこと書かなければよかった。
後悔した時は遅かった。
「ねー、さねみくん。さねみくんってオメガだって本当?」
「運命の番ってオメガとアルファの話なんだろう? あれ、お前が書いたんだろー」
「そんなの信じてるなんて、女子みてー。さねみって本当は女じゃないの?」
クラスのほとんどはベータで、みんなこの歳の頃はまだ、バース性がどういうものか分かっていなかった。
このままだとずっと揶揄われてしまう。
いやだいやだ。
そんなのはいやだ。
「ち…違う…、違うよ! 僕じゃない! それは僕が書いたものなんかじゃない!!」
咄嗟に否定の言葉が出たら止まらなかった。
俺がすごい剣幕で否定したので、揶揄ってきたやつらは面倒なやつだとでも思ったのだろう。
もういいよと言って走って行ってしまった。
今でもたまにこの時のことを夢に見る。
願ったくせに違うと言ってしまった。
嘘をついた俺に怒って、魔法使いは俺から運命を取り上げてしまったのではないか。
この夢を見た後はいつも悲しくなる。
嘘をついてごめんなさい。
虚しく揺れる短冊。
あの時の俺の願いは、どこに消えてしまったのだろう。
「な……なにコレ……」
放課後練習に行ってすぐ、衣装係から手渡されたものを見て理解ができずに体が固まった。
「それが、ダンスシーンでドリゼラが持つ物だよ。ハンカチから変更だって」
「だっ……これを? これ持ってどうすんだよ!?」
「俺達に聞かれても困るよ。っていうか、台本改稿版になってるからそれで確認しろよ。かなり変わってて、みんなパニクってんだ。お前の小物どころじゃなくて、大幅に変わったんだ」
口を開けたまま固まった俺に構っていられないと、衣装係は忙しそうに行ってしまった。
残された俺の手には、新しい台本と、白いふわふわの犬のぬいぐるみが載っていた。
ハンカチがぬいぐるみに変更って意味が分からない。
まさか俺はこのぬいぐるみを口に咥えて悔しがる演技をしないといけないのだろうか。
ゾッとした俺は急いで新しい台本を開いた。
もう衣装もほぼ完成して、本番まで間もないというのに、今さら話が変わるなんて、周りを見渡すとみんな台本を読みながら頭を抱えていた。
舞踏会シーンまで一気にページを捲ると、まず目に飛び込んできたのは、シンデレラと王子が踊る様子を姉のドリゼラは優しく見つめる、という文字だった。
もうこの、時点で頭がハテナで埋め尽くされた。
「……踊り終わった二人に駆け寄ったドリゼラは素敵だったわと、声をかけて胸に抱いていたぬいぐるみをシンデレラに渡す……あ? なんで?」
確かに台本は最後まで出来ていなかったし、変わるからと聞かされていたが、ここまで変える必要があったのか。
舞台監督が集まったみんなを呼んで全体の説明が始まった。
監督の話によると、オリジナルの脚本は生徒の意見を参考にしようということで、龍崎と一緒に練り直して作り上げたそうだ。
世界観は変わらないが、枠にとらわれない新しいシンデレラを目指したと聞いて、冷や汗しか出なかった。
まずシンデレラの設定だが、父親が再婚して継母と義姉達が家にやってくるところは変わらない。
しかし父親は死なずに、継母も義姉達もシンデレラをいじめることなく、三人目の娘として受け入れてくれる。
特に長女のドリゼラはシンデレラを可愛がって、仲のいい姉妹として育つ。
しかし父親の事業が失敗して借金を負ってしまう。家は一気に貧しくなり、ドレスを買うお金どころか、満足に食べ物を買うお金もない。
今日生きるのもやっとの状況で、三人の娘にお城から舞踏会の招待状が届く。
シンデレラは三人のうち一番器量がよく美しかった。シンデレラなら必ず王子様の目に留まる。
そう確信したドリゼラは材料をかき集めてドレスを作った。
国の王子様に見初められれば幸せな暮らしができる。
自分達は無理でもシンデレラには幸せになってもらいたいと願いを託したのだ。
舞踏会の夜、シンデレラは馬車に乗ってお城へ向かった。
シンデレラには貯金があったと言って、笑顔で送り出したが、本当は馬車を借りるお金を作るために、ドリゼラは必死に働いたのだ。
一方シンデレラは困っていた。
シンデレラには家族には内緒で将来を誓い合った相手がいた。
ただ戦地に行くことになり、おそらく生きては帰って来られないだろうと、泣いて今生の別れをした。
本当は心の中に想う人がいるのに、姉達に期待を向けられて言い出すことができなかった。
必死に用意してくれたドレスに馬車。
嫌だと言ったら姉達が悲しむ。
とにかく舞踏会には行くが、とても彼以外の人と結婚したいとは思えない。目立たないようにして隠れていようと考えていた。
もし王子様にダンスを誘われたら、それが選ばれたということらしい。
それだけは避けないといけない。
しかし、舞踏会会場でシンデレラはやはり一番美しくて、目立ってしまった。
そして相手を探す王子様の目に留まり、ダンスを申し込まれてしまう。
そんなもどかしい状況を見ていた良い魔女は、心優しい姉妹達を助けたいと動いた。
まずシンデレラの姉二人に魔法をかけて、ドレスを着せて着飾らせた。
二人を魔法で作ったカボチャの馬車に乗せて会場へ向かわせた。
魔女はドリゼラに犬のぬいぐるみを持たせた。
それは贈った相手の願いが叶うというラッキーアイテムだった。
舞踏会でシンデレラと王子様のダンスが終わると、ドリゼラはシンデレラの幸せを叶えるためにそのぬいぐるみをシンデレラに手渡す。
十二時の鐘がなり、馬車がカボチャに変わると聞かされていた姉妹達は帰りの足がなくなったら困るので慌てて帰宅する。
慌て過ぎたので階段には姉妹達の靴が散乱していた……。
発表されたのはここまでだった。
俺をチラチラと見る視線が至る所から飛んできた。
ヒソヒソと何であいつがという声も耳に入った。
そりゃそうだ。
今まで悪役姉の一人だった俺が、急に良い姉になって準主役的な動きを見せることになったのだから。
俺は龍崎がハンカチは危ないと言っていた話を思い出した。
まさかあの事だけでここまで大事にしたのだろうかと、みんなの視線に心臓が冷えてしまった。
新しい台本を各自落とし込むために今日は自主練習となったが、解散しても俺は台本を持ったまま、膝を抱えてしばらくその場から立てなかった。
今日も今日とて。
朝から色々あり過ぎて何も頭に入って来ない。
「気に入ってくれた? 一生懸命考えたんだよ」
「お前、まさか本当にハンカチの件で……」
「まさかー! 前々から監督に相談されていて、すでに改稿版はできていたよ。ただ、そこは確かに変えてもらったけどね」
背中に声をかけられたが振り向かずとも誰だか分かった。
膝を抱えたまま下を向いている俺の隣にピタリと龍崎が座ってきた。
「……俺の役……前に出過ぎだよ。人前が苦手なのに……、あんまり目立ちたくない……怖い」
「大丈夫。俺が付いてるから。怖くなったら俺のことを見て。俺はいつも、倉橋くんのこと見てるよ」
「……んだよそれ。ストーカーかよ」
「ああ、近いかもね。だって倉橋くん以外、見てもつまらないし」
サラッと際どいことを言うので俺は慌てて顔を上げて周りを見回した。
ほとんどの人はすでに移動していて、周りには誰もいなかったのでホッと胸を撫で下ろした。
龍崎が床に置いていた俺の手の上に自分の手を重ねてきた。
柔らかいものに包まれる感触が悲しいくらい俺の心を温めてくれる。
「……それより、体は大丈夫? 昨日はちょっと無理をさせちゃったから……、ごめんね、嬉し過ぎて止まらなくなっちゃって」
「……別に。そんなひ弱じゃない」
「カッコいい……、可愛くてカッコいい倉橋くん、最高」
「あのなぁ……」
人がこんなに悩んでいるのに、軽い返しをしてくる龍崎にイラついたが、横目で見たら龍崎は頬を染めて嬉しそうに笑っていた。
それを見たら胸がきゅっとして切なくなった。
この顔はずるい。
今は俺だけのものだと思うと嬉しい気持ちが溢れてきてしまう。
だから聞かなきゃいけないことが口から出て来なかった。
俺って、龍崎にとって、何なの?
なに考えてるのか分からないし、強引だし、ちょっといじわるだし、振り回されてばかりだ。
だけど俺はもう分かってしまった。
胸が熱くて苦しいくらい。
龍崎にどうしようもなく惹かれている。
お互い黙ったまま、しばらく続いた無言の時間。
なにも言い出せない俺の気持ちに応えるように、龍崎は俺の手をぎゅっと握ってきた。
それだけで幸せだと思えて悲しかった。
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