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現実的な話では、ないな……。
唸る健一と共に去っていく、玲司に頭を下げながら、志門は聞いた話を反芻していた。
金を貰った。
簡単に言えば、そう言う話だった。
怪しまれぬよう、この世から消し去りたい者がいる。
そんな話を、通り魔の男は、ネットで見つけたのだと言う。
前払いで二万、手渡しで貰い、写真もその時に渡されたと言う。
一昔前から、ネットと言う便利なものが出来、それで犯罪の共犯者を募る者もいると聞く。
はっきりとした言葉でない分、取り締まりの対象にならなかったその書き込みに、どうやら何人か引っかかったらしい。
「……たった二万で、人を殺すのか」
健一が、吐き捨てた。
今では信じられない程に病弱だった少年は、誰よりも命の重みを感じている。
人を雇って、まだ年端もいかない少年の命を狙った。
そこまで分かれば、この地の警察は完全に動く。
今は、取引場所に使われたであろう、街中のベンチの傍の店の、監視カメラを逐一調べている最中だと言う。
これで雇った者の特定も出来、かつ、どんな動機で少年を狙ったのかも分かる。
「その間、速瀬は? 家に籠らせるわけにも、いかないだろ?」
「しばらくは、入院させたまま、という事になるか。幸い、骨折の完治には、一月ほどかかる。あの病院のセキュリティーを突破できる猛者は、そういまい」
そこまで話した時、古谷家に到着したのだった。
「そうかな……オレがいたあの病院も、結構セキュリティーの面じゃあ、厳しかったはずだけど」
唸りながら、健一は叔父と共に、帰って行った。
その背を見送り、志門は家へと入ると、一人の客が待ち構えていた。
「やあ、お帰り」
優しい顔で、少し年上に見える女が、志門に微笑んだ。
「只今帰りました。珍しいですね、この時刻に……」
「ちょっと気になってね。どこに行ってたんだい?」
「健一さんに誘われて、人のお見舞いに……」
答えながら時計を見て、夕食の時間だと気づく。
「静ちゃんは、文代さんのお手伝いに行ったよ。元々しっかりした子だったけど、家事もこなせるようになったんだね」
口に出さなかったのに、気になったことを答えられ、思わず慌てた志門に、女は優しく微笑みながら、切り出した。
「セイが、例の国に入ったよ。さっき連絡があった。これから、数日帰れないから、そう伝えてくれって」
「……大丈夫、なのでしょうか?」
心配すること自体が、失礼ではと控えめに呟く少年に女、雅は笑いを苦笑に変えた。
「心配するなとは、言えないよ。どんな事案でも、思惑通りに事が運ぶわけじゃない。でも、全力で事を治めると約束したから、そうしてくるはずだ」
見返して大きく頷くと、雅は少年を手招きした。
「健一君から、変な話を持ち込まれたって聞いたよ。君たちで解決できそうなのかい?」
客間の襖を閉め、畳に座る女のテーブル越しに座った志門は、困ったように答えた。
「それはまだ、分かりません。どうやら、警察の方が動いているようなので、私たちが出しゃばる話ではなさそうで……」
そう言いながら、少年は先程聞いた話を雅に話した。
「……」
天井を仰ぎながら話を聞いていた雅が、呟く。
「速瀬伸? もしかして、速瀬医師の、息子さん?」
「ええ。ご存じなのですか?」
思わず問い返すと、女は薄っすらと笑った。
この女には珍しい、剣の籠った笑いだ。
「ああ、よく知ってる。そうか、手を出すのは、どちらでもいいのか」
「?」
何のことか分からず、しかしその雰囲気に訊くに訊けない少年に、雅はいつもの笑いを向けた。
「その、速瀬君が、お金で雇われた人に、命を狙われてるのか」
「そう、らしいのですが……」
「そうだね、その子本人への恨みより、父親への恨みの方が、分かりやすい」
つまり、速瀬良は恨まれる心当たりがある、という事かと目を見開く志門に、女は続けた。
「その息子さんにも、本当なら、恨まれても仕方ないんじゃないかな?」
「え?」
聞き返した少年に、雅は首を傾げた。
「興味あるの? 志門君?」
突然の問いに、志門は目を瞬いた。
「どうしてですか?」
「いや……君が、こういう事に興味を持つなんて、珍しいから」
「それは……」
確かにと、戸惑う少年に、雅は微笑んだ。
「いい傾向だよ。周囲が気になるようになってきたのなら、自分の事も気になるようになる。静ちゃんの事も、気にしてくれてるんだろ? 普通は、逆が望ましいんだけどね。君の場合は、それでいいんじゃないかな」
「そう、なのでしょうか」
まだ戸惑いながら返す志門を見ながら、雅は切り出した。
「速瀬良は、この国では目立たない医者だけど、祖国では結構有名な名医なんだよ」
「……祖国?」
腕は一流で、金田玲司が師と仰ぐほどだが、そう言う奴ほど癖がある。
「妻子持ちなんだけど、手癖が悪いんだよ。大体、成人した見目が目立たない、癒し系が好みなんだけどね、その好みの範囲内なら、男女どちらでも構わないって奴だよ」
「……それは、どう言う事でしょうか?」
「……君も高校生なんだから、まあ、言ってもいいよね」
少し考えてから一人頷き、雅は事実を告げた。
「その伸君、奥さんとの子供じゃないんだよ。妻子がありながら、それを隠して女の人と関係を持って、妊娠させたんだね。ったく、まさか、こんな所で、女の人の被害を知るとはね」
「なるほど」
聞いた少年の反応は、妙に薄い。
「ん? 驚かないの?」
「驚きました。どうして、あなたがそこまで怒っているのか、不思議だったので、そういう事かと」
「……ああ、それが理由で怒ってるんじゃないよ。あの医者はね、私だけじゃなく、セイまで怒らせるような相手に、手を出したことがあるんだよ」
だから、他の人にまで迷惑をかけて、恨まれるのはあり得るね、と雅は頷いたが、志門はそれどころではなかった。
この人と、セイまで怒らせた速瀬伸の父親とは、一体どんな男なのか。
知りたいような知りたくないような……少年の、秘かな葛藤などに構わず、雅の話は続いた。
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