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 金田(かねだ)健一(けんいち)(れん)に会ったのは、まだ生死の境を行ったり来たりしていて、大人の自分を全く想像できないほどに、何もかもを諦めていたころだった。  父親に紹介されたその人は、自分と五つ違いの兄を見下ろして、露骨に顔を顰めた。  腰まである黒髪を後ろでしっかり束ねた小柄な若者は、冷ややかに自分より大柄な男をこき下ろしながらも、健一と兄の(みのる)を見る目には棘はなく、名を問う声もやんわりとしていた。  年も尋ね、答えを聞いて、呆れ顔で呟いた。 「……オレの所を出て、一月足らずで一人目かよ」  針の筵状態の父親は、ただただ大柄な体を、精一杯縮め続けている。 「で、結局、ミヤに子を押し付けて、営業とやらのついでに、弟を探してたってか?」 「まさか、そこに、あなたまでいたとは……」  笑って何とか、場を和らげようとするが、全くその努力は報われていない。  そこで、少し真面目に表情を改め、父親は言った。 「あいつには、将来しっかりとした医者に、なって欲しいんです。元々医者になりたいと常々言ってたし、オレもそうなってほしいと、願ってるんです。親父の後を継ぐための修業のつもりで、世界中回ってたようなもんでしたけど、永く家に戻れなかったのは事実だし、手土産代わりに、アジアで勢力を広げている会社と繋がってからと思って。まさか、あんな事件の収拾を任されるとは、思っていませんでしたけど」  当時は、意味不明な会話だったが、健一もさすがに今は、何となく事情を察している。  父親は、修業時代に会った女と結婚し、子供を二人儲けたが、妻となった女とは、健一が二歳になる前に死に別れた。  健一の体は、産まれた時からあちこちに、病原となる物が発症しているのが、発覚していた。  徐々に大きくなるそれは、当時の医学では根治法がなく、学校の制服に袖を通せない可能性が大きいと、宣告されていた。  物心つく前から、様々な病院へ検査入院し、同じような宣告をされ、今ではそれが普通なのだと考えていたから、健一は父親がその結果を医者に告げられるたびに、素直な落胆を顔に浮かべるのを、どこか他人事のように見物していた。 「事情なんざ、どうでもいい」  蓮は、そんな子供の気持ちを察している様子もなく、素っ気なく尋ねた。 「何で今更、子連れでここに来た?」  問われた方は言い澱み、一緒に訪れた女性に、助けを求めた。  父親が不在の時、自分たち兄弟の面倒を、見てくれていた人だ。  今思うと、少しお姉さんな若い女性だが、その当時は優しい包容力が魅力の保育士の様に見え、兄は大好きになっていたようだ。  殆ど住処に戻ることも、どこかに腰を据えて休むこともない蓮が、年末年始に決まって泊まり込む場所を知っていて、親子を案内してくれたのもこの女性だった。  ミヤと言う呼び名の知り合いの女性は、しみじみと蓮を見て言った。 「しばらく会ってなかったし、その外国での仕事の後も会ってなかったから、只びっくりしてるんだけど……背が、伸びたねえ」 「そんなことを言うためだけに、わざわざ来たってのか?」 「そうじゃないよ。この子がね、子供を預かってくれた、お礼がしたいって」 「……?」  市原(いちはら)家の玄関先での会話は、住民たちに聞き耳を立てられている。  意味不明な話の流れは置いておいて、場所を変えようと、蓮は家の中に声をかけた。 「すぐ戻る」  返事を待たずに家を出て、客たちを連れて、家を少し離れた道路に出た。 「あんたへの礼なら、何もここに来る必要も、ねえじゃねえか。わざわざ、こいつの面を拝む趣味、オレにはねえぞ」 「そうなんだけどね、私自身は別に、何の望みもないんだよ。こんなかわいい子たちを、暫く預かれるなんて、それだけでも幸せだったし、気も紛れたし。断って私に話を持ってきてくれた君や(あおい)君に、礼がしたい位なんだよ」  優しく笑いながらの答えに、蓮は一層、呆れ顔になった。 「それこそ気にする必要ねえぞ。オレはガキが嫌いだし、葵に至っては、そんな余裕がねえからこそ、あんたに盥を回しただけで……」 「それは、分かってるけど、実は、君にも絡んでもらった方が、上手くいくんじゃないかって、そんな相談があるんだ」 「相談?」  眉を寄せた蓮に音もなく近づき、(みやび)は何かを耳打ちした。  年が近い二人の綺麗な男女の様子に、一瞬どきまぎしてしまった健一の横で、実は近すぎる二人の距離に、目を険しくしている。  耳打ちされた蓮は、目線が近くなった雅を見返し、戸惑い気味に口を開く。 「今更、そんな事、調べてどうすんだよ?」 「今の世だからこそ、だよ。本当は、ゼツが医者としての勉強を終えるまで、待つつもりだったけど、その人の方が先に、医者になる見込みが、あるんだろ?」  蓮は小さく唸りつつも、反対ではないようだった。  雅は頷き、(はじめ)に切り出した。 「君の弟さんが、医者になった暁には、検査して欲しい子が、一人いる。その時は、君が弟さんに、紹介して欲しいんだ」 「え、誰ですか、その子って……」 「その時になれば、分かるから。ね?」  戸惑う始と、考え込む蓮、そして微笑んで、何とか良い返事を引き出そうとする雅の会話は、その頃の自分にはよく分からない物だったが、今では何となく理解できる。  その話がどうなったのか、健一は知らないが、約束として残っている事だろう。 
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